三清山の旅


灰色の部分が江西省です。

【目次】

<2003年8月16日>
 
ハッピバースディ・トゥ・ユー
 ・ポタリ、ポタリ、ポタリ
 ・嵐の予感

<2003年8月17日>
 
・恐怖のロープウェー
 
・奇岩の宝庫
 
・ネットサーファーへの挑戦
 
・嵐の到来
<2003年8月18日>
 
・戦いは続く
 ・Pの忠告 
<2003年8月19日>
 
・定番、最後はトラブルで!
2003年8月16日
ハッピバースディ・トゥ・ユー
 8時半、ホテル1Fのレストランで朝食バイキングを済ませる。
 9時半、チェックアウト。タクシーで九江駅へ向かう途中で雨がポツリポツリと降り始めた。
 駅に到着(9:55)してまっすぐ切符売り場の窓口へいくと、服務員が「切符は乗車後買えばいいからすぐに乗れ!」と指示してきた。ダッシュ!こういう時のPの足は速い。一瞬の迷いも無く荷物を抱えて猛スピードで階段を駆け上がる。私一人だったら次の便にしようかというところをわき目も振らず突っ込んでいくので、ただ後をついて行き天に運をまかせるしかなくなるのだ。

 無事席を確保して、服務員から切符を購入。対面に座ったのは旅行を終えてこれから湖南省に帰るという母親一人、息子一人、娘一人の家族だ。私たちと同じく「廬山」へ行った帰りだという。しばらく「廬山」の話で盛り上がる。私が日本人だとわかると、周囲の客も興味津々でこちらを見つめ始めた。これはもっけの幸いとPが「南昌から玉山(三清山のあるところ)への列車はいつ発車するの?」と質問を投げかける。すると、通路を隔てた向こう側の席から「昼の12時頃と夕方6時頃の2本だよ」と親切な声が返って来た。昼の12時となると南昌に到着したらすぐに乗り換えなければならない。南昌では深セン戻りのエア・チケットを購入しておかなければならないので、2時間は余裕をみておく必要がある。だから、12時の列車は無理だ。夕方6時の列車も遅すぎて駄目。やはりバスで行くしかない。そう説明すると、「仕方ないわね」とPはうなだれた。Pは車酔いする体質でバスが苦手なのだ。私が思わず笑うと、「わかってるわよ、私をいじめて楽しいんでしょ!」とこちらを睨んだ。「俺が列車の数を決めているわけじゃないんだから」とおたおたと言い訳をするしかない私であった。

 10:20、通路の後方から突然、「ハッピバースディ・トゥ・ユー」の音楽が聞こえてきた。驚いて振り返ってみると、列車の服務員が玩具を販売しながら通路を移動してこちらに向かってきている。売っているのは地球ゴマだ。子供の頃、お祭りの夜店で売っていたアレだ。懐かしーなとチラチラ見ていると、とうとう私の前までやってきた。服務員はさっそくビューンとコマを回し、糸に乗せて綱渡りの曲芸を披露する。
 じっくりみているうちに記憶にある地球ゴマと違う点に二つ気づいた。まず全体がほぼプラスチック製化されている。(昔の地球ゴマは銀ピカの鉄でできていた)。もう一つは、コマの回転のさせ方。こちらは記憶がさだかでないが、昔の地球ゴマは糸をまきつけて回転させていたと思う。しかし、目の前にある地球ゴマは凹凸のある短いプラスチックのムチをコマに擦り合わせるようにして回転させる仕組みになっていた。日本でも、今ではこんな地球ゴマが販売されているのだろうか?
 最初はこれっぽちも買う気はなかったのだが、何度もコマの綱渡りをみているうちにだんだん心が動いてきた。値段を聞くと10RMBだという。一瞬迷ったのち結局購入してしまった。持ち帰って一度でも遊んだとしたら上出来な方なんだけどね。

【地球ゴマ】

 11:30、南昌着。改札を抜けて外に出ると、どしゃぶりの雨であった。衝撃で傘が重たくなるほどだ。急いでタクシーをつかまえて中に滑り込み、運転手にエア・チケット売り場行きを伝えた。

 11:40、チケット売り場で19日の<南昌→深セン>チケットを2割引の600RMBで購入した。逆方向の<深セン→南昌>は400RMB弱だったからずいぶんと高い。どこ向けであれ、行きは安くて帰りが高いというのが一般的ようだ。発券まで一時間かかるというので食事に出かけることにする。

  外は相変わらずのどしゃぶり状態だ。周囲は工事中の建物ばかりでまともな食事をとれそうなところが見当たらない。そこで、通りを渡った反対側に出てみた。すると、先ほどまで高速道路のブリッジに遮られてみえなかった場所に、中華レストランがあることがわかった。それも、この大雨に関わらず大繁盛である。余程美味しい料理を出すのだろう。店の内装も立派だ。期待して店内に足を踏み入れたが、大繁盛過ぎて空いている席がない。しばらく待っていると服務員が「相席でよければ席がありますよ」ともちかけてきた。Pは乗り気のようであったが、私の気が進まない。定食ならともかく中華の大皿料理で相席では相手の料理が気になってしかたがない。残念だが別の店を探すとしよう。
 雨が弱くなったのを見計らって再び外へ出る。ついでに隣にあったATMでお金を下ろすことにした。

 「俺の後ろで見張っていてくれよ」とPに声をかけ、キャッシュ・カードを機械に挿入。中国のATMはもろに路上に接しているので注意をしていないとヒッタクリが近づいて来てもわからないからだ。(やっぱり二人旅は楽だな。一人だとお金を下ろすのも一苦労だもんな)と感慨を深めながらお金を引き出した。
 お金を財布の中に入れながら、(ちゃんと見張っているだろうな)と後ろを振り返ってPを探すとすでに道路のほうにふらふらと歩いていって景色に眺めいっている。背中を睨みつけると殺気を感じたのか、(しまった)という顔をしてこちらを振り返った。その瞬間、私は背中のリュックにドンと軽い衝撃を感じた。通りすがりの若い男が私のリュックにぶつかって後ろをとおり抜けていったのだ。もしやヒッタクリ?とドキッした途端、Pが名誉回復とばかりにその男を怒鳴りつけた。「あんた何したの!」。
 呼び止められた男はびっくりし、「なんだよ、何もしてねぇよ」と両手をヒラヒラさせた。「そう、だったらいいのよ」とPはがっかりした調子で男を去らせた。「見張ってろっていっただろうに」と私がなじると、「わかってるわよ」とそっぽを向く。全然わかってない。

ポタリ、ポタリ、ポタリ
銀行の前から先ほどのチケット売り場があった建物を見渡すと、2階に中華レストランの看板が見えた。雨の中道路の反対側に来るまでもなく、2階に行けばよかったんだね。
 雨で泥だらけになった道路を横切り先ほどのチケット売り場に戻る。先ほどは気づかなかったが入り口の脇に階段があり二階に繋がっている。灯台もと暗しとはこの事だ。階段を登ってレストランに入った。対面の店と違ってここは客がほとんどおらず、ウェイトレスのほうが数が多い。 大丈夫かなと不安になる。でも、もはや選択の余地はない。窓際の席に座って料理を注文した。
 しばらくして届いた料理は意外に美味しくて、なんでこんなに客が少ないのかなと思わせたほどであった。対面のレストランはさらに美味しいのだろうか?多分、もっと安いのだろうな。

 昼食を終えて、1階でチケットを受け取る。すでに1時20分だ。あんまりのんびりしていると玉山(三清山)に着くのが夜中になってしまう。タクシーに乗ってバス・ステーションへ。

 バスステーションでチケットを購入。乗車時間を確認すると、あと3分しかない。駆け足でバスに向かう。こういう時のPのダッシュ力は凄まじい。重いスーツケースを片手で持ち上げて、見事なスタートを切る。細い体のどこにそんな力が潜んでいるのか?
  
 乗車してみると、バスは寝台車であった。実は私は寝台バスに乗るのは初めてである。夜間を走行するような長距離バスは危険度が高いからだ。冗談ではなく、中国では未だにバス強盗が絶えない。主要な路線では発車前にビデオカメラで乗客全員を映して犯罪防止を図っているほどだ。

 中国人でも寝台バスに乗るのを嫌がる人は多い。それでもたくさんの乗客がいるのは料金が列車よりも安いからだ。必然的に乗客の質も悪くなる。だから、これまでずっと寝台バスを避けてきた。今回は昼間だけの乗車だからそんなに危険はないだろうが、やはり嫌な気分だ。
 内部は2階立てベッド(席)がに三列になって配置されている。ベッドの幅は50cm強。一列には1階と2階を合わせて約10個のベッドがあるから全部で30人ぐらいが座れる(眠れる)。ベッドは完全に真っ直ぐではなく頭の方がやや高めだ。
 何も考えずに後ろのベッドに行こうとするPを押し留めて、運転手(左)のすぐ後ろのベッドの2階の席に導く。私はそのすぐ後ろのベッドに陣取る。真中の列では左右の両方から襲われる危険があるし、1階も人が通ることが多いのでやっかいだ。そこで運転手の眼(耳?)が届く範囲で窓際の2階を選んだ。これでPの安全は確保された。私自身は後ろから攻撃を受ける可能性があるから十分に安全とはいえないが、あとは天に運を任せるしかない。

 乗車は駆け込みであったが、出発は30分遅れて結局2時5分発車。一時は降り止んでいた雨が再び強くなり、窓を強く叩く。雨音を聞きながらうつらうつらし始めたところ、何やら太ももの辺りが冷たい。慌てて飛び起きると、窓のフレームのところから水がボタボタと零れ落ちている。これはたまらない。リュックからタオルを取り出し、水の流れを変えようと試みた。試行錯誤しながら、なんとか水を押さえきって一安心。再び眠りにつく。が、甘かった。足元の冷たさに目を覚ますと、タオルはびっしょりとなり、ベッドの脇は洪水状態となっていた。
 根本対策が必要だ。そう決断し、リュックから今度は折り畳み傘を取り出して広げた。これを窓際に置き落ちてきた雨を下に流す。ここまでやったところでPが私の動きに気づいた。「何やってんの?」「雨が漏れてきたんだよ。みろよ、びしょびしょだ」「ばかね、後ろの方に席が空いているんだから向こうに移ればいいじゃない」と能天気な提案をしてくる。(馬鹿もの、こんな危なそうなバスで後ろのほうに座れるか!俺はお前を守ってやっているんだ!)と心の中で叫ぶが、そんなことを他の客には聞かせられない。じっと我慢だ。

 3時間ほど走ったところでトイレ休憩。ガソリンスタンドで停車する。みんながガヤガヤと下車していく中でPのベッドの上に1元(日本円で約15円)硬貨が落ちているのを発見。きっとポケットから落としたのだろう。トイレから戻ってくるまでここに残っているだろうか、面白いのでそのままにしておく。

 トイレを済ませてから、スタンドでジュースを購入してバスに戻る。Pの席を横切ったとき1元硬貨のあった場所にチラリと眼をやると、ナイ、見事に硬貨がなくなっている。たったの5分も経たないうちに・・・。すごいハングリー精神だ。なんとなく嬉しくて、Pに「降りるときにここに1元があったんだよ。ちょっと休憩しているうちになくなっちゃったよ」と報告。だが、「ばかねー。貴方、知っててそこに置きっ放しにしておいたの?なくなるに決まっているでしょう」と一喝されて終り。(お前が置いていった硬貨なんだけどね・・・、ぶつぶつ)。

   夕方6:00、絶好調で走り続けているかと思ったら、パンク。真っ暗になったら危険ではないかと心配していると、あっさり修理完了。再び出発。

 6:30、高速を降りて玉山市に入る。周囲は徐々に暗くなり始める。舗装工事中の道を埃をたてながらバスは進んでいく。私たちがベッドから降りて、通路で目的地への到着を待っていると、バスのオーナーらしき人物が話し掛けてきた。「いいね、お兄ちゃんはこんなに可愛い彼女がいて」。(あまり持ち上げないでくれ、こいつはすぐに調子に乗るんだから)。横にいるPの顔をみると、案の定、顔をほころばせて両眼をきらきら輝かせている。「給料たくさんもらっているんだろーね」。「俺ももうちょっと甲斐性があったら、こんな奥さんを娶ったんだが」とこれまでの沈黙が嘘だったかのように話が続く。夜の闇は人の心を浮き立たせるのだろうか。
嵐の予感
 7:00、とうとう目的の地に到着。バスのオーナーに別れを告げて下車。

 実はこの玉山市(三清山の所在地)に来たのは一緒に旅行しているPの強い要望があったからだ。Pの大親友Dがここに住んでいるので、是非とも会いたいのだという(私も一度だけ面識がある。2ヶ月ほど前にその大親友Dがわざわざ深センまできて自分の誕生日のお祝いをした際、Pに連れられて食事会に参加したのだ)。一般に、中国人の友達関係は日本人にとっては面倒のもとだ。だから何度も断ったのだが、とうとう押し切られてここまで来るはめになってしまった。Pが喜ぶならばそれもいいかと思ったのだが、バスを降りてDを待っていると不安が心に重くのしかかる。

 15分ほどでDとDの妹と親戚?の3人の女性が一台のバイクにのって現れた。Pと大親友Dはピョンピョンと跳びはねるようにして感激を身体で現す。もっとも本気で跳びはねているのはPだけでDの方はつられて仕方なくやっているような感じではあった。

 PとDがお互いの近況を語り合っていると、Dの友人の一人が自動車にのって現れた。私たちをホテルまで送るために、わざわざ頼んでくれたらしい。大変な気の使いようだ。私たちを後部座席に乗せて、Dが助手席に座った。あとの二人はバイクに乗って後を追ってくる。

 7:30、「玉海大酒店」到着。Dがお金を払ってチェックインを済ませておいてくれたので、そのまま部屋まで直行。別の人の代わりにチェックインしておくなんてことができるんだなぁ、と感心ひとしきり。勉強になった。

 荷物をおいて、さっそく食事。ホテルの中にあるレストランで個室に配置されたテーブルを囲んでおしゃべりをしながら料理を楽しむ。途中でDの彼であるEも登場。Dが深センにきたときEも一緒にきたので私も面識がある。ただ、私が酒を飲まない人間だと知って、面白くないらしく、彼の私に対する印象はあまりよくない。今日も、ちょっと顔を出しただけですぐに去っていった。

 中国人は割り勘ということをほとんどやらない。食事したうちの誰かが一人で全部を払うのが一般的だ。慣れないうちはとまどうが、ある意味便利なシステムでもある。中国では貧富の差が激しいから割り勘で食事をするとなると一番低い人のレベルに合わせなければなくなるので、事実上一緒に食事をすることができなくなってしまう。だから、お金を持っている人が払ってしまうほうが話しが簡単なのだ。
 ところがお金を持っている人が二人いると話がややこしいことになってしまう。両者が、我こそが支払いをしようとやっきになるからだ。大げさではなく、ときに殴り合いともいえるほどの争いが展開されるのだ。(ほんとですよ)。
 
 今回も、歓迎する側のDとPの間で激烈な支払い競争が始まった。まず、入り口に一番近い席にいたPが服務員のもってきた清算書をゲット、慌ててそれを奪い取ろうとするD、両者は立ち上がり部屋の外に向かって走り出した。お金さえ払ってしまえば勝ちというわけだ。両者の右手にはいつの間にか紙幣が握られている。ダッシュ競争はPの勝ちで、先に外に出てドアをバタンとしめた。あとを追うようにして手を伸ばしたDの手首がドアに挟まれたのだろう。「イタイ、イタイ!」という声が聞こえる。Pはそれにも構わず、ドアを閉めたまま服務員にお金を支払っているようだ。

 しばらくして、会心の笑みを浮かべたPがドアを開けて部屋の中に戻ってきた。Dは「まったくもう、痣になっちゃったわよ。見なさいよ、この手首」と訴える(ほんとに大きな紫の痣ができているのだ)。Pが「ゴメン、ゴメン」と謝る。これで、支払い競争がまるく収まるのだ。両者とも精一杯支払いの意思をみせて格好がつくのである。日本人にはとても真似ができない技だ。
 
 会計が終わって、談笑が続く中、ひと足先に部屋に戻る。今日は雨の中を列車とバスで大移動し身体がクタクタなのだ。シャワーを浴びて、ベッドに潜り込む。20分ほどしてPが部屋に入ってきた。しばらくゴソゴソと手荷物を整理したあと、「今から皆で踊りにいくの。早く準備して」と私に向かって宣言した。「俺は行かないよ。今日は疲れているから(疲れてなくても行かないが)」。「そんなこと言ってないで、私の友達が歓迎の意味で連れて行ってくれるんだから、一緒に行きましょうよ」。「行かない!」と掛け布団を被る私。ここで妥協したら、夜中まで踊ったり、歌ったりと休む暇がないに決まっている。明日は山登りをしなければならないのだ。無理をして足元がふらついていたら崖から滑り落ちかねない。「だったら勝手にしなさい!」とPは大爆発を起こし、猛烈な勢いで部屋を出て行った。
 
 静寂の戻った部屋で私はバスを降りたときに感じた予感が現実のものとなるのを覚悟した。中国人の遊びにはホドホドにしておくということがない。疲れきって倒れるところまでやるのだ。余程外向的な性格の日本人でも付き合いきれない部分があるというのに、私のような内向的な人間では、とてもではないが彼らのペースに合わせきれない。私のPは外国人に対する理解というものがほとんどないから、終始一貫して「中国に来たのだから中国のやり方でやれ」という思想である。私とPの二人だけの場合は標準というものがないからあまり問題は起こらないのであるが、大勢の中国人といるときはやばい。本来は私の行動を外国人の行動としてうまく説明に回ってくれなければならない立場のPがまっさきに私を責めるのだ。やはり、ここに来たのは失敗だったかもしれない。

 12時近くなって、ようやくPが戻ってきた。明日は山登りを控えているから早めに切り上げてきたのだという。私が一緒に来なかったことが不満なのだろう。言葉に出しこそしなかったが、ずっとふくれっ面をしたまま床についた。うーん、嵐がやってきそうな予感。
2003年8月17日
恐怖のロープウェー
 朝7:50、ホテルで中華バイキングの朝食をとる。バイキングといっても肉マンや野菜マンが数種類と焼きそば、お粥とうがあるだけの簡単なものだが、味は悪くない。今日の運動量は相当なものだろうからと、たらふく食べておく。

 8:10、Dとその友人のBが車を手配して迎えにきた。お金は払ってくれてあるらしい。いたりつくせりで、ありがたいと言えばありがたい話だが、どうも調子が狂う。これでは旅ではなく、ただ遊びにきただけだ。旅は苦労を伴ってこそ!と心の中で大声を上げるが、それがPの耳に届くわけもない。バス嫌いのPにとっては乗用車を手配してくれる知人は感謝してもしきれない存在なのだ。

 8:20、途中の駄菓子屋でお菓子を買って再び出発。女の旅に食べ物は欠かせないということらしい。

 9:15、三清山のふもとに到着。長いロープウェーが見える。片道40分という驚異の乗車時間だ。「廬山」の時でさえ、片道は20分、今回はその倍である。かなりおっかない。切符売り場に並ぶとPとDの知人(女性)の間でまたもや支払い競争が勃発。またもや相手の手首をつかみ合っている。Pに言わせると、私が支払いをすればここまでの争いをしないでも済むものらしいが、そもそも支払いをするために先を争うという感覚自体についていくことができない。文化の溝が深いなぁ。
 今回の支払い競争は結局Dの知人の勝利。私とPが一つのゴンドラに、Dとその知人がもう一つに乗って上がっていく。

 40分のロープウェーはさすがに長い。怖いを通り越して諦めの境地に達することができる。下にある「ロープウェー2」の写真を拡大してみて欲しい。こんな急な張り出しが許されるのだろうか、ほとんど真っ直ぐ上に伸びている。日本ではありえない。そう確信する。(実際はわからないが)。

【ロープウェー1】

 

【ロープウェー2】

 

【ロープウェー3】

 

【中腹のホテル群】

 

 いくつもの山を越えてようやく終点に到着。我々がロープウェーで40分もかけて上がってきた場所ではあったが、その下には細い山道が走っており、そこを商品を担いで登っている男達が大勢いた。ロープウェー代は往復85RMB、登りだけだと45RMBらしい。そのコストを払うよりも担いで登ったほうが安いのでああやって登るのだろうから、労賃もわずかなものだろう。大変な職業である。 

 ロープウェイを降りて、少し登ったところにホテル群がある。(三清山の見所は多く、きちんと全部見て回るためには一日では足りない)。中途にあるホテルの一角で、お茶を飲んで4人でひと休憩。そこで、Dが「私達はここで待っているから、あとは貴方達でいってらっしゃい」と言い出した。「えー、キミ達はいかないのか?」と私は慌てて問い返した。すると、「私達は去年来たから」  とつれない返事。聞いてみると、「三清山」が観光客向けに整備されてオープンしたのは、ほんの数年前のことらしい。地元の彼女達も登ったのは昨年が初めてだという。だったら、もう一度ぐらい登ったっていいじゃないかと思ったが、あるいは私達を二人きりにしてやろうという心遣いかもしれない。そう考えて、DとBを残して再び出発した。

天まで届け!

 延々と続く石造りの階段。脚はたちまちガタガタとなる。だが幸いなことに、廬山と異なり全ての路に手すりがついているので、恐怖に足がすくむということはない。中途の店で棒切れで作った杖が1RMBで売っていたので、二人とも購入し強行軍に備えた。しばらく登ると、路が二手に分かれている場所にぶつかった。左手はなだらかで、右手は急な登り路だ。左から行けば右から降りてくることになり、右から行けば左から降りてくるというように一周して山全体が見渡せるようになっているらしい。

 イチゴのショートケーキがあれば、イチゴを最後に食べるのが私の性格。迷わず険しそうな右の坂道を選んだ。ところが、登り進むに連れ、不思議なことに気づいた。行けども行けども、私達と同じ方向に進む人たちが見つからない。一方、向こう側から下ってくる人たちは後を絶たない。

 その謎が解けたのは、しばらくして「一線天」という記された岩が見えてきたときだった。「一線天」とは恐らく「天に一直線に続く」という意味。その名がつけられていたのは、まさしく天まで伸びていきそうなほど長い、そして急な傾斜を伴った石段であった。この傾斜を登るのを避けるために、他の観光客は私達とは逆の方向を進んでいったのだ。恐れを知らぬと思われていた中国人の観光客たちでさえ、両端にある手すりにつかまりながら、おっかなびっくりという様子でそろそろと降りてくる。それも当然だ。足を踏み外そうものなら、一番下の段まで転げ落ちていくこと間違いなしというほどの急激に切りあがった石段なのだから。

 (どうしたものか・・・)。上を見上げて呆然と立ち尽くす私を、Pは突き刺すような言葉で責め立てた。「ホラッ、私の言った通りじゃない。左から行けばここは下って来れたのに!」。
 グッ、このアマ。そんなこと言ってたかお前?と疑問符がつくが、何しろ中国語で言われたのでは聞いていても耳に入っていないことが多い。口を閉じて耐えるしかない。とにかく最初の一歩を踏み出そうと努力している私を後に、Pは軽い足取りでトットと登り始めた。

【一線天1】

 

【一線天2】

 

【一線天3】

 

 小柄な体でするすると上がってゆく彼女を、半ば這いずるようにして追っていく私。うーん、惨めだぞ。だいたい何であんなに速いのだ。私はすでに旅の疲れがピークに達しつつあるのに、彼女ときたら日に日に元気になっていく。一昨日、「廬山」に上ったときはこれほどの活力はなかったぞ。あるいは、都会の暮らしでなまった体がここ数日の強行軍で昔の強さを取り戻したのだろうか。うらやましいというか、底知れないというか。

 一線天を登り終わったところで、下を眺めてみる。すごい、ここを登ってきたのか。階段の出だしがみえないぞ。

ネットサーファーへの挑戦!

 これで登るのは終わりかと思ったら大間違い。一直線でこそなくなったものの、クネクネと曲がりながら登り階段が無限に続いてゆく。階段と階段の合い間に、小さな旅館や土産物屋がぽつぽつと建っている。そのうちの一つで記念メダルを購入。表には三清山、裏に干支の動物が描かれている。そこに小型電気ドリルで誕生日を彫りこんでもらって、一枚10RMB。なんで、誕生日を彫りこむのだろうか。やるなら、ここに来た日であるべきだろうと疑問がわく。しかし、Pは不思議には思っていないらしく、「Dの分も買わなくては、Bの分も!私たち皆鶏年なのよ」と夢中だ。確かに友人の分まで買うとなると、彫りこむのは誕生日でなくてはならない。そこを狙っているのか。恐るべし、中国商人。

【三清山の木々<1>】

 

 踊り場と石段が繰り返し続く長い道のりを終えて、ようやくなだらかな道に入る。先ほどまでは石段にしがみつくように登るばかりで、周りの風景どころではなかったがようやく、辺りを見回す余裕が出てきた。
 Pは元気が有り余っている様子で、今にもスキップでも始めそうだ。まったくついてゆけない。残念がっていると、「ホラ、XXX(私の名前)!この山の木はみんな面白い形をしてるわね。上の方しか葉っぱがないよ」とPが私を振り向いて言った(上の写真をご覧ください)。
 ふーん。確かにその通りだ。まるで盆栽を大きくしたような(多分)松の木が岩の上にひょこひょこと生えている。しかし、自然にできた形にしては不自然すぎる。
 「あれは、人が手で切ってるんだよ。格好よくなるようにさ。自然にあんな風になるわけないだろ!」
 「そんな事ないわよ。あれは、ああいう形なのよ」
 「絶対に、人が手で切っているに決まっている!」
 「そう、だったら、あれはどうなのよ。あんなところまで登って行って切るの。そんなわけないでしょう。全く馬鹿ねぇー」とPは別の方向を指差した(下の写真をご覧ください)。
 んっ?うっ。こっこれは。いくら中国人でも、わざわざ、あそこまで切りにいくとは考えにくい。ならば予め切っておいて、ヘリコプターで運んでいったのだろうか。コストがかかり過ぎる。それはないな。
 「ムッ、これは、もしかしたら、お前が正しいかもしれないなぁ。でも、考えられないけどなぁ。普通は・・・」と途端に弱気になる私であった。
 Pは小さな顔をにんまりとさせて「わかった?お馬鹿さん!」と勝ち誇った声を出した。
 クーッ、悔しい!こいつに馬鹿にされるとは。そもそも、事実はまだわかっとらんのだ。だか、今はそれを証明するすべがない。自然の形だという可能性も残されているしなぁ。

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 さて、皆さんに質問です。下の写真にある上のほうだけ葉が集まっている(多分)松の木は、どのようにしてできたものなのでしょう。

やはり、中国人のスタッフが登って行って、頑張って切った。木は無数にあるものの、スタッフも無数にいる。きっと山の民が切ったに違いない。
ふふっ、皆さん知らないな。あれは木が小さなうちに、下の枝が生えないようにしておくのだよ。そうすれば大きくなってああいう形になるのさ。
標高の高い山では気候によって、松はああいう形になることがあるんだ。そんなことも知らなかったのか。
その他

 回答をご存知の方は、私宛にメールを頂ければありがたく存じます。

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【三清山の木々<2>】

 

【回首厓】

奇岩の宝庫

 しばらくすると、長い石のベンチが並べられている道に出た。ここから一本枝分かれした小道があって、登って行くと小さな高台に出る。Pが突然、「ここが頂上よ!」と宣言をした。
 「何でわかるんだ?」
 「理由なんかないわ。頂上だと言ったら、頂上なのよ。さあ、写真をとって!」
 (お前は超能力者かーーー!)とあきれる。
 「さっ、降りよう、降りよう」とPを無視して、階段を下り始める。
 「写真ーー、写真とってーー」
 (ここまで来る間、何十枚とったと思っているんだ。無視、無視)
 「写真とるまで、ここから動かないからね」
 (どうぞ、ご勝手に)
 私はさっきの分かれ道に戻り、ベンチに横になった。ふっー、ここで疲れを癒そう。目を閉じて休憩に入る。

 5分ほどしたところで、私たちがやってきた反対方向から40代とみられるカップルがやってきた。さきほどの小道の前で、登ろうか、登るまいかを相談している。彼らも体力を節約したいのだろう。
 「上は何もありませんよ。ただ、この山の頂上だという話もあります」とアドバイスをしてやる。二人は「ありがとう」と言って登って行った。

 さらに5分が経ったところで、二人組みが戻ってきて、私たちがやってきた方向に去って行く。(あれっ?奴はどうしたんだ)と少し心配になり始める。(本当に強情な奴だな。まぁ、俺は疲れているんだ。ゆっくり休ませてもらおう)と再び目を閉じる。・・・・が、しばらく待っても全く降りてくる様子がない。うーーん、このまま待っていても永遠に降りてきそうもないな。そう思い、体を起こし立ち上がる。疲れもだいぶ癒えたようだ。体が軽い。 

 「おーい、XXX(Pの名前)。何やってるんだー。降りてこいよー」と声をかけながら登ってゆく。(もしや、崖から落ちてやしないだろうな)と恐る恐る階段の上を覗き込むと、隅のほうにうずくまっていたPが立ち上がって、少し疲れた様子で「来たのね」と答えた。どうやら、根負けしたくない一心で頑張っていたらしい。なんという負けず嫌い。男の子供がやるのなら理解できるのだが、女の子がなー?と首を傾げたくなる。この子だけが特別なのか、中国人では当たり前なのか。 

【寝転んで休憩したベンチ】

 

 三清山の見所は、なんと言っても、数々の奇岩である。私たちが登った日は霧が出ており、はっきりと姿のみえないことが多かったが、それが却って怪しげな雰囲気をかもし出して面白かった。下の司春女神の岩など、今にも立ち上がって動き出しそうにみえる。

【司春女神】

 

 奇岩というと昆明の「石林」が有名だ。だが、「石林」は観光地としての整備が進みすぎていて人工的な匂いが強く好きになれなかった。三清山では、山々の合い間、木々の合い間からぬぅーと、突然、奇妙で巨大な岩が現れるから驚きが胸の中に飛び込んでくるような感じがする。私は芸術とはとんと縁のないタイプであるのに、三清山から戻ってからしばらくは、工場の庭や食堂に置いてある飾り用の石をみるたびに、「おっ、これは良い石だ」とか「うーん、これは面白くないな」と自然に反応してしまうほどであった。

【奇岩<名前忘れた>】

 

 

【福寿双全】

 

 午後1:45、たどり着いたのは岩山に出来た裂け目を走る二つの石段。この岩山は「福寿双全」と名づけられていて、上の写真の右側を抜けてくると「長生き」ができ、左側を抜けてくると「幸福」になれる、とのことであった。我々二人はこの言われを全く知らずに降りてきて、Pは「幸福」の石段、私は「長寿」の石段を抜けてきた。運命はどのような結果を用意してくれているのであろうか。と感慨にふけっていると、後から(というから前からきた)他の観光客はあたふたと往復を繰り返し、右と左の石段を両方とも潜り抜けていた。頭がいい。神をも欺く人民たちよ。

【三清山の道】

 

 「福寿双全」を抜けるとようやく下りの一本道、視界の下のほうにロープウェイが入り始め一安心だ。今まで山陰に隠れて見えなかった歩道の構造まで見通せる。今まで岩の上を歩いているのだとばかり思っていたのだが、大間違い。垂直の崖に取り付けらた薄いコンクリートの上に作られた歩道だったのだ。大半の部分には支えとなる柱すら見えない。急に足元が不安になる。そもそも、この歩道と崖下を切り分けているのは、樹木の枝をかたどったコンクリートの柵のみ。柵は直径5cmの円柱を、手すりと2m間隔で据えられている支柱の部分そして、その間を斜めに走らせているだけの空き空きの構造である。危ないったらありゃしない。(それでも、「廬山」の柵なしよりはましだが)。

 2:20、ようやくD達の待っている山荘に辿りつき、遅い昼食。体は疲れきっているが、食欲は衰えていない。山登りで消費したカロリーを一気に回収する。道理で痩せないわけだ。

 3:30、ロープウェイに乗ってふもとまで降り、Dが手配してくれた車に乗ってホテルへ戻る。(ホテル着、5:40)。

嵐の到来

 6:00、ベッドでゴロゴロしていると、Pが「食事に行くわよ」と声をかけてきた。「Dが友人を集めて食事会を開いてくれるの。早く準備して!」と続けていう。私の回答を予想しているのか、かなり不機嫌な様子だ。私の答えは決まっている。「行かないよ。だいたい、食事って、ついさっき食べたばかりじゃないか」。

「XXX△▲△▲」。「■◇!」。---と言い合いが続く。

 結局、「だったら、イイワヨ。勝手にしなさい」。「そうさせてもらうよ」で終わり。Pは飛び出して行った。

 ふっー、とため息をつく。
 世話になったのだから付き合ってやればいいのに。そう思われる方もおられるかもしれない。だが、中国の習慣ではお客を休ませることなく、楽しませることが歓迎を意味する。ここで妥協したら最後、これから夜中まで6時間以上も休む暇もなく動き回る羽目になるのだ。無茶ができない体質の私には、とてもではないが付き合いきれない。

 しばらく休んだ後、散歩に出かける。
 2人の旅行は楽しい反面、問題も多い。「Pが求める旅」と「私が求める旅」とが全く一致しないからなおさらだ。Pの旅は、皆で一緒に楽しむことがメインであり、旅のプロセスはその添え物に過ぎない。私の旅は、旅のプロセスが主で自分の楽しさはそれに付随するものでしかない。
 このような街の散策など、Pにとっては全くわけのわからない代物であろう。一方、私にしてみれば、食事はともかく、それに続くカラオケやディスコ(クラブ?)などは旅の貴重な時間を無駄に過ごしているとしか思えない。
 果たして、こんな関係を続けて行けるのだろか。あるいは、私が妥協すべきなのか。そんな想いが頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えて行く。

【玉山市の夜景】

 

 玉山市は整備された道路が広がっている大きな街だ。ただ、女性が人力車をこいでいたり、6人乗りのバイタクがあったりするのを見る限りでは、平均所得は高くないようだ。きっと、上海へ出る人たちに交通の要所として利用され大きくなってきたのだろう。もっとも、「三清山」という有望な観光地を抱えている。観光都市として大いに発展していく可能性もある。

 散歩が終わってホテルに戻り、ベッドに潜り込んで体を休める。
 ウトウトとし始めた頃、Pが戻ってきた。もう12時になろうとしている。聞いてみると、案の定、食事→カラオケ→ディスコのルートだったらしい。それでも、「友人たちが疲れているだろうと気を使ってくれて、早く帰してくれたのよ」と言う。(ふー、行かなくて良かった・・・)。
 
 Pが落ち着いたところで、明日の予定について話をする。すると、Pが「明日はDの友達が送って行ってくれることになったの」と言い始めた。(オイ、田舎に遊びに来てるんじゃねぇ。俺は旅をしに来ているんだ。何でもかんでも手配してもらっていたら意味がねぇだろ!)と怒りに燃える私。さっそく、「それ、もう決めてきたの?」と戦闘体勢に入る。「そうよ。いけない?」。

「XXX△◇▲」。「■◇△▲!」。「△▲XXX?」。「■◇△▲!」。---と言い合いが続く。

結局、「だったら、お前一人で行けよ。俺は先に帰るから」。「そうするわ」で話は物別れに。

2003年8月18日
戦いは続く
 早朝6:30、眠るPを背後に出発の準備を終えた。(最悪の結果になったなぁ)と心でため息をつき、バッグのチャックを閉じる。Dが来てからでは話がややこしくなる。その前に出発しておかなければならない。と、後ろでガバッと布団を跳ね除ける音が聞こえた。
 「どこに行くの?」
 「南昌にでもいくよ」
 「黙っていくなんてひどいじゃない」
 「いや、声をかけてから行くつもりだった」
 「うそつき」
 「○○◎◎」。
 「◎◎●●○○」。

 と、話が続いて最後にPが折れ仲直りに成功。予定通り、Pの実家である貴渓市に向かうことになった。良かった、良かった。

 9:00、Dが支払ってくれた分をフロントに預け、返してもらうように手配する。そして、チェックアウト。PがDに電話で言い訳をしている。ちょっと可哀相なことになったが仕方がない。

 ホテル近くにあった人力車をつかまえ、列車の駅に到着。
 ここで、トラブル発生。5RMB紙幣を渡したところ、駅まで2RMBで話をつけたはずの運転手が、それは一人2RMBという意味で2人で4RMBだと言い始めたのだ。だが、人力車に乗って、この距離で4RMBはありえない。そんなに儲かったら、バイタクが成立しなくなる。あきらかにボッタクリだ。ゆっ、許せーん。

 「だったら、お金を全部返せ。金は払わん」と運転手の手にある金を引っ張り戻そうとする私。運転手はすばやく手をひっこめ、それを避けた。
 「2RMBって言ったんだから、約束を守れよ!」
 「一人で2RMB。だから全部で4RMBなんだ!」
 (ぐぐっ、こんなところでボッタクリ人力車に遭うとは思わず、油断していた。細かい取り決めをしとくんだった)と後悔するが、時すでに遅し。だが、これぐらいでは負けられない。
 「あそこから4RMBなんて、ありえない!バイタクよりも高いじゃないか」
 「4RMBっていったら、4RMBなんだよ!」と席から立ち上がる運転手。
 (げっ、やる気だぞ。運転手。やばいなー)と少し不安になるが、対決姿勢は崩さず堪える。
 と、ここで助け舟が!
 「どうしたの?」と周りのバイタクや人力車の運転手が声をかけてきたのだ。
 「2RMBっていったのに、今になって4RMBって言い出すんだよ」と私が訴えると、
 運転手も「一人2RMBっていっただろ!」とやり返す。
 すると、一人のおばさんが、「どこからなの?」と聞き返した。
 ここで運転手はさすがに場所を言い辛かったのか、戦闘を放棄した。
 「わかったよ。2RMBでいいよ」とお釣りの3RMBを手渡してきた。
 ふー、危機一髪。お金はともかく敗戦記録は作れんからなぁ。

 苦労して辿りついた駅だったが、午前の便はすでに出発してしまい、次の便は午後になるまで来ないという。ホテルをチェックアウトしてしまった今、いくらなんでも、午後までここでブラブラしていられない。バスで行くことにし、長距離バス・ステーションまでバイタクを飛ばすことになった。

 9:40、バス・ステーションまではすんなり到着し、切符も一人20RMBで無事購入できた。10:40発だ。まだ1時間ほどあるので、喫茶店で時間を潰そうかと考えたが深センと違って、どこにでもあるというわけではない。結局、小汚い中華ファーストフード店で過ごすことになった。

 10:40、バス・ステーションに戻ったが、バスがなかなか来ない。待ちかねて入り口のところで立っていると、すぐそばにもう一組同じようにカップルがバスを待っているのが眼に入った。どこかで見たような?と記憶を探ってみると、昨日三清山で出会った中年のカップルではないか。ほぼ同時に向こうも気づいたらしく、親しげに声かけてきた。思わぬ偶然にしばし時を忘れて話込む。

 11:00、ようやくバスが発車。埃っぽい道路をがたがたと走りつづけること2時間ちょっと。1:20、貴渓着。さっそくホテルにチェックイン(140RMB)。Pの記憶によると、貴渓で一番大きなホテルということだったが、中はボロボロ。あとで服務員にきいてみると、来年取り壊しの予定とのこと。

 1:50、貴渓市一?と思われるレストランで食事。もちろん、中華。Pが育ったのは農村で、こちらに引っ越してきてからはほとんど家にいたことがなく、外地(外の省)で仕事をしていたらしい。だから、この街にはあまり詳しくなく、むしろ農村時代によく遊びにいった隣の市(鷹潭市)の方が気に入っているらしい。そこで、食事後は鷹潭市へ行くことになった。

 2:20、バン型タクシーをつかまえ、鷹潭市まで25RMBでいくことで話をつける。ところが、走り初めて5分も経たないうちに故障し、動かなくなってしまった。しばらく様子をみていたが、当分直りそうもない。「別の車を探すよ」というと、「そうしてくれ」とのこと。そこで、車を離れようとすると、運転手から「待った」の声がかかった。お金を払ってくれという。客に迷惑をかけておいて、金をくれとは納得がいかない。だが、ゼロというのも可哀相だ。
 「なら3RMBね」とお金を取り出す。 
 「だめだ。こんな遠くまできたんだ。最低でも5RMBくれ」
 「ふざけるな。故障はお前の責任だ。本当なら一銭も払わないところだぞ」と激論体勢。
 ここで、Pが「払ってやりなさいよ」と甘いことをいう。この旅行で気づいたことだが、Pはどういうわけかタクシーの運転手にやさしい。親戚に運転手をやっている人でもいるのだろうか。ともあれ、味方が敵に寝返っては話にならない。仕方がなく、5RMBを取り出した。「じゃあ、ここから鷹潭市まで行く車が20RMBで見つかるんだろうな」というと、「俺の取り分と合わせて、25RMBよこせ。それで話をつけてきてやる」と答えが返ってきた。うーん、自分で見つけたほうがいいかなーと悩んでいると、Pがはやく渡してやりなさいよと眼でせっつく。やりにくいったらありゃしない。あきらめて、25RMBを運転手に手渡した。運転手はすばやく座席を降りると、とおりがかった最初のバン型タクシーに声をかけ話しをつけてきた。

【貴渓市の川】

 

【故障したバン型タクシー】

 

 車をかえて再出発。が、このタクシーがオンボロで最悪の乗り心地。やはり、自分で確認すべきであったと後悔ひとしきり。もっとも、車に酔いやすいPはさらに大変であったことだろう。

Pの忠告

 3:00、鷹潭市着。Pの言うと通り、この街は貴渓市の数倍は大きそうだ。三清山のあった玉山市はここよりもさらに大きいはずだが、夜中しか歩き回ることができなかったので、印象としては鷹潭市のほうが大きく感じた。ただ、街は大きくても発展スピードは大分鈍ってきているらしく、少し古ぼけたような建物が多かった。Pも記憶にある街の様子と実際の街がかみ合わないらしく、少し戸惑っているようであった。

【鷹潭市の目抜き通り】

 

【鷹潭市の中心から少し外れた通り】

 

 それでも久しぶりに来たことが嬉しいのだろう。あっちへ行こう、こっちへ行こうと私を引きずりまわす。私も街ウォッチが趣味の一つだから、けっこう喜んでついてゆく。江西省の外れにある、観光地でもない小さな都市を訪れる機会はそうそうあるものではない。ゆっくり堪能させてもらおう。そう思ったが、さしたる特色もないなあと考え始めていたところで肉まん売りを発見。おおっ、緑色の肉まんがある。これは初めてだ。さっそく一つ買って味見をする。うむ、おいしい。何で緑色なのかはわからんが。

【鷹潭市の肉まん】

 

 ここで突然、Pが「旅行中にとった写真を印刷して!」と言い出した。「デジタル・カメラの印刷はこんなところでは無理だよ。深センでさえ最近入ったばかりなのに」と言ってみたが、耳に入らないようだ。「絶対にあるわ!」といって、写真屋に片っ端から入り始めた。しまいに、タクシーに乗って写真屋めぐりをし出す。(無理だって!)と心でうめきながらついていく私。
 ・・・が、あった。ようやく辿りついた一軒の写真屋の上に「デジタル写真印刷可」と言う看板が出ているではないか。ホラね!と言わんばかりの態度でPは中に入って行った。
 ちょうど店先に出ていたオーナーらしき人物にPが値段を尋ねる。「1枚15RMB」と回答が返ってきた。「そんなわけないでしょ。深センでは一枚1.4RMBなのよ」とPが突っかかるが、「それは大型の機械の場合だ。この街にはそういった大型の印刷機はまだ入ってきていないんだ。この小さな機械じゃ、1枚15RMBでしか印刷できないんだよ」と落ち着いた声が返ってきた。Pは途端にショボンとする。こういうときは一体何を考えているのだろう?
 「他にもあるかもしれないよ。もっと探してみようよ」と私が懸命に慰める。
 「無理よ。この街にはないのよ」と確信ありげにPが答えた。さっきまで「必ずある」と自信満々だったのに、こんどは「絶対ない」と信じ切っているのだ。この切り替えの早さは日本人には真似できない。

  写真屋巡りが一段落すると、今度は「髪が洗いたい」と言い出した。
  中国の理容室では、「洗髪」が単独のサービスとして重要な位置を占めている。約40分かけてマッサージを繰り返しながら丹念に2度洗う。痛いほど引っ張られるので、日本人の中にはこれを嫌い中国の理容室には一切行かないという人もいるほどだ。逆に、中国の理容室に慣れると、日本の理容室では物足りなくなることだろう。「洗髪」も中(国)式、日(本)式、泰(国)式があり、中式は椅子に座って日式・泰式はベッドに横たわって髪を洗ってもらうことになる。「洗顔」もあって、大変気持ちがいい。顔の筋肉をほぐしてくれるので、老化防止にもいいかもしれない。
 
 Pの要望に応じて、理容室で時を過ごしたのち外へ出ると、当たりはもう薄暗くなっていた。お腹も空いてきたので、夕食をとる場所を探す。街の中心地であるにも関わらず、意外と手ごろなレストランがない。せっかくだから、江西らしい料理が食べたいなぁとウロウロしているところで、中華屋台村に出た。
 中華屋台村と行っても、この場合、屋台が一杯出ているわけではない。建築が終わったばかりの真新しいマンション街の一階に4,5軒の食堂があり、その食堂が各々道路一杯にテーブルを広げて営業をしているのだ。そういった食堂がまだ作りかけの道路の両脇に一定の距離を開いて営業しているから、4,50メートルの道路がプラスチックのテーブルと椅子で一杯になっている。お客は好きなところに座って、好きなお店に注文を出せるというわけだ。

 Pはこうした賑やかな雰囲気が大好きだ。調子にのってアレコレと注文する。ちょっと多すぎるんじゃないかなと心配していると、案の定、4人前ぐらいの料理が盛られたお皿が4つも出てきた。ものすごい量だ。お店の人も恐縮した顔をしている。Pが「量を少なくして、良い材料を使ってっていったのに!」と声を張り上げる。(こんな小さな食堂の料理人にそんな難しいこと言っても無理に決まっているだろ。だいたい材料に選択の余地がないだろうに)とは私の心の声である。この相手の状況を全く考慮せず要求を(あいまいに)出す能力は驚嘆に値する。あるいは、無駄使いの責任を料理人に押し付けるパフォーマンスであったのかもしれない。

 料理は不必要なほどの量であったけれども、味は良かった。江西省の料理は日本人向きだ。軽い塩味を基本としているので食べやすい。Pも故郷の料理を堪能できて上機嫌だ。そう思って油断していたら、突然Pがまじめな顔をして私を見つめ「あなたねぇ、たった数RMBのことでタクシーの運転手とやりあうんじゃないわよ」と口にした。どうやら、ここ数日のタクシーや人力車とのことを指しているらしい。私がタクシー相手に真剣に値切っているのが気にいらないのだ。
 確かに中国の水準で言えば高い給料をもらっているし、日本にいた時には考えられないような無駄遣いをすることもある。しかし、私は数RMBのことだったら気にしなくてもよいほどの金持ちではない。単に物価の差額と順応性の高い体の恩恵を受けているだけのことなのだ。だから、本来の自分の生活レベルを忘れてお大尽のように振舞うわけにはいかない。ともすれば忘れてしまいがちなこの事実を自分の肝に銘じるために、タクシーの運ちゃんとの値切り交渉は極力真剣にやるようにしている。
 また、タクシーの運転手との値切り交渉は仕事にも役立つ。中国の物の価格に定価が定まっていることはほとんどない。業者は大抵、個々の相手をみて価格を決める。だから、普段から値切り癖をつけていないととんでもない高い買い物をするハメになるのだ。逆に、まめに値切るようにしておけば、毎回の値切り幅が少なくて済むから突然に大きく価格が変化することがなく、業者も助かるのである。
 
 そもそも、大阪出身ではない私にとって、値切り交渉という行為は本来の生活の中にない。自分に訓練を課してようやく維持できる代物だ。それだけの想いを託してやっている値切り交渉を「たった数RMBのことでタクシーの運転手とやりあうんじゃないわよ」と面子だけの問題として片付けられてはかなわない。当然、反論に出る。
 「XXX▲▲▲○○○◇◇◇・・・・・・」と上に述べたことを延々と述べたが、全く理解してもらえない。本能だけで生きているようなPにこんな話をした私が馬鹿だった。そこで、話し方を変える。
 「わかった。お前がお金を出すときには、好きなだけ気前よくしてくれ。だが、俺がお金を払うときには口を出すな。たとえ1RMBであっても俺が必死になって働いて稼いだ金だ。天から降ってきたわけじゃない。タクシーの運ちゃんとやりあうことに何の恥も感じないよ俺は。わかったか?」
 Pは目を丸くして頷いた。実際、目を丸くしたいのは私の方だ。何で自分が払っているわけでもないお金の使い方について意見を言えるのだ。最近、会社の中国人スタッフと討論して圧勝できる回数が増えたのは、このPといつもやりあっているせいじゃないのか。ある意味ありがたい存在だ、とわけのわからない悟りに達した。

 食事を終えると、すでに8時近くになっていた。すぐに貴渓に帰るのかなを思いきや、少し散歩をしたいという。そこで、大橋のある河のところまで行って夕涼み。街の人たちも大勢来ている。日本だったら祭りの日かと思うぐらいの人数であった。

 8:50、バン型タクシーをつかまえて、再び貴渓へ(9:30着)。Pの家(マンション)に着いてみると、家族全員、すでに寝ていた。田舎の夜は早い。Pが大声で何度も怒鳴ると、ようやく返事があり、総員6人が寝巻き姿で現れた。家は内装がきちんとされており、それなりに立派だ。家族に紹介を受けたあと、私たち2人は再び外へ。今度はホテルそばの大橋の前で少し話し込む。そしてホテルの前でお別れ。

 部屋に入って、シャワーを浴びようとしたところ、バスタオルが見当たらない。フロントに電話をして尋ねると、当ホテルはバスタオルは備え付けていないとのこと。代わりに使い捨ての小さなタオルがおいてあるという。(どんなホテルじゃ!)と思いながらタオルを探してみると、確かにうすぺらな小さなタオルがおいてある。だが、とても全身の水気をとれそうもない。諦めて、持ってきた自分のタオルを使用することにした。その他、トイレの水は流れない。シャワーは途中で止まる等、トラブルの尽きないホテルであった。取り壊し寸前ではやむ負えないのかもしれないが、無理して営業しなくていいのに。

【貴渓市の大橋】

 

2003年8月19日
定番、最後はトラブルで!
 午前中はPと貴渓市の中心をブラブラと歩く。昨日遊んだ鷹潭市と違って、本当に小さな田舎町といった感じだ。でも、こんな狭い街のほうが、人間は幸せに暮らせるのかもしれない。もっとも、日本を飛び出てきた私がこんなことをいうのはおかしいかな。

【貴渓市の中心】

 

 お昼はPの家族と食事。外国人と食事をするのは初めてらしく、全員が緊張気味で会話はほとんどなし。黙々と食べて終わり。それでも、食事が終わって別れるときには、また来てくれよと握手をしてくれた。

 1:50、バスの出発まで送ってくれるというPとともに貴渓発。2:30、鷹潭着。すぐにバス・ステーションに行って、3:20発のチケット(31RMB)を買う。そして、出発までのひと時を喫茶店で無駄話をして過ごす。そして、出発。人に手を振って送ってもらうのもなかなか悪くない。

 6:10、南昌着。すぐにタクシーをつかまえる。だいぶ疲れが出ていて、もはや料金交渉も形だけ(130RMB)。6:50、空港着。7:53、チェックイン。またもや、検査で靴を脱がされる。服と靴を一緒のベルトで流すのはやめてくれないかなぁ。

 9:05、8:30搭乗のはずが、いまだにゲートが開かず。この空港は電子掲示板による変更通知がないので、放送に耳を傾けていなければならない。私の中国語力ではざわついた構内で、放送を聞き取るのは必死の作業だ。かんべんして欲しい。

 9:15、とうとう変更通知の放送があった。土産物屋の店員に聞くと、この時間で変更通知がでると、半分は宿泊になるらしい。深セン側の天気が悪くてまだ向こうを出発すらしていないとのこと。これだけ遅くなると、向こうに着いてもタクシー料金の交渉ができず大幅に吹っかけられることだろう。それでは航空チケットの割引がまったく意味をもたなくなる。今後はタクシー代も考慮に入れてチケット購入をすることにしよう。

 9:30、ジュースを買ったところで放送があった。「ジュースとビスケットを支給するのでインフォメーションセンターまで取りに来てください」だそうだ。もっと早く言ってくれ。乗客はところどころで、椅子を動かし寝床作りを始めている。この時間になると、私も帰りたくない。ホテルを用意してもらって、明日の朝一番で帰して貰えれば十分だ。

 11:00、いまだに宿泊の通知がない。12:00を越えるとホテルが安くなるということで待っているのだろうかと勝手な想像をする。

 11:15、客の一人がインフォメーションセンターから仕入れた情報をもってきた。飛行機はすでに深センをでたという。なんだ、宿泊はなしか、とがっかり。

 11:20、かなり眠くなってきた。もっとも天気が悪いのは航空会社の責任ではない。やりばのない怒り、そして諦め。

 11:25、0:40発と連絡あり。

 0:15、ようやく飛行機が到着。
 0:35、搭乗開始。今から出発だと、到着は2時過ぎだ。アパートまでメータ40RMBの距離をどれだけぼられることになるやら。まあ、今は無事にたどり着けることを祈るのみ。

 2:00、もうすぐ着陸だ。深センの夜景も悪くない。
 2:25、タクシー乗車。この時間だと交渉の余地なし。安全第一だ。運転手の言う通り100RMB払う。

 2:45、アパート到着。長い旅が終わった。

 皆様長らくお付き合い頂きましてありがとうございました。これにて「三清山」編は終了です。