麗江市の旅1


灰色の部分が雲南省です。

【 目  次 】

<2003年1月20日>
 ・チケット代理店
 ・涙ポロポロ
 ・世界遺産
 ・謎の物体X
<2003年1月21日>
 
・女の恨みは・・・
 ・第2の試練
 ・第3の試練
 ・少年と馬
 ・崖登り(驚)
 ・馬よ、我が声を聞け!
 ・一家の稼ぎ頭
 ・天に感謝
 ・さらば、麗江

2003年1月20日

- チケット代理店 -
    この旅は「大理探検記」から続いています。ご興味のある方は是非「大理探検記」からお楽しみください。

 今日はとうとう麗江へ向かって出発だ。実は麗江は当初の旅程には組み込まれていなかった。ところが、友人の強い勧めによって心を動かされ、少し強行軍になってしまうのを覚悟で行くことに決めたのだ。麗江は大理からバスで3H行ったところにある。大理と同じく古代からの街並を擁しているだけでなく、その古城は「世界遺産」にも登録されているのだ(私は着いてから知ったのだが)。

 2泊を過ごした「金華大酒店」を8時20分にチェックアウト。問題はここからだ。昨日、散々確認した出発時刻の8時40分、チケット代理店は時間をきちんと守ってくれるだろうか・・・。

 チケット代理店に入ると昨日の女子店員ではなく、オーナーらしき男が店番をしていた。購入したチケットを見せると、「まだ早いそこに座って待っていてくれ」とぶっきらぼうな声が返ってきた。
 8時35分、男が全く動きを見せないので、「いつ行くんだ?」とせっついてみる。「まだだ、もう少し待っていろ」と返事があった。そして、携帯電話を取り出し電話をかけ始めた。どうやら、昨日の女子店員の出社を待っていたらしい。
 聞き耳を立てていると、「もう出発した」とか何とか言われている。(どうせ、髪でも梳かしながら、そう言えと同僚に頼みでもしたのだろう)と推測する。案の定、8時50分になっても来ない。オーナーもさすがに不安になったのだろう、再び携帯電話を取り出して、電話をしている。またもや、出発したとの回答があったようだ。心なしいらいらしているように見える。(いらいらしたいのは俺だ)と心でつぶやく。

 8時55分、待ちきれなくなった男が私を連れて外に出る。扉を閉めてカギを取り出したところで店員が到着。のんきなものだ。ボソボソと声にならぬ声を上げて、男が開けなおした扉の隙間に滑り込んでいく。オーナは小さくうめいて扉を閉めなおした。

 男の後ろに着いてトボトボと歩いていく。少し広い道路に出たところで男は頷いてみせ、ここが乗車地点であることを示した。そして、待つこと10分、とうとうバスがやってきた。約束どおり、豪華大型バスだ。ふぅーと安堵の意気をついた。なんやかんやと言い訳されてボロバスに乗せられるのではないかと心配していたからだ。
 開いたドアから乗車すると、席はすでに一杯になっていた。「席はないの?」と尋ねると、運転手が「あるよ。あるよ」と運転席横の補助席を広げてきた。選択の余地はなさそうなので、大人しく座る。運転手横だけあって、普通の補助席とは少し違いかなりゆったりしていてクッションもきいている。通常の座席よりもよいくらいだ。ちょっとうれしくなって、バスの出発を見守っているチケット代理店の男に手を振ると、男も手を振り返してきた。そして、出発。

【大理→麗江の豪華大型バス】

 200メートルほど進んだところで、やはり私と同じようにチケット代理店でチケットを購入したのだろうと思われる欧米人の恋人たちが乗り込んできた。彼女たちが「席がないのか?」と尋ねると、またもや運転手は「あるよ、あるよ」と答える。普通の補助席にでも座らせるのかなと見ていると、なぜか後方に座っていた老人二人が立ち上がり、下車をした。老人は乗車無料で客が一杯になったら降りる決まりにでもなっているのかもしれない。

 さて、最初は喜んでいたクッション付補助席であったが、なにせ一番前の座席である。直射日光を浴びてまぶしいことこの上ない。当然、カーテンもないので、(やはり普通の席のほうがよかった)と後悔ひとしきり。チケット代理店経由は問題ありだ。どうせ私の運賃も運転手個人とチケット代理店で折半されるのだろう。でも、一旦、下関まで戻るというのはいかにも面倒くさい。やむおえない選択であったと自分を慰める。

 直射日光の問題を除けば、大理から麗江までの道のりは全て舗装されていて極めて快適であった。途中、いかがわしい土産物屋で小休止があったが、それも15分ぐらいで問題なし。ただ、麗江に近づくにしたがって、道がくねくねと曲がりはじめてきた。そして、事故死XX人と警告を発する看板が所々に置かれている。雨の日はバスによる移動は控えたほうがいいだろう。

 麗江が間近にせまると、標高5千メートルを誇る玉龍雪山が姿を現す。山頂は万年雪に覆われ、周囲の山々とは一線を画している。日本一の富士山よりも高いのだから、その雄壮は想像して頂けるのではなかろうか。この山にはロープウェイで頂上まで上がれるようになっているらしいが、冬の季節は難しいことだろう。頂上までいければ、一生の記念にもなるから大変うれしいのだが。

- 涙ポロポロ -
 12時30分、麗江に着いた。まずは地球の歩き方で目をつけておいた雲燕酒店へタクシーを飛ばす(6RMB)。二つ星のホテルで設備もよかったのだが、残念ながらエアコンがついていない。南方とは言え、夜は冷える。一人旅では話をして気分を紛らわすこともできないから、エアコンなしではいくら安くても(一泊150RMB)キツイ。そこで、別のホテルを探してウロチョロ。ガイドブックの地図がいい加減で少し翻弄されたが、なんとか午後1時に「神農酒店」という名のホテルにチェックインを決めた。ちょうども綺麗でエアコン付(一泊180RMB)、今回の旅では一番良いホテルとなった。

 ホテルに荷物を置くと、帰りの旅程を立てる。じっくり旅のはずだったが、すでに予想以上の強行軍でここまできた。体調が崩れ始めているのが自分でもわかる。そこで麗江→昆明を飛行機で移動することにした。旅行が終わった途端に会社を病欠では話にならないからだ。(クッ、給料取りは余計な事まで考えなくてはいけないからツライ。←ここでそんなのは当たり前だろうと考えた方は真っ当な人間です)。できれば、昆明→深センの航空チケットも購入しておきたいが、ガイドブックには、麗江では麗江発の便のチケットしか購入できないと書いてある。しかし、中国の変化は速い。だいたいが便利な方向に動く(もとが不便過ぎたということもあるが)。とにかく確認してみるとしよう。

 ガイドブックの地図によると、ホテルからチケット売り場までは徒歩30分はありそうな距離だ。旅に集中するためにも、エア・チケットはさっさと確保しなければならない。そこでタクシーを再び飛ばしていくことにした。しかし、飛ばすほどの距離もなく、ホテルから100メートルほど先のところでタクシーが停車した。「ここだ」と運転手がいう。そんな馬鹿なと指差す方向をみると、ビルから垂れ幕が下がっていて、××月×日開店と大きな字で書いてある。どうやら支店ができたらしい。下車して店内を覗き込む。

 店内では二人の女性が暇そうにおしゃべりをしていた。一応、航空会社の服務員にふさわしく、スーツを着込んでいる。しかし、南方の田舎の田舎だけあって、農家の娘さんのような雰囲気だ。ちゃんと手続きをやってもらえるか少し不安。

 麗江→昆明と昆明→深センのチケットは買えるか、と尋ねてみる。「深センに直接いけるチケットがあるわよ」という返事が返ってきた。(昆明で観光するから、それじゃだめなんだよ)と心でつぶやきながら、「いや、麗江→昆明が一枚と昆明→深センが一枚欲しいんだ」と繰り返す。
 すると、ひどくキツイ顔で「深センまでのチケットがあるのよ」と言い立てる。きっと、直行便のチケットと他の空港発のものではこの支店に入るマージンが違うのだろう。(あー、面倒くさいな)と思いながら、「麗江→昆明が一枚と昆明→深センでいいんだよ」と語調を強めて繰り返す。(説明をしてやってもいいのだが、なんでそんな事をしなきゃならんのだ)。
 すると、さすがに無理だと思ったのか、仕方なさそうに「いつの便なの?」と聞いてきた。そう言えば、昆明発のチケットの日程はまだ決めていなかった。テーブルにメモを広げて日程を計算する。間違ったら大変だ。指折りしながら、何度も確認。(俺ってけっこう馬鹿だな)と自虐的に考える。なんとか計算を終えて、日付を伝える。服務員はぶすっとしながらもひとしきりキーボードを叩いて、料金を告げた。
 何度か質問を繰り返して、麗江→昆明は420RBM、昆明→深センは830RMBとなった。昆明→深センは2.5割引だ。麗江→昆明も割引便があったかもしれないが、それに気づいたときにはすでにチケットが発行されてしまっていた。ふくれつらをした服務員にもう一度やり直してくれというには少し疲れすぎていたのでちょっと情けない気がしたが、今回はこれで退却することにした。

 チケットを手に入れたら食事だ。朝から何も食べていない。何を食べようかなとぶらぶら歩いているうちに地元民系のラーメン屋が目に入った。リュックを背負っているので(外国人とバレるから)気が引けたが、思い切って中に入る(1:50)。ジャージャー面を注文。2,3分ほどでうまそうなラーメンがどんぶりに入って出てきた。新陳代謝をよくして元気を出そうと思い、ラー油をたっぷり放り込む。そして、気合を入れて箸をつゆにつっこんだところで大アクシデント。ラー油だらけになったつゆが跳ね出し、両眼に飛び込んできたのだ。ぐぅおーー。涙がラー油を押し流すまで苦しむこと2分間。ようやく痛みが治まり面を口にかき込むが、眼のヒリヒリは続く。涙を流しながらラーメンを食ったのは生まれて初めてのことだ。味はもう忘れてしまったが、一生記憶に残るラーメンの一つであることは間違いない。

【心に残るラーメン】

- 世界遺産 -
 食事を終えて、明日のメイン目的地である玉龍雪山行きのバス探しに取り掛かる。時間もあるので、ガイドブックを頼りに歩くこと1H弱。・・・が、どうしても見つからない。このままでは日が暮れてしまう。そこでタクシーを走らせて、「四方街」まで行ってもらう。

【世界文化遺産 麗江古城】

  麗江は新しく開発された新大街と古代からの四方街(古城)に分かれている。大理の新・旧地区がバスで20分ほどの距離があったのとことなり、麗江の二つの地区は通りが一つ離れているだけだ。

 四方街の中心には巨大な水車が据え置かれ、そこに「世界文化遺産 麗江古城」とでかでかと書かれている。「世界文化遺産」などという壮大なものに初め出会った(と思った)ので少し腰が引けたが、今調べてみると、北京の故宮や万里の長城、日本の法隆寺なども世界文化遺産の一つだそうだ。1972年にユネスコ総会で採決された「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」に基くもので、現在、世界中で700前後が遺産として登録されているらしい。

 ユネスコの投資が効果を生みすぎたのだろう。「四方街」の中心は人工的な臭いが避けられない。家々も、揃って土産物屋と化しているのが残念だ。ただし、店で販売されている民芸品は優れものが多い。本来、土産物など全く買わない私ですら、ここへ足を運ぶたびに何かしら購入してしまったほどだ。独特の民族様式と西洋芸術が融け合わさったような絵柄が印象的だ。美しく陳列されたこれらの品々を見ているだけで、何時の間にか数時間が過ぎてしまう。

【麗江古城の細道】

 中心地は少し出来すぎた感じだが、中心を離れて奥に15分ほど歩いていくと、現地の人々の生活を垣間見ることができる。麗江の古城が日本人に親近感を抱かせるのは多くの家屋が木造であることだ。大理古城ですら、屋根は瓦ぶきであっても建物の骨格はレンガ作りであった。ところがこの麗江古城は屋根を支える柱も木でできているのだ(ただし、壁はレンガ)。中国では滅多にみることができない建築法だ。(もちろん、現在では必要性からというより、世界文化遺産を維持するための街ぐるみの規定に基いているのだろう)。

- 謎の物体X -
 どんどん奥へ入っていく途中で、お婆ちゃんが露店で奇妙な食べ物を売っているのを発見した。鍋の中にプニプニしたこんにゃくのような食べ物がたくさん入っている。こんにゃくを油で炒めたものだろうか?だったらちょっと安心だ。しかし、違う食べ物だとしたらどうするか。そもそも何からつくられているのか。「これは何?」と尋ねてみる。「XXXX」。全く聞き取れない。そこで再び「これは何から作ったものなの?」。「XXXXXX」。やはりわからない。お婆ちゃんも、買わないならあっちへ行って頂戴、という顔つきになってきた。買うよ、買いますよ。

 「いくら?」。「1RMB」と淡々とした返事が戻ってきた。「高いよ」というと、「じゃ、いくらならいいんだい」という。「5角(0.5RMB)」とちょっと値切ってみる。「5角ね。それなら、5角にしようじゃないかね」とあっさりOK。(えっ、・・・OKなの)、ちょっと驚く。商品ならば安ければ安いほどいいとも言えるが、これは食べ物だ。そんなにあっさり安くされてはかえって不気味というものだ。しかし、ここまできてしまって否応はない。「わかった、買うよ」と返す。すると、お婆ちゃん、鍋の中からこんにゃくもどきをどどっと、ビニル袋を敷いたどんぶりの中に放り込む。どんぶりを山盛りにしそうな勢いだ。私は慌てて、「そんなにいらないよ。ストップ、ストップ。半分減らしてくれ」と叫んだ。すると、お婆ちゃんはようやく「えっ、いいの、これぐらいかい?」と少し鍋に戻してくれた。「いや、もうちょっと減らして」。「そうかい?」と不思議そうな声でさらに鍋に戻した。
 (というか、もう食べたくない。一体原価いくらなんだ、これは・・・)と思うが、捨てるわけにもいかない。ビニル袋に入れて渡された大量の「それ」を引き取り、恐る恐る、ひとかけらをかじってみる。うーん、コンニャクじゃないのは確かだ。かといって、大理で食べたウィローもどきとも違う。値段も10分の1位だし・・・。不味くはないのだが、とにかく不気味・・・。しかし、頑張って全部平らげた。私の人生の歴史も今日で終りかもしれない。

【謎の物体X】

 古城の街は奥行きが広く、はっきとした終りがない。途中から民家が連なっていて、そちらのほうがむしろ古い建物だったりするので、ちょっとおかしな気分になってくる。お腹のほうも心配になってきたので、一旦、中心地まで戻ることにする。途中、何度かさきほどと同様の食べ物を売っている露店を見つけ、覗き込んでみる。やはり何なのかはわからない。でも、子供たちが群がっていることが多いから、一種の駄菓子のようなものなのかもしれない。まぁ、とにかく大丈夫そうだ、と自分を慰める。

 土産物屋が並ぶ中心地まで戻ったところで、「DICOS」の看板を発見。「DICOS」とは中国版、ケンタッキーのようなものでチキンの揚げかたに特徴があり、ジューシーな味わいを出している。「DICOS」はもともと進出力があって、かなり辺鄙なところでも出店しているのだが、よもや麗江にまであるとは思わなかった。驚きである。ただ、看板等はデザインは同じだが、手作りのようであった。こんな田舎でもチェーン店の味を守ることができるか興味があったので、セットを一つ食べてみることにした。口にしてみると、チキンが若干硬めである以外は、全く同じであった。こんな田舎でこのレベルを保てるようであれば、いずれケンタッキーを脅かすことも可能かもしれない。

追加情報(2004年7月):DICOSは大陸系ではなく、米国系であることが判明致しました(経営は台湾の「頂新国際集団」)。洋風ファーストフード店では、マクドナルド、ケンタッキーに次いで第三位の規模だそうです(2003年)。マクドナルド、ケンタッキーが直営店を主体に拡大しているのに大して、DICOSはフランチャイズ店が主流。マクドナルド、ケンタッキーが大都市を中心に展開しているのに対し、DICOSは中小の都市で大活躍という相違があるようです。

 たくさんの土産物屋にうんざりさせられる一方で、そこに置かれている個性的な品々の尽きない魅力にひきよせられ、ついつい長居してしまう。しかし、さすがに疲労が押し寄せてきた。ちょっと微熱がある。さきほどのコンニャクもどきに当たったのかもしれない。そこで、古城を引き上げ、市内のもう一つの観光地である「玉楽公園」にタクシーでゆくことにした。麗江のタクシーは市内のどこへ行っても6RMBだから、気軽に使えるのがうれしい。

 「玉泉公園」には澄んだ湖以外に何があるわけでもないのだが、ここから見る玉龍雪山はとても印象的だ。すでに頭が朦朧としてきてよくわからないが、恋人同士できたらきっと楽しいことだろう。お勧めのデートコースである。だいたい、こんな公園に一人でくるのは私ぐらいのものだ(笑)。

【玉泉公園】

 ここまで回ったところですでに5:00。本日の観光は終了。夜中にホテルを抜け出て、正面のお店でチャーハン(3RMB)をつくってもらい、部屋に持ち帰る。塩味加減が素晴らしく、とてもおいしかった。明日もここで食べるとしよう。

【最高のチャーハン】

2003年1月21日

- 女の恨みは・・・ -
 今日はももひき4枚重ね、靴下も2枚重ね、上着も5枚、と特別厚着で出発した。南方でこんな厚着をしている人間は他にはいない。道行く人々が何事かと振り返る。ちょっと恥ずかしいが、この厚着には理由がある。本日の目的地である玉龍雪山には二つの楽しみ方があって、一つはロープウェイで頂上(標高約5,000メートル)まで上る方法、もう一つは玉龍雪山のふもとにある雲杉萍という丘まで馬で登る方法である。
 すでに真冬ということもあってロープウェイは停止しているという話だったが、万一何かの間違いで動いているということもある。そう考えて寒気対策だ。問題は馬に乗ることになった場合、体重+厚着という重さを馬が受けつけるかということだ。だが、考えて過ぎても仕方がない。成り行きにまかせよう。

 さて、昨日はとうとう玉龍雪山行きのバス・ステーションを見つけることができなかった。それもそのはず、ホテルに帰って地図を見直してみたところ、「人民広場」に行くべきところを「市民広場」に向かっていたのだ。両者は方角が全く違う。これでは永遠に行き着けるはずがない。とんだ大失敗だ。今朝は改めて地図を見直し、今度こそ間違いなし。たぶん・・・。

  案ずるより生むがやすしとはよく言ったもので、玉龍雪山行きのバス停はいともあっさりと見つかった。なんだ順調じゃないかと肩の力を抜き、行き先を示したポールに寄りかかる。ここまで来れば後は余裕だ。どっしり構えてバスを待ちにかかった。
 すると、目の前にどこかで見かけた大型タクシーが停まった。いやな予感がして運転席に目を向けてみると、やはりおばさんの運転手だった。実は昨日乗車したタクシーのうちの一台に熱心に玉龍雪山行きを勧める運転手がいて、それがこのおばさん運転手だったのだ。半日借り切って100RMBということだったので、疲労困憊だった私は「わかった、明日の朝から頼むよ」という声が喉の先まで出かかった。しかし、寸前で思いとどまって、「今晩よく考えて、電話するよ」と答えたのだ。もちろん、そんなことは今の今まですっかり忘れていた。
 おばちゃん運転手が窓を下ろして声をかけてきた。「どこへいくんだい?」。(見ればわかるだろう。玉龍雪山行きのバス停にいるんだから)と思ったが、笑顔でごまかす。すると、タクシーから降りてきてバス停の後ろにある店に豆乳を買いに行き、運転席に戻ってストローで飲み始めた。時々こちらをチラチラみる。私の気が変るのを待っているのだ。私はそっぽを向き、意思を伝えた。

 豆乳を全部飲み干してやることがなくなった彼女は再び声をかけてきた。「玉龍雪山へいくのか?」。私は黙ってうなずいた。すると、「それなら、もうちょっと後ろで待ってなさい。バスはそこに停まるから」と自分の車の後方20メートルほど先を指差した。(本当か?)と疑ってみるが、(こんな事で嘘をついても仕方がないだろう)と思い直し指差された方向へ移動した。前方に停まりそうだったら、元の位置に戻ればいいだけのことだからだ。彼女もきっと諦めてくれたのだろう。
 しかし、私が移動したあとも、タクシーは移動する気配をみせない。どうしたんだろう?まだ、諦められないのだろうか?
 しばらくそこに突っ立っていると、バスが次々にやってきた。彼女の話は嘘ではなかったようだ。しかし、全て別の路線だ。玉龍雪山(7路線)行きは一台も来ない。(おかしーな)と思うが、待つしかない。そうこうしているうちにおばさんタクシーも消えていた。

 とうとう30分が過ぎた。いくら中国とは言え、おかしすぎる。或いは冬場は路線が停止しているのかもしれない。さてどうしよう、と辺りを見回すと後ろの料理店で肉まんを売っているのに気づいた。親切そうな(そう見えないこともない)おじいちゃんとおばあちゃんが肉まんを入れたアルミ蒸篭を幾層にも積み重ねて客を待っていた。
 朝食代わりに肉まんを買う。そして、「玉龍雪山行きの7号線は廃止されたのか?」と聞いてみる。「そんなことないわよ」との返事。「本当か?全然来ないから廃止になったのかと思ったよ。そこでいいのか」と先ほどまで自分が立っていた場所を指差した。「違うわよ、もっと向こうよ!」とおばあちゃんは私が最初に立っていた場所の方角を手のひらを振って示す。
 (そんなことはないだろう。あそこにバスが停まれば私だって気づくぞ)と思い、もう一度尋ねなおしてみた。「あっちって、どの辺だい。ここから遠いのか?」。おばあちゃんは首を振って、「すぐそこよ。ほら、あそこに白い自動車が停まっているでしょう。あそこよ」と答えを寄越した。
 (白い自動車・・・。どこにあるんだ?)。いつまでも問答をしていても仕方がないので、示された方角に向かって歩きだした。(うーん、ない、ない、えっ?もしかしてあれか!)。そう、白い自動車は確かにあった。7号の番号札をつけて、「反対車線」に・・・。
 なるほど、あのおばちゃん運転手、私をあの車から遠ざけるために後方へ移動させたのか。これは一本とられた。恐るべし、おばちゃんの恨み、意地悪過ぎるぞ。でも、まさか「反対車線」とは。過ちの責任をおばちゃんに押し付けるわけにはいかない。よく反省しよう。そう言えば、出発するときに方角を確認してあったのにバス停のポールを見つけた嬉しさからそのことをすっかり忘れていた・・・。
- 第2の試練 -
  ともあれ、バスが見つかった。出発してしまわないうちに乗り込もうと慌ててバスに駆け寄った。しかし、そこでハタッと足がとまった。バス停には2台自動車が止まっていて、2台とも7号の番号をつけていたのだ。手前の一台は屋根の部分が少し高くなっていて、全部が飛び出ている形状の中型自動車だ。覗いて見ると、男がブスッとした顔で一人で運転席に座っていた。その後ろに停まっている一台はボロボロのごく一般的な中型バスだ。こちらでは、運転手と女の子が楽しそうにおしゃべりをしている。

  さて、どうしようかと迷っていると、女の子と運転手が手でこちらへ来いと合図をしてきた。そこで、入り口まで行って、尋ねてみる。「玉龍雪山までいくらなんだ?」。「8RMBだよ」と運転手が答えてきた。料金はOKだ。そこで疑問をぶつけることにした。「前の車は何なんだ」。
 「あれは個人の車だ」と運転手。「そうよ、あれは自分の車で商売をしているのよ。こっちは公共バスよ」と女の子も声を合わせた。(なるほど、あんな新車だもんな、公共バスのわけないよな)と納得し、ボロバスに乗り込んだ。
  チケット売りの女の子にお金を払って席に着く。客は私一人しかいない。「いつ頃出発するんだ?」と尋ねると、「すぐよ、すぐ」と返事が戻ってきた。とてもすぐには出発しそうもない調子だ。黙って窓の外を眺めた。改めて見てみると、このバス停の周辺のお店はやけに立派だ。玉龍雪山の人気に乗じてずいぶん儲けたのだろう。内装、外装ともに真新しい。陳列された飲み物やスナックも値段が高めのブランドばかりだ。さきほど私が間違って立っていたバス停近くのひなびたお店とは大きな違いだ。

   10分ほど経った頃、5,6人の女の子たちがバスの横をがやがやと抜けていった。そして、前の新車に乗り込み始めた。(きっと値段も高いだろうし、すぐに降りてくるだろう)と推測したが、いつまで経ってもそんな様子はない。そこで考えた。(降りてこないということは、もしや、向こうもこちらと同じ値段なのではなかろうか)。(そもそも、こちらが公共バスで、向こうが個人バスならばなぜ向こうの後ろについて順番を待っているのだろう・・・)。そんな風に疑念が募る中、前方の新車はとうとう出発してしまった。そして、その場所に私の乗っている「公共バス」が入り込んだ。
 やられた。だいたい、なんで向こうのバスに料金確認をせずにこちらに乗り込んでしまったのだ。とんだ大ポカだ。自分のミスをなじるが、今更どうしようもない。恨めしげにチケット売りの女の子をみるが、相変わらず運転手と楽しそうにおしゃべりを続けている。

 そうこうしているうちに、乗客が増え始め3分の1ほど席が埋まったところでようやく出発となった。時計をみると、すでに9:50だ。最初のバス停に到着してから1Hも経っている。とんだ遠回りだ。(多少のミスは仕方がない。心を落ち着けて、次のトラブルに備えよう)と自分を慰めた。
- 第3の試練 -
 美しい玉龍雪山が目前に迫ってきた。さあ、もうすぐだ。と、意気込んでいたところで料金所が現れた。バスが停車すると、緊張した面持ちの男が乗り込んできて、乗客を見渡し、「雪山に入るにはチケットを購入しなけえばならない。80RMBだ」と宣言した。そして、乗車口の一番近くに座っていた私にチケットを差し出した。突然のことなので若干混乱をきたしたが、それでも気を静めてチケットを眺めやる。すると、男の手の中にあるのは40RMBの入場チケットと40RMBの領収書であることに気づいた。
 「これも払わなきゃならないの?」。私はそう言って、領収書を指差した。運転手は断固とした調子で「そうだ」と答えた。「絶対に?」。「絶対にだ」。「払いたくなくても払わなきゃいけないの?」。「そうだ」。私は時間を稼ごうと、考え込むふりをした。すると、男は「もし、貴方がホテルですでにこの支払いを済ませているなら、払わなくてもよい。そうならば、領収書をみせてくれ。見せられないなら、ここで支払わなければならない」と言い募った。
 私は助けを求めるように運転席のほうを眺めやるが、運転手は前方を見たまま微動だにしない。周囲の乗客も固まったかのように動きがない。抵抗する手段を失った私はゆるゆると財布を取り出し、80RMBを支払った。
 男は満足そうに頷くと、私の隣に座っていた二人組みに「貴方たちは?」と尋ねるが、「俺たちは大工仕事だよ」とあっさりいなされた。そして、残りの乗客をさっと見渡すと、すばやく下車した。結局支払いをしたのは私だけではないか。もっとも、この時期に公共バスで行く観光客なんてのは私だけなのかもしれない。皆、野菜を大量に積み込んでいるようだし。
  しかし、もしタクシーで来ていたら払わないでいいように運転手がフォローしてくれたのだろうか。そもそも、他の乗客が払う前になぜお金を出してしまったのか。推測してみたり、自分を叱咤してみたりしていると、いつの間にか目的地に到着していた(11:40)。

追記(2003年2月):実は、この件には納得がいかなくて、別のところでも何度か尋ねてみた。結局、(観光客は)支払うしかないとのことだ。もっとも、支払わずに済ませる方法もあるに違いないと思うが(笑)。

- 少年と馬 -
 11:40到着。標高5,000メートルまで上れるというロープウェイは冬場のため、残念ながら運行停止中であった。そこで、馬に乗って雲杉萍という丘(実際には山)の上まで登ることになった。そこから最も美しい玉龍雪山の姿を見ることができるのだ。
 受付となっている小屋で63RMBを支払った後、小屋の隣にある、10数匹の馬が一列に繋がれている広場まで連れて行かれる。そこで、馬のオーナーである子供たちに引きあわされた。受付の男は子供たちの中でも一番大きい少年を選んで、二、三言やりとりをした。方言が入っていてはっきりとは聞き取れなかったが、どうやら取り分の相談をしていたようだ。
 男との話が決まると、少年はこちらを向いてニコリと笑った。そして、身振りでついて来いという合図をした。後ろについて十数メートル歩いたところで、少年は立ち止まり、一匹の白い馬を指差した。「自分の馬だ」と嬉しそうに言いって、たづなを柵から外してこちらにつれてきた。私の横で馬をとめると、あぶみを指差して「乗れ」という。
 馬に乗るのは生まれて初めてだ。恐る恐る左足をあぶみに載せたあと、ぐっと踏み込み、全身を一気に持ち上げて鞍に跨った。馬が暴れる様子はない。ふぅーと、大きく息を吐く。いきなり両足を高く上げてヒヒーンとでもやられたらどうしようかと思ったよ。
 私がきちんと跨ったのを確認すると、少年は、「お兄さんは体重どれくらい」と尋ねてきた。「○○だ」と答えると、顔をちょっとゆがめた。不安になって、「だめなのか」と問い返すと、「いや、大丈夫だよ」と明るく答えて、馬の頭をなでた。がんばれよ、ということらしい。

 少年はもう一度馬の頭をやさしく撫でると、たづなをぎゅっと握って前方に向かって歩き出した。そして私は、鞍の上に据えられている手綱代わりのハンドルを両手でしっかりとつかまえ、これから始まる長い道のりに備えた。

【馬の待つ広場】

- 崖登り(驚) -
 少年と馬、そして私は広場を出て道路を歩き始めた。ポッカ、ポッカ、ポッカ。馬の蹄が舗装道路に鳴り響く。馬の背中の揺れに誘われて、ウトウトと居眠りしそうだ。この冒険の行程は往復で2H弱。こんな調子で終わるのならたいした事はないなと考え始めたところで事態は急変した。
 道路の真中を歩いていた少年が手綱を引き寄せ、山の斜面に向かい始めたのだ。どうするのだろうと思っていると、少年は歩みを止めて、山を指差した。ここを登るという。
  少年の指の先をたどってみるが、道などはない。いや、よくみると確かに人がなんとか登れるのではないかと思われる通り道がある。しかし、これは、両足だけで歩いて登れるような代物ではない。両手で出っ張った岩につかまりながら、ようやく這い登っていけるという、日本でいうなら「崖」だよ。これを馬で登るというんですか、私は思わず目を瞑って息を吸った。
 待てよ、私はハタと思い当たった。ここは降りて登ろうということかもしれない。いや、そうに違いない。まぁ、歩いて登るのも馬鹿らしいがな。そう考えて、少年へ眼を向けた。が、少年の顔はすでにこちらを向いていなかった。手綱を握って、さっさと崖に向かい始めている。どうやら、降りる必要はないらしい。というか、降ろさしてください。

 だが、いい年をした大人が子供に向かって、「怖いから降りる」なんぞとは死んでも言えない。腹をくくって、ハンドルをつかむ手に力を込めた。斜面に差し掛かると、馬は前脚でガシッと土を踏みしめた。続けて、ガシッ、ガシッと上がっていく。気がつくと少年はいつの間にか後ろに回り、馬の尻を押して、前に進めとばかりに声を張り上げている。
 「お兄さん、体をもっと前に倒して!」と少年が叫んだ。私は要求されるがままに、体を前に傾けた。途端に馬の動きが軽くなる。「そう、そう」と少年の満足そうな声が後に続いた。馬はガッ、ガッ、ガシッ、ガシッ、勢いよく崖を踏みあがってゆく。私はただ必死に鞍につかまるだけだ。

 7年ほど前、中国人の学生に連れられて山登りをしたときのことを思い出す。あの時も、2本の足でさっさと駆け上がる学生を横目に両手両足を地面について、へばりつくように登ったものだ。山登りと言えば、道筋がきちんとついたところしか経験がなかったので、崖状になったところを何の支えもなしに登っていくなど考えられなかったから、本当に怖かった。一瞬でも足を滑らしたりしたら、一気に下まで転がりおちるしかないのだから。

 それと同じような斜面を今は馬に乗って登っている。馬まかせなので、体は楽だが心はそうではない。そもそも、馬ごと転がっていくとしたら、どうなるのだ。最初に下敷きにされたところで、大怪我間違いなしだ。(逆に、下敷きにしてやればいいのだが、この時点ではそんなことは思いもよらない)。
 十数分ほど登ったところで、道幅が広がってきた。それなら怖くないだろうと思うかもしれないが、実は逆だ。なぜなら、すでに相当な高度まで上がってきている。馬の上からみた崖下ははるか彼方。その先は疑いようもなく天国に繋がる道だからだ。しかし、馬はそんな私の思いを全く意に介せず、トッ、トッ、トと歩みを速めた。

- 馬よ、我が声を聞け! -
 右側は崖、左は斜面、道幅1メートル弱。この状況であれば、普通は左側に寄って歩くものである。ところが、馬は別の考えをもっていた。左側でもなく、真中でもない。蹄一つ間違えれば、崖下へ真っ逆さまという右側の崖スレスレを歩き続けたのだ。最初は、そのうち左へ寄るだろうと暢気に構えていたが、馬の動きに変化がない。これはいかんと、体重を右側にずらした。私の気持ちを感じ取った馬が左側へ移動してくれるのではないかと期待したのである。しかし、私の願いが聞き届けられることはなく、馬はまるでそこが好きなんだと言わんばかりに崖ぎわを離れない。
 こうなったら、首筋でも叩いてみるかとまで考えたが、びっくりされて前脚を高くかかげてヒヒーンのポーズでもされたらやっかいだ。そこで、これ以上やったら馬から落ちるぞというところまで体重を移動したが、やはり反応がない。
 つまり、馬は「明確な意思」をもって、崖ぎわを歩いているのだ。
 しかし、どうして危険な崖ぎわを歩かねばならないのだ。私は馬が歩みを進める前方を眺めた。じぃーっと見つめているうちにようやく理由が見えてきた。我々(馬と私)が歩いている道は一見平らなようだが、実は、斜面側のほうが少し斜めになっており、崖側に近づけば近づくほど平らになっている。つまり、少しでも楽に歩ける場所が崖ぎわなのだ。
 
 さて、馬の気持ちはわかった(ような気がした)ものの、「右側が崖」という事実に変化はない。少しぐらい大変でも左側を歩いてくれと言いたいが、重い体を乗せて運んでもらっている立場ではそんなことは口に出せない。そもそも、馬が私の言葉を解するかどうか。「ひっひひーーん」とでも鳴けばわかってくれるかな。いや、万一それが「崖を飛び降りろ」という命令だったら大変なことだ。

 そんなしょうもないことを考えているうちに、山の中腹に辿りついた。50メートル四方ぐらいの小さな広場に入ったところで、「休憩しよう」と少年が言った。私はあぶみから右足を抜き、馬からぴょんと飛び降りた。少年は馬を連れて、野原の奥に入っていく。どうやら草を食べさせるつもりらしい。

- 一家の稼ぎ頭 -
 5分ほど経ったところで、少年が言った。「出発しよう」。「大丈夫か」と尋ねると、「大丈夫だ」と元気一杯に返事をしてきた。私を乗せているとは言え、馬の脚について登ってきたのだ。相当な運動量だったろうに、今や疲れはどこにも見て取れない。さすが、山育ちの少年だ。

 馬に乗って歩き始めるとすぐに少年が話しかけてきた。「俺の取り分は45元なんだよ」。なるほど、63元の料金のうち、45元が少年のもので、18元が窓口の大人たちの分だというわけだ。「そうか、すごいじゃないか」と口が動くまま誉めてみた。が、期待されていたのはもっと別の答えだったようだ。少年は急に黙りこくってしまった。(大人たちの取り分に対する不満を伝えたかったのかもしれない)。
 「家族は何人いるんだ」と話題を変えてみる。「親父と妹がいる」と答えが返ってきた。母親はもういないらしい。「親父は何の仕事をしているんだ」。「何もしてないよ」と無表情でいう。驚いて、「それじゃ、お前が家族を養っているのか」と続けて尋ねると、「そうだ」と嬉しそうでもない返事が返ってきた。父親とはあまりうまくいっていないようだ。
 
 父親のことはともかく、45元と言えば少なくない金額だ。話を聞いてみると、この商売をしている馬の数はけっこう多くて、1日に1回ぐらいしか自分の番が回ってこないらしい。そうすると、1ヶ月で1,000元前後の稼ぎとなる。ちょうど深センに出稼ぎにきた工員クラスの給料と同じぐらいだ。「1ヶ月で1,000元の収入といったら、ここらではあまりないだろう。すごいじゃないか」というと、ようやく笑顔をみせた。実際、たいしたものだ。馬一匹で家族を養うなんて、なんだか格好よくさえある。
 これだけ書くと、この少年だけがすごいように思えるが、そうではない。馬を引っ張っている子供のうちでは、この少年はむしろ大きいほうで、小学校3年生ぐらいの女の子もたくさんいるのだ。ここまでいくと、「すごい」というより「ひどい」という感じもあるが・・・。

 長い悪路を経て、ようやく目的地に到着。ほぼ1Hの行路だ。大きな広場があり、50頭以上の馬がたむろっている。そして、その先には少数民族の貸衣装をきたり、玉龍雪山をバックに写真をとったりしているたくさんの観光客がいた。私が登ってくるときには全く他の客を見かけなかったので、少し意外な感じがする。あるいは、他の客は、なだらかだという迂回路を上ってきたのかもしれない。
 間近からみる玉龍雪山は、空を覆いつくすほどの大きさだ。冬場でなければ、あの頂上までロープウェイで登れたのだ。残念な気もするが、代わりに貴重な馬登りをすることができた。よしとしよう。
 お土産屋をのぞいてみると、牛の骨で作った箸や蟻の袋詰が売っている。牛の骨の箸を買ってみようかと財布を開いたが、100元札しかない。これでもいいか、と店の兄ちゃんに尋ねてみるが、釣りがないとのこと。残念だがあきらめた。

 風景をみる以外にやることもなくなったので、山小屋で飼われているらしき、子犬と遊んで時間を過ごす。しばらくして、少年から「そろそろいこう」と声がかかった。そして、「動物が好きなのか?」と尋ねてきた。「そうだよ。大好きだ」と答えると、少年は顔をほころばせて喜んだ。
 馬に乗って、十数メートルほど行ったところで、観光客の女の子が「この馬はすごい美人ね」と指差した。少年はその時は何も言わなかったが、しばらくして「さっきの女の子、俺の馬を美人だと言ってたよね」とはにかみながら笑った。少年にとって、馬は友人であり、誇りであり、宝でもあるのだろう。私は、そんな存在を身近にもてる少年をとてもうらやましく思った。
- 天に感謝 -
 さて、帰りは途中から、来るときと同じ険路と優しい迂回路のどちらかを選べる。登りと同じ険路を下るとなると怖さは倍増だ。だが、こんな経験は一生に何度もできるものではない。馬が落ちれば、私も落ちる。運命共同体だ。一対一であれば納得がいくというものだ。敢えて険路を選択する。

 馬と私、そして馬で生活を支ええている少年。二人と一匹は運命共同体。そう自分に言い聞かせて、道を進んでいく。だが、馬には馬の考えがあったようだ。木が所々に生えているでこぼこの多い広場に出た途端、突然暴れだしたのだ。(ちなみに少年はいつも綱をひいているわけではない。たいていは後ろをついてくるだけだ)。
 暴れだしたといっても、前脚を高くあげたりするわけではなく、ただ道以外の場所をめくらめっぽう走るだけなのだが、これがかなりの迷惑だ。なぜなら、馬はなんなく通れても、上にいる私の高さのところには木の枝がわんさかあったりするからだ。精一杯、頭を下げるが効果なし。幾度も幾度も枝に突っ込む。おいおい、いつ終わるんだ。そのうち怪我するぞ、思い始めたところで、ようやく少年が追いついてきて、馬をなだめてくれた。「勝手に走り回っちゃって・・・」とかぼやいている。その割には全然すまなそうじゃない。まぁ、馬のやったことだからな。(このときは気づかなかったが、少年よ、わざとやっただろうーー、笑)。

 そして、最後の冒険、下りの険路行が始まった。一歩進むごとに、馬の脚が坂をずりっ、ずりっと滑り落ちる。少年は手綱を引きながら、何度も何度も馬を振り返り、行き先を誘導する。その必死な表情に、(こっちの道を選んで悪かったかな)と申し訳なく思うが、ここまで来たら躊躇してはいられない。迷惑をかけないように大人しく鞍にまたがっていることが私にできる全てだ。難所に差し掛かる度に、目をつぶって天に無事を祈った。でも、せっかくの経験なので、デジカメを取り出し片手でパチリパチリと写真をとる。少年が(こっちが一生懸命やってるのに、この兄ちゃん何やっとるんだ)という顔をしてこっちをみた。(うーん、さすがにまずいかな)と考えたが、とにかく貴重なチャンスだ。これは逃せない、と続けて写真をとる。最初はちょっとムッしていた少年も、しまいにあきれて吹き出していた。

【崖下り】

 そして、とうとうふもとに到着した。舗装された道路をポッカ、ポッカと広場まで戻る。いやー、楽しかった。今回はロープウェイには乗れなかったが、それに引けをとらない経験であった。なんと言っても、日本ではありえない観光だ。少年に感謝、天に感謝を捧げる。

- さらば、麗江 -
 帰りはどうしたもんかな、と考えていると公共バスの運ちゃんが声をかけてきた。来るときに乗ったのと違ってピカピカの新品だ。8RMBだというので、乗って帰ることにした。

 街に戻ったときにはすでにお昼すぎ。もう、大きな観光地を回る余裕はない。そこで、新しく開発された新地区(新大街)をブラブラと散歩してみることにした。世界遺産のおかげで、観光収入が絶え間なく入ってくるのだろう。どの建物も新しく立派だ。大理と同様、白を基調とした家が多く、なんだかほっとする。あんな山奥で馬を引いて暮らす少年がいる一方で、こんな真っ白な家に住む人々がいる。ひどい、と思う人もいるかもしれないが、私は中国のこんな多様性が好きだ。自分の好きな自分でいて良い、そう認められている気がするからだ。

【麗江の新地区】

 夕方からは再び古城へ出かける。またもや、お土産を買い込んでしまった。とにかく魅力的な品々が多い。しかし、値段も高いので、お金がいくらあっても足らなくなりそう。製作者が自分で販売している場合も多く、単なる売り子というよりアーティストのような物腰で説明してくるので、値切るのも容易ではない。でも、ここでの買い物は後悔しませんよ。本当にお勧めです。

 そして、麗江の旅もここで終り。再びここを訪れるときが来るだろうか?その時は必ず玉龍雪山に(ロープウェイで)登ってやるぞ。

2003年1月22日

この旅は「昆明探検記」に続きます。