5S物語 第一部

5S物語 第一部


これは、「中国生活日記」の5S活動関連部分を抜粋してまとめたものです。

その1(作成日2003年12月1日)

現在、工場では5S活動に力を入れ始めている。何を今さら、とお考えになる方も多いと思う。うちの工場でも、名目上の活動は長らくあったのだが、効果が上がっていなかった。そこをもう少し厳しくやろうと言う訳である。

 かくいう私は、5S活動とは縁遠い人間。目の前のパソコン、キーボードの周りさえ、エアコンのリモコン、オロナイン、ビタミン剤、名刺、カレンダー、宝くじのハズレ、1元硬貨、パソコンのパンフレットと10数種類以上の小物が散乱している有様だ。私の部屋で5Sをやれと言われたら、給料を倍にしてくれたとしてもお断りする。というか、引き受けても一ヶ月間続けるのも難しいことだろう。

 しかし、これは仕事上の要求である。嫌だどうのとゴネルわけにもいかない。それでは「5S」とは何なのだろうと調べてみると、整理・整頓・清掃・清潔・躾(しつけ)の5項目の頭文字から出来たネーミングだそうだ。躾(しつけ)のところはよくわからないが、一言でいえば、「しっかり掃除して綺麗にしろってことか」と最初は考えた。

 それなら、話は簡単だ。気分転換を兼ねて自分の机や周りを掃除し始める。部下の中国人スタッフにも机に物を置いたままにするな、整理・整頓をしろ!とうるさく声をかけた。なんと言っても、一番机を汚くしていた私が率先して掃除をするのだ。みんなも自分の机を綺麗にするのに異存があろうはずもない。ここまではとんとん拍子で話が進んだ。念には念を入れて毎朝朝礼をやることにし、5Sの要点を全員で復唱することにもした。さらにスタッフの一人を選んで、5S委員とし「5S」の中心となって働いてもらうことにした。フフッ、意外と簡単じゃないか「5S」活動というのは。

 だが、現実はそれほど甘くなかった。

その2(作成日2003年12月2日)

元来、私は集団活動が苦手だ。会社の行事にもほとんど参加しないし、部下を連れて食事に行くことも稀だ。もちろん、部員を集めて遊びに行くこともない。だから自然と電脳部スタッフも協調性の薄い集団となる。この弱点はかなり以前から意識していた。協調性やグループとしての目標達成能力、しいては統率力は皆が一緒に活動することによって生まれるものであり、日常の仕事だけからではなかなか養うことができないのだ。そういう意味で、「5S」は私の弱点を補うのにピッタリの活動であったといえる。また、その利点を意識していたからこそ、自ら率先して苦手な整理・整頓・清掃(これだけだったら3Sか)に力を入れたわけである。

 整理・整頓・清掃の見本をみせ、スタッフにもやらせる。ファースト・ステップはこれでOKであった。間違いがあれば指摘をし、すぐに修正する。非常にわかりやすい。
ところが、協調性を養うというセカンド・ステップに移ろうとしたとき、大きな壁にぶちあたった。

その3(作成日2003年12月3日)

どうも動きが悪いな、そう感じたのは5S活動を始めてしばらく経ってからであった。もともと中国人はプライドが高く、「言われてすぐ動く」ということをあまりしない。怒鳴られでもしない限り、意味無く実行を引き延ばすことが多い。命令されてすぐに動くのは面子にかかわるらしいのだ。
 そうは言っても、上司の要求があればしぶしぶながらでも指示された作業にとりかかるのが普通だ。ところが、ここ一週間ほど5S委員E君の動きが悪いのだ。言われた作業を全くやろうとしない。と言って、何もやらないわけではなく、通常の業務はきちんとこなしているのだ。ただ、「5S」活動に関する作業を一切やろうとしないのである。作業と言っても、負担になるほど大きなものではない。戸棚の中身をWORDで書き、印刷をして戸棚の表に張るだけのことである。

 戸棚の中身の整理・整頓は私も加わってすでに終わらせてあった。中身も書き出させてあったのに、そこから先の作業がピタリと止まってしまったのである。一週間経っても全く進まない作業に業を煮やした私は、とうとう「E君は今日は5Sの仕事を真っ先にやりなさい。それが終わるまでは他の仕事はやらなくてよろしい」と指示を下した。

その4(作成日2003年12月4日)

「E君は今日は5Sの仕事を真っ先にやりなさい。それが終わるまでは他の仕事はやらなくてよろしい。他に仕事が発生したら、まず私のところにもってきなさい」。そこまで言われては、もはや逃げ道はない。緩慢とながらE君も動き出し、とうとう戸棚にラベルが貼られることになった。しかし、いかにも嫌々ながらという様子で、「張るのはここでいいんでしょ!」と口を尖らせながらの作業であった。
 
 これでは駄目だ。5Sの一つ一つの作業を私が直接プレッシャーをかけなければ達成できないようでは、これから先とてもやっていけない。危機感を感じた私はE君をサーバー室に呼び出して話を聞いてみることにした。

その5(作成日2003年12月5日)

E君に椅子を勧めた後、自分ももう一つの椅子に座ると「どうしたんだ、最近おかしいじゃないか。何か問題でもあるのか?」と私はまっすぐに話を切り出した。すると、「大ありですよ」とE君は唇の右端を少し歪ませながら息巻いた。「どこか不公平なところでもあるのか?」と私が重ねて質問をすると、「貴方は不公平がないとでもいうのか」とE君は怒りを顔に表して叫んだ。
 
 電脳部の仕事は多岐に渡っており、日常のPCメンテナンス以外に出退勤システム、出荷システム、購買システムの管理、メールシステム管理、ネットワーク管理、ウィルス対策などがある。その上、電話システム管理、携帯電話管理、コピー・印刷機管理等の本来はコンピュータ部と関係のない仕事も引き受けているので、日常の作業はかなり煩雑なものとなっている。これらを私が、日々、スタッフに振り分けているわけだ。そこで、問題となるのは、作業の多様性が進むにつれスタッフ同士がお互いの仕事量が見えなくなってくることだ。そうなると、皆が自分の仕事量が多いと不満を訴え始める。
 こうした不満を解消するために、私は各スタッフに与えた仕事をホワイトボードに書き出して公開することにした。今までも秘密にしていたわけではないが、ホワイトボードにスタッフ6人の名前を書き出し、名前の下に各々に与えた作業を書き連ねることによって、誰がどんな仕事をどれくらいやっているかをスタッフ同士が把握できるようにしたのだ。これが数週間前のことである。
 
 それ以来、公平・不公平の話は出なくなり、「作戦成功」と心の中でニヤリとしていた私だったのである。しかし、今、目の前のE君が再び「不公平」を訴えている。一体どうしたことであろうか。・・・というか、もうカンベンしてくれよ(笑)

その6(作成日 2003年12月11日)

「貴方は不公平がないとでもいうのか」。そう叫んだE君に対して、私は「だって、仕事もホワイトボード上で振り分けるようにしたし、完全とはいわないまでも相当公平になったと思うぞ」と当然の疑問をぶつけた。
 「それは表面的なことだ。実際には全く公平じゃない!」とE君はますます興奮し、真っ赤な顔で私をにらみつけた。「どうしてだ。同じ作業量になるようにやっているつもりだがな。もちろん・・・」と私が答えかけると、E君は「私は5S活動をやらなきゃならない!」と私の言葉を遮った。

 (うーん・・・)。私はおおいに困惑した。5S委員をやってもらうときには、会社における5S活動の重要性をよく説明し、納得づくで決めたはずだったからだ。(ただし、私が説明した重要性は5S自身の重要性ではない。今年度の重点目標となっている5S活動に積極的に関わることでE君が高い評価を受けることができるというメリットを説いたのだ)。

 しかし、そんなことはお互いにわかり切っている。同じ事を再び持ち出しても仕方がない。そこで、「E君に5S活動をやってもらっているのと同じように、D君にはメールの管理をやってもらっているし、G君にはコピー機の管理をやってもらっているよ、他のスタッフにもいろいろ担当してもらっているじゃないか」と状況を説明した。しかし、「5Sは大変なんだよ」とE君は再び不満をぶつけてきた。「どうしてだ?だいたい、まだ活動らしい活動をしていないじゃないか。棚の整理だって俺も一緒にやったんだし」と私は少し怒って言った。

 すると、「貴方は中国人を全然理解していない!」。E君は一層怒りを込めて私を睨む。(ウーム、俺は本当に上司と認められているのだろうか?)と不安が心をよぎった。だか、ここで怯んではいられない。
 どういうことだ!という顔をしてこちらも睨み返す。

 さあ、サーバー室での打ち合わせは一体どういう結末を迎えるのであろうか。そして、私に心の平和が訪れる日はいつ・・・(涙)

その7(作成日 2003年12月16日)

私が中国入りをしてすでに8年にはなる。ここ4年間は日本にも一度も戻っていない。中国滞在の日本人としては恐らく第二世代ということになるだろう。第一世代の方々のように、中国にまだ本当に何もない頃にやってきたわけではないから、ずいぶん楽をさせてもらっている。しかし、中国最貧省の貴州へ留学し、続けて日本語教師もやり、さらに中国人社長のもとで仕事をしたという日々から様々な事を学んできた。日系工場で建設から総務運営にまで携わったこともある。まさか、今日になって「貴方は中国人を全然理解していない!」と言われるとは。面目丸つぶれではないか。恥ずかしくて人に言えたものではない。ぐっと奥歯をかみ締める。ゆっ、許せーん。

 「中国人には面子が大事なんだよ。俺は5S委員をやってることで、W(電脳部の女性スタッフ)に笑われているんだぞ」。(わかるか?この辛さが)という顔をしてこちらに目をやるE君。
 「笑われる」。この言葉が私の頭に染み込んでくるまでに数秒を要した。今は仕事の話をしているのだ。なぜ、「笑われる」ということが問題になるのだろう?頭の中で何かがクルクルと回転する。笑われる、面子?おーっ、5S委員をやると面子がなくなるのかー。

 困ったことになった。「5S委員をやると笑われる」では、説得どころの話ではない。問題が目前のE君だけに留まらず、電脳部全体、もしかしたら会社の全スタッフに及ぶということになる。とは言え、ここで「じゃあ、仕方ないね。5S委員はやめていいよ」で終わらせては仕事にならない。さあ、どうするか?

その8(作成日 2004年1月6日)

「5S委員をやると笑われる」。そう言い放ったE君を前にして私は困窮した。ここで「『笑われる』ことがどうした!これは仕事なんだぞ」とか『笑われて』もいいじゃないか、いい仕事ができれば」とか押し切ることができれば楽なのだが、あいにく私はそういったキャラクターではない。熱血的な言い回しは私の柄ではないのだ。

 最初に頭に浮かんだのは「笑った」Wさん(電脳部の女性スタッフ)をとっちめてやることだった。私が神経をすり減らすようにして進めている5S活動がWの「笑い」によってふっとばされようとしている。Wを懲らしめねばならない。叱り付けてやるか?駄目だ。図太い神経のWのことだ、白を切られて終わりだろう。ならばいっそ、Wに5S委員をやらせてやろうか。否、それではみすみす5S委員になることがマイナスであるということを認めるようなものだ。

 「5S委員はE君だけじゃないだろ。他部門のスタッフだって、5S委員として活動しているじゃないか」と疑問を投げかけ時間を稼ぐ。ところが、「他部門は皆、事務員にやらせているよ。エンジニアで来ている奴なんていないんだ」と一蹴されてしまった。

 「(5S委員を)当番制にするのも一つの案だな・・・」と思わず口にすると、E君が嬉しそうに「それはいい」と同意を示した。でもね、E君。当番制にするということは、結局リーダーを私がやるということだ。それでは意味がないんだよ。

 悩みつきぬ5S活動である。

その9(作成日 2004年1月7日)

皆が嫌がる5S委員を当番制でやらせる。一見、魅力的なアイデアであるが、これは採用できない。そんなことをしたら、会社全体の5S委員会に出席するメンバーが毎回入れ替わることになってしまう。その上、何をやるにしても私が指示をしなければならないということになり、人が育たない。おざなりでやるならともかく、本気で5S活動をやろうと思ったら、中心メンバーは固定しなければならない。

 そこで、「変則当番制」を思いついた。E君には続けて委員をやってもらい、別に副委員を設置し、これを当番制にするのだ。委員としてのE君は実際の労働的な作業から解放し、方針や計画作成、指示・管理に専念してもらう。実際の作業は副委員がやることにする。これなら、E君がWに笑われることもあるまい。
 しかし、このアイデアにも難点はある。第一に、E君が5S委員になるのを嫌がっているのは「面子」に原因がある。そうである以上、5S委員=掃除係りというイメージの連鎖を断ち切らない限り、この問題の本質的な解決には至らない。第二に、委員、副委員といっても会社の職位組織上、電脳部のスタッフは同じ地位にある。私が委員と副委員の上下関係を強力に支持したとしても、委員であるE君が副委員に様々な作業をさせるのに相当な困難を伴うことは、容易に想像できる。

 「変則当番制」をE君に伝えると、案の定、(アイデアはわかるんだけどさぁ)という顔をされた。なんと言っても、電脳部は総勢6人(2003年12月当時)。こんな小さな組織を動かすのに委員、副委員を設置し「変則当番制」で回すというのは斧でネギを切るようなもので全く相応しくない。そうなると、残る手段は唯一つだ。

その10(作成日 2004年1月14日)

円滑に5S活動を進めるために残された「最後の手段」。それは「5S活動手当」だ。5S委員会をやることで毎月の給与が2,3百RMB上がるとなれば、E君も異論はあるまい。給与が上がるとなれば、他のスタッフがE君を見る眼も変わる。5S委員が「蔑視の対象」から「羨望の職位」に移る瞬間だ。会社が5S活動を重視していると口だけでいくら言っても彼らには伝わらない。そんなに重要なことならば、なぜ給与に反映されないのか?というわけである。「5S活動手当」さえ実現できれば、私がこんなに苦労する必要もない。そもそも、E君がゴネているのも私からこの条件を引き出したいがゆえではないのか。

 だが、結論から言うと、「5S活動手当」の実現するのは現時点では不可能だ。まず、「5S活動手当」なる項目を作り出すには全社的な調整が必要になる。電脳部の5S委員にだけ手当てをつけるというわけにはいかないからだ。また、会社にはISO委員やら他の委員もある。5S委員だけに手当てを出すというわけにもいくまい。そんなことをしたら、不満が噴出して大騒ぎになるのは間違いない。今後何らかの活動を追加するたびに給与を増やさなければならないという悪い前例にもなる。
 日本では長期的に社員に還元するということで理解が得られる活動が、離職率の高い中国では理解が得られない。すなわち、会社の利益につながるはずの活動をすぐに給与に反映できないという不透明なシステムが中国では通らないとも考えられるが、今の私にどうにかできる問題ではない。たとえどうにかなったとしても、「私がE君を説得できない」という、たったこれだけのことから会社の給与形態を変更するなんてありえないことだ。

 これ以上、無理強いはできない。そう決断した私は、E君との話し合いを終わらせ、新たなる手段を模索することにした。

その11(作成日 2004年1月17日)

E君との話し合いが終わってから二週間ほど悩んだ結果、5S委員は新しくきた事務員Gさんにやってもらうことにした。一度決めた決定を短期間で翻すのは、マイナス面が多い。だが、「5S委員だけは、とくにかくカンベンしてくれ」と頭を下げかねない様子のE君をみていて、これ以上、E君に固執するのは意味がないと判断したのだ。私に与えられた仕事はE君に5S委員をやらせることではなく、5S活動を成功させることであるのだから。

 E君の代わりとして、電脳部の(事務員ではない)他のスタッフを起用することも考えた。スタッフ間にも競争原理が働くから、E君ができなかったとなれば、それをやりとげて能力をアピールしようとするものが出てきてもおかしくないからだ。だが、結局、冒頭で述べた通り、新しく入社してきた事務員Gさんに5S委員をやってもらうことになった。理由は、E君が5S委員をやりたくなくなった原因がまだ完全につかめていなかったし、わかっている原因に対してもよい解決策が浮かんでこなかったからだ。再び同様な事が起こり5S委員を代えなければならなくなってしまっては打撃が大きすぎて、5S活動全体が暗礁に乗り上げてしまう。ここは一度撤退して、無難な線から取り掛かるしかない。何よりも、私自身がしっかりした理念を打ち立て、5S活動が仕事に結びつくようなプランを作り出せるようにならなければならない。この撤退は、新たなる戦いへの始まりだ。そう自分に言い聞かせて、事務員Gさんを新しい5S委員に指名した。

 事務員Gさんは、入社したばかりということもあってやる気満々。5S委員も快く引き受けてくれた。性質も素直そうでよい。会社における5S活動の重要性を説明し、試しに活動プランを作らせてみる。存外、素晴らしいアイデアをもってくるかもしれないではないか。そうなれば、あとはトントン拍子だ。もうこんなに悩まなくてもすむ。

 一週間後、Gさんはニコニコして「出来ました」と言って、プランをもってきた。中国語で書かれているので、読むには気合がいる。しばらく書類入れに置いていたが、このままにしておくわけにはいかないと、数日前に取り出して読んでみた。時間をかけて何度も検討する。だが、どうしても使えそうな部分が見当たらない。簡単に言うと、「整理と整頓」を言い換えただけの文章になってしまっていて、具体的な行動につながっていない。
 もちろん、Gさんを責める理由などなく、明らかに私の指導不足だ。こうなったら、私自身がプランを作るしかない。何でもかんでも私がプランを作っていたのでは部下が育たないから、彼ら自身が自分でプランを作れるように指導していかなければならないのだが、妙案が浮かばない。そもそも、私には部下を育てるに当たって、これと言ったノウハウがない。せいぜいが、忍耐強く、何度も教えることぐらいだ。こんなことじゃいけない。少し勉強しなければ。

 とはいうものの、部下指導ができるようになるまで5S活動を止めたままにしておくわけにもいかない。従来通りの方法で脳がないが、とっかかりの部分だけでも私が手をつけて動かしてみせ、Gさんが真似をしてやれるようになるのを期待しよう。うまくいくかなぁ。