長沙市の旅


灰色の部分が湖南省です。

2005年2月5日

  早朝6:50出発。グッピーの水槽には昨日のうちに自動餌あげ器をセットしておいた。これで飢え死にする心配はあるまい。一週間放っておくことになるから、水の状態が多少悪化するのは避けられない だろうが・・・。

 アパートの近くで4輪青タクと話をつける。4輪青タクでは空港の中まで入れず、駐車場の入り口からターミナルまで歩かねばならない。だが、早朝はこれしか停車していないので選択の余地がない。30RMBで決めて、さっと乗り込んだ。

 まだ周囲は薄暗い。だが雲は少ないから、深センは好天気になりそうな感じだ。湖南省も同じだといいが、広東省だけで日本の2分の1もの面積があるのだ。隣の省の天気など着いてみなければわからない。でも、Zが新聞の天気予報を読んでいるかもしれない。そういったことに気が回る性質なのだ。ちらっと横にいるZの方をみた。ぼんやりとした表情で前方をみている。まだすっかりは目が覚めていないようだ。こういうときは、話しかけてもトンチンカンな答えしか返ってこないので、尋ねるのは止めにした。

7:10、空港の駐車場着。入り口から空港ターミナルまで歩いていく。Zが後ろで、「今日は私は幸せです」とたどたどしい日本語でつぶやいている。私が振り向くと満面に笑みを浮かべて応 えた。すっかり目が覚めたようだ。Zは、通っていた日本語学校の初級コースが終了し てから、めっきり外に出る機会が減っていた。しばらくアパートにこもり切りの状態が続いていたから、外で活動できるのが余程嬉しいに違いない。

 ターミナルの1Fに入ると、セブンイレブンが目に入った。そうか、空港にもオープンしていたのか。中国でセブンイレブンをみかけると、反射的に日本のコンビニエンスストアの様子が頭に浮かび、それが次の瞬間「ああ、ここは中国なんだっけ。日本の雑誌とかは置いていないんだ」という失望に変わる。そんなことをここ数年間繰り返してきた。だが、最近はセブンイレブンのマークをみて も、そのように考えることはない。すぐに中国の店内の様子が頭に浮かぶようになったからだ。さすがに日本での記憶が薄れ始めたのだろう。気が楽になったような、寂しいような・・・。

  エスカレーターで2Fに上がるとすぐに電子ボードのところへ行き、チェックインカウンターの確認を始める。だが、なかなか私たちが搭乗する便が表示されない。しびれを切らしたZが「こっちのほうが速いわよ」と言って、チェックインカウンターの前に向かって歩き出した。カウンター上部の電光掲示板を一つ一つ見て歩こうというのだ。
 「駄目だ。この電子ボードで確認しなさい」と声で押しとどめようとしたが時遅し。(深セン空港はターミナルが二つに分かれているんだ。こっちのターミナルだとは限らないんだぞ!)と 心の中で叫びつつ、手で戻れ、戻って来いと合図をするがどんどん離れていく。(諦めて戻ってくるだろう・・・)と考えた瞬間のこと。「○○(私の名前)、あったわよ。長沙行きのカウンター!」と嬉しそうに叫ぶZの声が響き渡った。「あっち、あっち」と私を振り向かせようとする。
 「駄目、駄目」と手を振って、「電子ボードで確認してからにしなきゃだめだよ!別の便かもしれないんだから」と指示する。ほぼ同じ時間帯に長沙行きがもう一本出ているのはチケットを買うときに耳にしている。とは言え、Zも搭乗便の番号は覚えているだろうから、恐らく、Zの見つけたカウンターに間違いはないだろう。でも、いずれZが一人で飛行機に乗ることもあるだろうから、ここで妙な習慣を身に付けられては困る。こっちに来いという私の強い身振りに、しぶしぶ従うZ。
 忍耐強く待っていると、ようやく我々の搭乗便が電子ボード上に表示された。指で、チェックインカウンターの数字を指し示した後、そちらへ向かう。心配していた通り、Zが見つけてきたカウンターだ。これで、(そらみなさいよ!)とか思われると困るのだが、今回は仕方がない。あくまで『これでいいんだ!』という顔をみせて、チェックインカウンターの列に並 んだ。・・・おっと、空港建設費のチケットを購入していなかった。再びZに声をかけて記憶にあった売り場の方向へ向かう。・・・が、ない。ハテ?と首をかしげているうちに、頭の中にぼんやりとした記憶が浮かび上がった。確か・・・、確か・・・、空港建設費はチケット代に含まれるようになったと誰かが言っていたような。

  そこで、チェックインカウンターに戻ってみた。客が続々と押し寄せているので、とりあえずZに列の一番後ろについてもらって、私はカウンターまで行きスタッフに尋ねてみる。「ちょっと尋ねたいんだけれども、空港建設費はチケットに含まれるようになったんだっけ?」。「そうよ」とちょっと意外そうな表情とともに返事が返ってきた。この感じだと、実施されてから結構日が経っているのだろう。前回飛行機に乗ったのが8月下旬でそのときはまだ空港建設費チケットは別売りだった。私にとっては、さほど日が経っていないような気がするが、空港のスタッフにしてみれば、何万人いやもしかしたら何十万人も乗客をさばいているわけだから、何を今更という思ったとしても不思議はない。

 7:40、チェックインを終え、審査のゲートへ向かう。チェックイン時には以前にはなかった荷物預かり料というのが取られた(10RMB)。なんだかんだとお金をとる方法を考えるものだ。

  審査、ボディチェックを無事終えて、搭乗口へと向かう。オートウォークに立って、通路を抜けていく途中でZが「あの水槽、とても綺麗ね」と通路のあちこちに置かれた、観賞用熱帯魚が泳いでいる大きな水槽の一つを指差した。ちょっとはしゃいでいる感じだ。朝からの上機嫌がまだ続いているらしい。グッピー愛好家の私としては、「そうだね。あれぐらいのを一つ買おうか」と言わずにおれなかった。だが、口に出した途端にZの声がこわばるのがわかった。「駄目!」。(まぁ、無駄だとは思っていたが・・・)。私たちの小さなアパートには、30Lと60Lの水槽が一つずつある。Zは部屋が水槽で埋まってしまうのを極度に恐れているのだ。「冗談、冗談。本気にするなよ」と切り抜けざるえない。

 着いてみると、搭乗口はすでに開いていた。私はいつも早めにいくようにしているので、こんなにタイミングよく乗れることは滅多にない。いい気分で、搭乗!

 離陸。前回の内モンゴルへの旅行が往復ともに飛行機だったので、Zが飛行機に乗るのはこれで3度目になる。もう慣れたかとおもったが、離陸の瞬間はやはり怖いらしく外をみようとしない。実は、私も平気なわけではない。(二年前にバイタクから転げ落ちて以来、乗り物に抱いていた絶対的な信頼感を失ってしまったようだ)。でも、Zを脅かすためとなれば話は別だ。「おい、おい!見ろよ。翼のネジがポロポロ落ちていくぞ~~」と大げさに外を指差す。Zは「また、また嘘ばっかり」と言いながらも顔を伏せて目をぎゅっと閉める。うははっ。楽しいぞ。

 10:00、「長沙」着。ターミナルを抜けて、荷物受け取りレーンのところへ行く。便数が少ないのか、数ヶ所の空港からの荷物が一緒のレーンに流れている。広州便のものはその内の一つだった。だが、待てども待てども荷物が流れてこない。「あっちじゃないの?」とZが隣のレーンの方へ歩き出した。確かにそちらにはたくさん荷物が流れ始めている。だけど、いくらなんでも電光掲示板の表示が間違っているってことはないだろう。改めて電光掲示板をみると、確かに「広州」という文字がピカピカと点滅している。うーん、広州、広州。あっ、今日は深セン空港から来たんだっけ。間違っていたのは私の記憶であった。隣のレーンの電光掲示板を見ると、「深セン」の文字がピカピカと光っている。「Zっ!ごめん、ごめん。俺が間違ってたよ。そっちだ。そっち!」と声をかけると、Zは馬っ鹿ねぇという表情でこちらを見る。いつも私に叱られているせいか、こういうときはとても嬉しそうだ。ウムムッ、旅行はまだ始まったばかりだというのにこれではいけない。気を引き締めなければ。

  10:15、リムジンバスに乗って長沙市内へ向かう(16RMB)。いい席をとろうとバスに向かって突っ込んでいくZ。だが、「チケットはチケット売り場で買ってきてね」と乗務員に諭され、肩を落として戻ってきた。しかし、立ち直りは早く、今度はチケット売り場に向かって突進、「○○、こっちよ、こっち!」と騒々しい。Zは中国人としては大人しい部類だと思うが、席取りのエネルギーだけは誰にも負けない。

 10:50、リムジンの終点である民航酒店に到着。宿泊料金を聞いてみると、180RMBちょっと。料金は手頃だが、部屋がかなり暗い感じだ。それに、建物が極端に古いので却下。続いて、ガイドブックを参考に、「神農大酒店」と「華天大酒店」に電話をする。しかし、いずれも400RMB、500RMBの大台にのっており、とても考慮できる金額ではない。200-300RMBぐらいで綺麗なホテルはないものか。まだ時間も早い。Zはシャワーを早く浴びたいらしく、どこでもいいから早くしてよという風だが、下手なホテルにすると文句が一番多いのもZだ。説得して、ホテル探しにもう少し時間を費やすことにした。

 まずは、対面にある「長島(大?)酒店」へ。地下道を抜けて、反対側に出て、ホテルへ入る。垂れ幕がかかっており、完全リフォームの部屋が188RMB。これはいけそうだなと希望を抱きながら、部屋の下見をさせてもらう。確かにしっかりとリフォームされている。建物そのものは若干古いが、部屋さえ綺麗なら問題ない。今日はここにしとこうかと振り向くと、ZがOKの意思を示して軽く頷く。そこで、Zを部屋に残して1Fへ降りた。ところが、いつもどおりチェックインしようとパスポートを出したら、「外国人は泊まれません」と断られてしまった。そんな風に言われたのは久しぶりなのでいささかショックを受けた。やむなくZを呼びに戻り、再びホテル探しに出る。

*注)旅行後、インターネットで調べたところ、他の旅行者も長沙で「外国人は駄目」にやられていることがわかった。最近は、大きめのホテルであれば外国人不可ということはまずないと思っていたが、長沙のほうでは、まだまだ昔の習慣が残っているのだろうか。でも、貴州省貴陽でも、問題なかったのに・・・。もっとも、断られたのはこの「長島(大?)酒店」だけだから、たまたま例外に当たったのかもしれない。

 その後、数軒のホテルを当たったが、どこも高すぎて泊まれない。徐々にいらだちを増してきたZ。「仕方がないから、最初の『民航酒店』に泊まろうか」と提案をすると、とにかく早くして!といった態度を示す。もはやこれまでと、タクシーをとめる手を上げたとき、偶然、対面の少し斜めのところにある「華橋酒店」というホテルが目に入った。もうこれで最後だからとZをなだめ、道路を渡る。フロントで料金を尋ねてみると、標準ツインで188RMB。部屋の下見で、ユニットバスが少し汚いのに気づき、ワンランク上の豪華ツイン218RMBに変更してチェックインにかかる。私がチェックインを始めるとすぐに、Zが「お腹が空いて死にそう~」とつぶやきながら、ロビーからフラフラと外へ向かった(12:45)。オイオイ、ちょっと待て。声をかけるが、止まらない。後ろ姿に「チェックイン終わったら、ここで待っているからなー」とだけ伝えた。

 チェックインを終えロビーで待つこと5分。Zがパンと鶏肉をゲットして戻ってきた。「お店がなかなか見つからなかったのよ」と言い訳をしている。でも、満面の笑顔。部屋に入ると、さっそくムシャムシャやりだした。「あなたも食べる?」と鶏肉をこちらに差出しながらも、パンを食べる口はとまらない。これだけうまそうに食べてくれれば、パンも鶏肉も満足なことだろう。ところが、すっかり食べ終わったZが、「この鶏肉まずかったわ~」と発言。トリさん、トリさん、成仏してください。(ここでは鶏肉と表現していますが、ニワトリではなく、鴨の腿を燻製にしたものです)。

 1:45、ホテルを出て、解放中路を西に向かって進む。「お腹も膨れただろうし、先に観光に行って、それから食事にしようか?」と私が言うと、首をブルンブルンと横に振って「まだ食べられるわ」と拒否を示す。「いや、だってパンと鴨の腿を食ったばかりだろうが」。「ま・だ・た・べ・ら・れ・る!」。「わかった、わかった。食べたいんだな」。「うん」。それなら食事だ。さて、どこで食べようか。解放中路にはレストラン風の綺麗な湖南料理屋が二軒あった。Zは気に入ったようだったが、なんとなく先延ばしにしているうちにとうとう路が途切れ、北に向かう「菜園路」へ抜けていくことになった。先ほどの湖南料理屋で食事を済ませておいたほうがよかったかなと後悔し始めたところで、大衆食堂らしきお店が数軒姿を現した。

 あまり気が進まなかったが、これ以上先へ進んでお店が一軒もなくなったら困る。Zがイライラし始めているようだからだ。適当に選んで、そちらの方に進んでいこうとすると、「なんだか汚い感じよ。この食堂・・・」と私の腕を引き止める。(おっ、店を選ぶということは、まだお腹に余裕があるのか)。しかし、すぐに「あっ、大丈夫、大丈夫、勘違いだったわ。中はまともよ」と高い声が上がり、今度は私の手を引っ張って食堂へと突き進む。(おい、おい、パンと鴨肉を食ったばかりだろうに)と思いつつ、店内に入った。

【お昼を食べたお店】

 お店の中では数組の客がテーブルを囲んで、小さな鍋をつっついている。暖かそうでいい。私たちも同じ小さな鍋と白菜の炒め物と白飯を注文。しばらく待っていると、大きなドンブリにご飯を盛って、ウェイトレスがこちらにやってくる。Zが「あっ、あんなに大きなドンブリで食べるの~」と驚きの声をあげた。が、テーブルに置かれたどんぶりにはしゃもじが挿し込まれている。なるほど、ドンブリからお茶碗に小分けして食べろというわけだ。いくらなんでも食べきれないぞと慌てていたので、ホッと胸をなでおろす。記憶を探ってみれば、貴州省にいたころは、どのお店でもこんな風にどんぶりで白飯をよこしたものである。北方の街を経て、今の広東省に住むようになってからは、最初のうちこそ、一々お茶碗で持ってこられるのは面倒くさいなと思っていたものの、いつの間にかそれが当たり前になっていた。慣れとは恐ろしい。

 私たちが料理を待っている間に、大勢の客がぞろぞろと入ってきた。そんなにテーブルはないぞと思ってみていると、客はすべて2Fへ上がっていく。ああ、2Fもあるのか。その後も、次々に客がやってきた。けっこう繁盛しているようだ。
  しばらくして、私たちの鍋も登場。わずか18RMBとあって、小ぶりの鍋だが、食べてみるとすごくうまい。しばらくして出てきた白菜の炒め物までが美味しい。二人とも、料理に出す手がまったく止まらない。湖南料理が美味しいのか、この店の料理が美味しいのか・・・。途中のお店に入らなくてよかった。しみじみと考えながら、料理を心ゆくまで楽しんだ。

【お昼ご飯- 長沙 -】

 食事を終えて、お勘定。小鍋18RMB、白菜4RMB、ご飯2RMBで、合計24RMB。大満足のお昼となった。

  店を出て大通りに出ると、そこは「五一大道」。駅から真っ直ぐに長沙市を貫く長沙市の主要道路である。

 Zが「寒いから手袋が欲しい」というので、ぶらぶらとお店を回る。長沙市の商品の陳列方法は独特で、どこのお店も、商品を小山のように盛り上げて積み重ねてある。中国は広いから、地方ごとに独自の美観のようなものがあり、非常に面白い。ここでは結局気に入った手袋がみつからず、とりあえず、地図を頼りに「湖南省博物館」へ向かうことになった。

 「五一大道」を渡り、そのまま通りをまっすぐに進む。さきほどの「菜園路」が「五一大道」を横切り、つながっている。この「菜園路」は名前の通り、食事どころが多い。もっぱら大衆食堂ばかりだが、さきほどのお店のレベルからしても、うまい店がそろっているのではないだろうか。レストラン以外に服屋もたくさんあり、Zはこちらのほうが気に入ったようだ。そのうちの一軒に小物屋があり、Zはそこで手袋を購入。お店のあちこちに、「松浦亜弥」の写真とロゴが張りまくられ、アヤヤ専門のチェーン店とアピールしている。北京に本店があるそうだが、そんなわけはあるまい。あいかわらずアバウトな国だ。

【菜園路】

   「菜園路」を抜けると、「八一路」に出る。見上げると、ビルに霧がかかっており、上まで見通せない。長沙はいつもこんな感じなのだろうか。幻想的でいい雰囲気だ。

【霧で隠れたビル- 八一路 -】

 「八一路」を横切って、「清水糖路」に入る。この通りは骨董品屋さんがずらりと並んでいて、それに合わせるように古い街並みが残されている。

【清水糖路<1>】

 「清水糖路」には、すでに古くなってしまったが、昔は洋風ということで売り出されたのではないかと思われる4,5階建てのアパートがいくつかあり、なんとなく興味を引かれた。

【清水糖路<2>】

 「清水糖路」を抜けて、「東風路」へ。「東風路」にそって烈士公園があり、この広大な敷地を眺めながら、まっすぐに進む。

【烈士公園】

 「まだなの?」とZが文句をいい始めた頃、ようやく「湖南省博物館」に到着(15:15)。「さあ~、ここに2000年前の遺体が横たわっているんだよ」と私が言うと、Zは緊張した面持ちとなった。どうやら、怖いらしい。「なんだか、女性の呼び声が聞こえるぞ?」と追い討ちをかけてやると、両手で耳をふさいで博物館の方角へ逃げ出した。ぬぬっ、逃げるとは卑怯なり。

【湖南省博物館<1>】

 博物館の入場料は一人50RMB。ちょうど西安の兵馬傭が特別展示されており、こちらも見るならプラス25RMBとなる。だが、兵馬傭はやはり西安でみるものだということで今回はパス。(私は以前に西安に行ったことがあるので兵馬傭もみたことがあるのだが、Zにも西安で見てもらいたかったのだ)。

 内部は、とても綺麗に内装されていて、今まで訪れたことのある博物館の中ではピカイチである。スタッフもよく教育されているらしく、博物館の雰囲気を壊さないようにしながら展示物の安全を図っている。まず建物の上層部へ行き、古墳から発掘された古代の衣服や生活日用品等を見学。巨大な木造の棺おけ(?)も展示されており、圧巻だ。

 クライマックスはやはり、2000年の時を経て現代に蘇った女性の遺体。これは地下の部屋に保管されている。部屋の中央に遺体があり、周囲の壁には取り出された内臓が一つ一つ展示されていた。恐る恐る遺体を覗き込み、その姿が頭の中に焼きつかないうちに目をそらす。しかし、しばらくすると、また魅入られるように覗き込んでしまう。それから、展示されている内臓を一つ一つ眺め、外へ。ところが、部屋の出口に差し掛かったところで、強烈な腐臭が私を襲った。思わず吐き気をもよおす。なんとか我慢しながら部屋を出た。

 あれは何だったのだろうか。このよく管理された博物館ではありえないことのように思える。あるいは、参観客の精神が、悠久のときを超えてやってきた恐るべき遺体の力で、死後の世界へ連れ込まれてしまうことのないようにとの博物館の計らいなのではないか。そんな風にすら思えた。

【湖南省博物館<2>】

  博物館の門を出て、すぐにタクシーに乗り、「天心公園」へ向かう(8RMB)。

【天心公園<1>】

 16:00、天心公園着。ここは、入場料が2RMB。楼閣に登る料金が8RMB。セットで10RMBとなっている。

【天心公園<2>】

 小雨が降り続いている。夕方になりだいぶ冷え込んできた。私は上下ともに厚着なのでなんともないが、薄着のZは「寒い、寒い」とつぶやきっぱなしだ。冬の旅行は体温が確保できるかどうかで、快適さが決まる。散々、厚着を勧めたのだが、聞き入れてくれなかったのだ。しかし、本人が嫌だというものを無理に着せることはできない。様子をみるしかないだろう。

【天心公園<3>】

 他に訪れる客もなく、なんとも寂しげな公園だが、整備はきちんとされている。

【天心公園<4>】

 4階建ての楼閣を一番上まで上る。2階、3階の部屋に展示品があるが、どの部屋もカギが閉まっており、入ることができない。そこで、外周をぐるりと回りながら、街の風景を楽しむ。建物は低いが公園自体が高台にあるので、意外に眺めがよい。

【天心公園<5>】

 楼閣を下り、楼閣を囲む城壁の内側をぐるりと回る。すると、その一角に出入り口があるのに気づいた。長い石段で入場門とは反対側の道路に通じている。せっかくだから帰りはこちらから出てみようと考えたところ、階段の一番下のほうで、長いコートをきた数人の男がたむろっているのがみえた。遠くてよく見えないが、いかにも怪しげだ。周囲には他の誰もいないし、絡まれたりしたら、やっかいなことになるだろう。「危なそうだから、入場門の方から出ようよ」。そういって、Zの手を引っ張り、一旦階段から離れた。だが、Zは「大丈夫よ。○○は気が小さいんだから」と言って、私の手を振り払った。「だって襲われたらどうするんだよ」。「ぜっーったい大丈夫!」。「うーん」とうなる私。「じゃあ、10RMB賭けよう!」とはしゃぐZ。「えっ?」。「もし、なんともなかったら、10RMBちょうだいよ」。「じゃあ、怖くなって引き返したら、10RMBよこせよ」。「いいわよ」。賭けが成立した。

 再び階段のところまで戻り、一段一段降り始める。ところが、さきほどウロウロしていた長いコートの男たちがいない。「あれっ?さっきの男たちがいないぞ!」。Zを見ると、振り向いて「10RMBは10RMBだからね」と念を押してきた。(くっ、やられた・・・)。しかし、どこへ行ってしまったのだろう。あの男たちは。もしや、門の守衛か何かで、部屋の中に戻ってしまったのだろうか。階段を下りたところにある門の横の小部屋を覗き込んでみるが、人影すらない。

 Zが「はい!10RMBちょうだい」と手を伸ばす。クゥ、こんな奴に10RMB負けるとは。仕方なしに10RMB札を渡すと、Zはパッと取り上げてポケットにしまった。

【天心公園<6>】

  階段を降りきって、天心公園を見上げると、楼閣が厳かに建っているのが見える。正面から入ったときには公園に城壁までつけるなんて、ずいぶん大げさなと思ったが、こうやって下から見上げると、立派なお城である。そのうち、天心公園の歴史を調べてみるとしよう。

【天心公園<7>】

 通りに出ると、肉マン屋が目の前にあり、客が群がっていた。長沙に来てからこうした小さな店舗の肉マン専門店をあちこちで見る。(うまそうだな・・・)と私が眺めていると、Zが「あたし、お腹が空いた。○○にもさっきの10RMBでおごってあげるから、食べようよ」と言い出した。「ああ、じゃあ、野菜マンを一個買ってよ」。「わかった」と言って、Zは客の集団の中に突入。しばらくして、ホカホカの野菜マンを二つ買ってきた。だが、食べてみると、中はお肉のみ。「これ肉マンじゃない?」と疑念を投げかけると、「そうね、お店のオバサンが間違えたのかなぁー」とさらっと言う。(自分が肉まん食べたかったから、俺の要望を忘れたんだろ~~)。まぁ、肉まんもうまいからいいや(1RMBで2個)。

 4:30、肉まんを食べ終えて、タクシーをつかまえにかかる。今日、飛行機で着いたばかりだというのに、ずいぶん歩いた。さすがにへとへとだ。タクシーが来るたびに二人そろって手を上げるが、どれも乗客中で、私たちの前をスッーと素通りしていく。空のタクシーがまったく来ない。あきらめてバスに乗ろうかと思ったが、そもそもホテルのある場所がよくわからない。とにかくこの場所は駄目だということで、移動することにした(4:50)。

 しかし、移動したところで、そんなに状況は変わらないだろうと悲観しながら歩いていたところ、公衆トイレを発見。いや、公衆トイレの前に止まっているタクシーを発見した。駆け寄ってみると、運転席は空。つまり、運転手は用を足している真っ最中ということだ。これはいけるに違いないとタクシーのそばでじっと待つ。Zは疑わしげな様子をしているが、とにかくこのチャンスに賭けようと説得した。

 3分が経ち、ようやく運転手が登場。「乗っていいか?」と勢い込んで聞くと、気圧されたように「あっ、ああ」と返事が上がる。「やった」と私とZがガッツポーズ。そそくさと乗り込んだ。ホテルまでの道のりで、運転手に夜市の場所を聞いておく。これで、夜も楽しめるというものだ。5:00にホテル着(8RMB)。

 シャワーで汗を流してから、一眠り。よほど疲れていたのか、熟睡状態。ところが、はるか遠くから、「○○(私の名前)、○○!起きて」という声が聞こえてきた。ウーム?と目を覚ますとZが私の体をゆすっている。「起きてよ。夜市へ行こうよ」と私の体をゆすり続ける。時計を見ると、8:00だ。うーん。夜市か~。でも、今日は歩きすぎた。「今日は疲れたよ。Zも疲れているだろうから、もう、今日は止めようよ」と私は再びベッドにもぐりこむ。数分間、Zは静かにしていたが、またもや「○○、夜市に行こうよ」と声をかけてきた。うーん、こりゃ、眠らせてくれそうもないぞ。「Z、疲れていないのか?」と聞くと、「私は臭豆腐が食べたいの」と言う。なるほど、お腹が空いたわけだね。お腹が空いたZを止める方法は何もない。仕方がない。行くか!ベッドから抜け出して、着替えにかかった。

  8:40、ホテルを出て、通りを走るタクシーに向かって手を挙げる。だが、さきほどと同じで空のタクシーが全く通らない。雨も降っているので、これ以上道路脇にいるのも大変だなと考え出したところで、幌つきのバイタクが私たちの前に停まった。運転手が、「乗れよ」と声をかけてくる。うーん、複数人シート付のバイタクは危ないからなぁ。でも、選択の余地はすでになさそうだ。「南門までいくら?」と尋ねると、「8RMB」だという。タクシーと同じじゃないかと思ったが、この雨だ。交渉するのも困難だ。諦めて乗車することにした。

 幌つきなので雨には濡れないが、窓がなく外が見えないから、怖いことこの上ない。乗ったことのある方はご存知であろうが、シート付のバイタクはでこぼこ道を通ると、自分の体が跳ねて外枠に当たるという大きな欠点がある。鉄のパイプが支柱になっていたりすると、ぶち当たったら、タンコブでは済まないから、乗車中は細心の注意が必要だ。だが、このバイタクはその点を考慮してか、支柱に薄い鉄片の棒を使っているので、体が当たっても支柱の方が曲がってくれそうで、少し安心だ。その代わり、自動車とかにぶつかったら、一貫のお終いだろう。まぁ、自動車にぶつかれば、どちらにしろただでは済まないだろうから、無駄な心配というものか。 

【幌つきバイタク】

 9:00、無事に南門に到着。神様はまだまだ私を生かしていてくれそうだ。
 この南門は地図で確認すると「黄興路」という名前だ。夜市というよりも、巨大な商店街だ。

【黄興路<1>】

 でも、さすが中国。この立派な商店街でも、あちこちで露店が開かれているようだ。最初に目に入ったのはオデン屋。ちょっと汚い感じだったので私は気が進まなかったのだが、Zが食べたい、食べたいと騒ぐ。やむなく、了承。私もコンニャクを一つ賞味してみることにした。「うーん、美味しい。でも、さすが湖南!辛いよ」と思わず声が出る。

【黄興路<2>】

 続いて、「臭豆腐」。本場の「臭豆腐」だ。以前、深センで食べたときは、臭くて不味くて、二度と食べまいと思ったが、なにしろ、本場湖南の臭豆腐だ。一度味わっておかなければならない。Zが1RMB3個で買ったので、一つ譲ってもらって私も食べる。「おいしい~!」とZが声をあげる。・・・確かに美味しい。何よりも、深センの臭豆腐のように臭くない。これが本場の「臭豆腐」なのか。あるいは、深センに出てきて「臭豆腐」を売っているのは、湖南でも辺鄙なところに住んでいる人で、地方の「臭豆腐」があんな味なのかもしれない。いずれにせよ、長沙の「臭豆腐」はそんなに臭くなく、非常に食べやすい。とてもお勧めです。皆さんも機会があったら、是非食べてみてください。

 それから、Zの服屋巡りが始まった。商店街に来ると、Zのショッピング熱があがるので毎度困ったことになるが、仕方がない。私も服の値段に注意を払ってみる。厳密なことはわからないが、ダウンジャケットの値段が深センよりもだいぶ安いようだ。深センの2分の1から3分の1ぐらいのものが多いようだ。しかも、形も格好のいいものがたくさんある。深センは冬になってもあまり寒くならないから、冬物の市場としては立ち遅れているのかもしれない。

【黄興路<3>】

 服屋巡りを終えて、再び露店を訪れる。今度は、「米餅」。1個1RMBだ。ご飯を円形に固めたものを油で炒めて鉄板の上に並べてある。注文をすると、真中で二つに割って、炒めた野菜や漬物を中に入れてこちらに寄越す。一言で言えば、中国製ライスバーガーだ。油がきついので日本人には向かないが、まぁまぁ、食べられる。Zは再び、「臭豆腐」にかぶりつく。ついでに私も一つ食べた。何度食べても、長沙の臭豆腐は美味しい。Zは、こんなに美味しい「臭豆腐」は初めて!ともうやみつきの様子だ。 

【黄興路<4>】

 この商店街はまっすぐに長く伸びていて、距離も造りも広州の北京路に決して負けていない。だが、子供の乞食が多いのには辟易させられた。やはり、内陸に入れば入るほど、いわゆる人権に対する意識は薄くなるのだろう。食べられてナンボということだろうか。

 歩くうちに、再び露店を発見。こんどは油であげたお餅。甘い醤油で味付けしてあって、日本人好みの味である。湖南は美味しいものばかりだなーと感動しつつ、ぱくつく。ふと気づくと、すでに10:10。もうお店も順次閉まり始めている。明日からさらに寒くなるだろうということで、Zにダウンジャケットを一つ購入した後、タクシーでホテルへ戻った(帰りは簡単にタクシーがつかまった)。タクシーに乗る直前、Zは再びおでん屋でコンニャクを買い、タクシーの中でうまそうに食べていた。

 10:40、ホテル到着。ベッドの中で明日のスケジュールを検討。全体のスケジュールを考えると、明日は「岳陽」へ向かわざるを得ない。だが、バスがいいか、列車がいいか?普段なら迷わずバスを選ぶところだが、長沙の長距離バス・ステーションは、どれも駅から1H以上かかるところにある。列車で行くしかないか・・・。半分そう決めて眠りに着いた。

2005年2月6日
 8:30、ホテル出発。もっと早く出る予定だったのだが、寝坊をしてしまった。昨日ハデに動き回ったせいでいささか疲れがたまっていたらしい。窓から外を眺めると、暗い曇り空。どうやら雨が降っているようである。

 8:40、今朝はすんなりタクシーがつかまった。まっすぐに駅へ向かう(8RMB)。Zが運転手に「昨日は全然タクシーがつかまらなかったわ。ここではいつもそうなの」と疑問を投げかける。私は「春節だから・・・」という回答を予想していたのだが、運転手は「何時頃だ?4時か5時頃じゃないのか」と疑問を投げ返してきた。Zが「そうよ」と答えると、「その時間帯は交代の時間だから、みんな客をとりたがらないんだよ」と言ってきた。
 なるほど、それは深センも同じだ。しかし、昨日は本当に全然つかまらなかった。そもそも、空のタクシーが停まってくれなかったわけじゃない。どれも乗客中だったのだ。長沙ではタクシーの台数規制が厳しいんじゃないか?そう聞いてみたかったが、運転手を問い詰めたところで、事実が判明するわけではない。黙って、うなずくにとどめた。

【長沙駅】

 8:45、駅着。Zに並んでもらって、「岳陽」までのチケットを購入することにした。だが、春節のため、午前中のチケットはすでに売り切れ状態。やっと手に入ったのは午後3:45発の「無座」のチケット(24RMB/枚)であった。薄々そうなるのではないかと心配していたが、「無座」とはっきり書かれたチケットを見て改めて憂鬱になる。「無座」というのは読んで字のごとく、席がないということ。つまり立っていかなければならないのだ。1時間から2時間の短い時間だとは言え、体重のあるこの体で、立ちっぱなしは辛い。
 バスの方がよかったか。「地球の歩き方」によると、長沙のバスステーションはどれも郊外にあり、バスステーションにたどり着くだけでも1時間はかかる。そこから「岳陽」まで2時間以上の道のりだというから、乗り継ぎのロスを考えると、総時間は4,5時間となるだろう。それなら列車のほうが楽かと考えたのだ。しかし、手に入ったのは「無座」。それも発車が午後4時近くとあっては・・・。もうちょっと選択の基準を明確に定めておくべきだったかもしれない。「無座」で午前中なら列車、午後ならバスとか。もっとも、Zがバスをひどく嫌がっていた(雨で道が滑って危ないとのこと)ので、列車に決めたというのもあるが・・・。

 ともあれ、チケットは買ってしまった。列車が出るまで有意義に過ごすことを考えたほうがいいだろう。幸い、まだ訪れていない観光地がいくつかある。「じゃぁ、観光を先にする、それとも食事・・・」。「ご飯、ご飯!」とZがリュックサックの肩掛けを両手でゆすりながら、繰り返す。(聞くまでもなかったか・・・)。

 駅を出て少し歩くとちょうど大衆食堂があった。店の前ではガラス窓越しに肉まんを売り、中では簡単な料理を出しているようだ。列車の乗客相手の店だ。Zは普段はこういうところには行きたがらない。だが、今は「ご飯モード」。「Z、ここはど・・・」。「はやく中に入りましょう、はやくっ」。(はい、はい。わかりました)。

 すでに9:00を過ぎていることもあって、客はほとんどいない。お店は広いがきっと安いだけが取り柄の食堂だろう。店員もだらけムードだし・・・。
 のそのそと店員がテーブルに寄ってきて注文を取り始めた。寒さで体が縮こまり始めていたので、少しでも暖かくなればと二人とも「炸醤刀削面(ジャージャーダオ・シャオ・ミエン)」を注文(4RMB/碗)した。とにかく暖がとれてお腹が満たせればいい。さて、食事後はどうしたものかと考えているうちに、ドンブリに入った面がテーブルに到着。面にホカホカの挽肉入りのタレがかかってすごく美味しそうだ。ドンブリから冷たい空気の中に湯気が立ち上っていくのが余計に食欲をそそる。Zも「おいしそうだね」と若干興奮気味だ。タレと面をよくかき混ぜて、パクリと一口。・・・う、うまぁーい。うまい。二人そろって、「おいしーねぇ」と声をかけながら食べつづける。まさか、こんな大衆食堂で美味しい面が食べられるとは・・・。あぁ、写真をとるのを忘れてしまった、残念。

 9:30、タクシーに乗って出発。駅からまっすぐ西へ向かって進んで行く。天気は最悪で、雨粒がずいぶんと大きくなってきた。これから向かうのは、「岳麗公園」である。ここは、市内にある小高い山(面積は36K㎡だそうだ)で、中にはお寺がいくつかある。ロープウェイで頂上近くまで上がれるので、列車までの時間をつぶすにはちょうどいい。だが、道路脇の樹木の枝の揺れを見る限り、外の風がずいぶんと強くなっている。ロープウェイははたして動くのか?

 9:40、「岳麗公園」着。しかし、霧がかかって山頂が見えない。チケット売り場のおばちゃん達に尋ねてみると、ロープウェイも止まっているそうだ。これではとても登れない。公園内にタクシーが止まっており、それで上にあがれるようだが、こんな天気ではぼったくられそうだ。残念だが、入場は取りやめとした。
 幸いこの近くには、「岳麗学院」というもう一つの観光地がある。再びタクシーに乗って、そちらへ向かった。

【岳麗公園の入り口】

 10:00、「岳麗学院」着。チケットは30RMB/人。けっこう高い。敷地が広いのだろうか。ボストンバックの重さが気になる。思わず「重いなぁ」と口にすると、Zが「私も手伝う」と言って、取っ手のひとつをもってくれた。真中にボストンバックを吊るしながら、二人仲良く入場。Zはこういうような時は非常に協力的で、二人旅もいいものだと思ってしまう。

【岳麗学院<1>】

 

【岳麗学院<2>】

 

 敷地内の建物には、たくさんの部屋があり、各々の部屋で湖南省で活躍した学者たちに関する資料が展示・紹介されている。一人旅の時は、中国語を読むのが面倒なこともあって、こうした人物紹介の部屋はさっさと通りすぎてしまうのだが、今回はZが説明書きのところでいちいち立ち止まって読み始めるので、私もなんとなく読んでしまう。

【岳麗学院<3>】

 

【岳麗学院<4>】

 

【岳麗学院<5>】

 

 建物と建物の間は庭になっている。整備不足で草がぼうぼうに生い茂っている上に、雨がシトシトと降っていることもあって、寂しげな感じだ。「こういうところは、デートとかするのにぴったりだね」と私が言うと、「○○(私の名前)は、初恋の時のことでも思い出しているんでしょ?」とZが変な方向に話を持っていこうとする。「そんなことは・・・」と否定しようとしたが、気が変わった。(そう言えば、中国では片思いは初恋のうちに入らないと聞いたことがあるな)。「俺は(両思いの)初恋は、20才の頃だよ。片思いなら、小学校の頃からだってあったけど・・・」と話した。Zはびっくりして、「えっ~、そんなにはやいの?」と言うので、「じゃぁ、Zは最初の片思いはいつ頃なんだ」と尋ねてみた。すると、「うーん、私は片思い一度もないわ」という答えが返ってきた。「なに~、一回も片思いがないのか」と思わず聞き返すと、「うん、私は可愛かったから」と言う。う~ん、なんとも羨ましい話だ。思わず空を見上げてしまった。「はい、はい。Zは可愛いからねぇ~」と話を流す。

【岳麗学院<6>】

 

【岳麗学院<7>】

 

【岳麗学院<8>】

 

 部屋を一つ一つ見て回っているうちに、だんだん身体が冷えてきた。「ちょっとトイレに行きたいから、ここら辺で待っていて・・・」とZに伝える。トイレはどこだ?と辺りを見回すと、一つの部屋から美しい音楽が聞こえてくる。近寄って中を覗くと、前部の台の上で京劇のような格好をした人物が中国の楽器を弾いている。観客席には誰も座っていないが、通路に呼び込みらしきスタッフが立っていて、私たちに気づくとこちらに近づいてきた。
 私がとめる間もなく、Zが「中に入っていい?」と尋ねる。スタッフは「どうぞ、どうぞ」と大歓迎。(金をとるか聞いたほうがいいんじゃないの?)と思ったが、Zの身体はすでに部屋の中に入ってしまっている。ここで、グダグダいうと、「○○(私の名前)は疑い深いんだから」と責められかねない。たしかに稀に無料のサービスというものも存在するから、無料だった場合は、いかにも私が悪者のようになってしまう。やむなく、「じゃぁ、ここで待ってなよ」と言って、トイレ探しに出かけることにした。Zは嬉々として奥へ入っていった。

【岳麗学院<9>】

 

【岳麗学院<10>】

 

【岳麗学院<11>】

 

 トイレはどっちの方角かな~と真っ直ぐ歩いていくと、すぐ隣の部屋で書道の展示会のようなものが開かれているのに気づいた。表には看板が出ていて、観覧無料とかかれている。(無料?)。うーん、さっきの部屋の前にはそんなのなかったな。ここにわざわざ無料のたて看板があるということは、やっぱりさっきのは有料かな・・・。とは言え、時すでに遅し。とにかくトイレを済ませることにしよう。

 なんとかトイレの場所を見つけて、用を足して戻ると、Zがさきほどの部屋の前で待っている。心なしか元気がない。『お金とられたんじゃないの~?』とも聞きづらいので、「ごめん、ごめん、なかなか場所がみつからなくて・・・」と言って、二人で歩き出した。Zが黙っているので、(あれっ?無料だったのかな。余計なこと言わなくてよかったか・・・)と思い始めたところ、Zが「さっきのねぇ。お金取られちゃった」と口にした。

 「そう・・・、いくらとられたの?」。「30RMB」。(おおっ、入場料と同じ金額だ)。「入ってすぐに取られたのか」。「違う。座ると、メニューをもってきて、『音楽を選んでください』っていうのよ。一番安いので30RMBだったのよ」。「ああ、それで仕方がなく・・・」。「そうよ。荷物をもってくれて、席まで運んでくれたから、すっごいサービスいいなぁと思っていたら、これだもの。大ショックよ」。「それで、一曲だけ聞いて出てきたというわけか」。「そーよー」。「まぁ、次から気をつけろよ。観光地はそんなのばっかりだから」。「もう絶対騙されないわ」。Zは悔しげに顔を歪ませた。

 11:00、「岳麗学院」から出た。列車の出発までにはまだ4時間もある。どうやって時間を過ごそうか。外は寒いし、お腹も空いていない。喫茶店で過ごすには長すぎる時間だ。そうだ、足マッサージにしよう。

  タクシーをつかまえ、運転手お勧めの足マッサージ屋へ向かう。23RMBで到着(後日判明したことだが、この時はどうやら遠回りをされたようである)。Zが「メーターは21RMBじゃないの!」と突っ込むと、「橋を渡るのに2RMBかかるんだ」と説明された。「行くときはそんなのなかったわよ・・・」と文句をいうZをなだめて、お店へと向かう。こんなところで議論していたら、風邪をひいてしまうというものだ。

  この足マッサージ屋は、けっこうまともで、快適な時を過ごすことができた。一人50RMB(90分)と深センよりだいぶ高いが、きっちりとマッサージしてくれたので大満足。(ここには後日また来ることになる)。駅から近いから、列車待ちの時間つぶしにお勧めである(確か、重慶式足マッサージという店名だった)。

 1:10、マッサージ屋を出て、すぐそばのレストランに入る。ところが、春節ということもあって、お店はほぼ満席。私たちが二人客と知って、スタッフは隣の店で食べるように勧めてきた。「隣の店?」と声をあげると、「隣の店も系列店なんです。同じものを注文できますから・・・」と先に立って案内し始めた。なんか妙だなと思ったが、しぶしぶついて行った。隣の店は、洋風レストラン兼喫茶店といった造りで、椅子がソファになっており、なかなかいい感じ。部屋全体が明るい色づかいで落ち着ける。お魚料理と野菜料理を注文して、お腹を満たす。深センでも、湖南料理をよく食べるが、本場の湖南料理は味付けが全然違うという感想をもった。あるいは、長沙の湖南料理が違うのか?

 食事を終えてコーヒーを飲む。外はひどく寒く、降っている小雨は今にも雪か霰に変わりそうである。このままここにじっとしていたいが、そうもいかない。2:55、レストランを出てタクシーをつかまえにかかる。その間、改めて周囲をみると、この辺りは新興住宅街といった感じで建物がどれも新しい。通りの名は「晩報大道」とある。「晩報」は日本語で夕刊という意味がある。近くに新聞社でもあるのだろうか?

【晩報大道<1>】

 

【晩報大道<2>】

 

 結局、タクシーはつかまらず、公共バスで駅まで行くことになった(1RMB/人)。

  3:15、駅に到着。バスに乗っているときにも見たが、この辺りは自動マージャン機の広告がよく目立つ。マージャンのメッカなのかな?でも、メッカと言えば、中国全体がそうだし、広東省の現地人なんか、毎日マージャンをやって暮らしているようなイメージすらある。長沙ではなんでこう自動マージャン機の広告ばかりが目立つのだろうか。

 駅の中に入る前に、再び周囲を見回すと、遠くのビルが霧で隠れている。長沙は最後まで霧に覆われていた。岳陽は晴れていてくれるといいのだがと願わずにはいられなかった。

【霧で隠れたビル】

 

 入口をスムーズに通り抜けて、2Fの待合室へ行く。タクシーをつかまえるのに(つかまらなかったが・・・)時間を費やしたせいで、けっこうギリギリの到着となっていたらしく、私たちが待合室に着くとほぼ同時にプラットホームへの改札が開いた。

 チケットに記されている車両に乗り込み、なんとか座れないものかと車両の真中辺りでウロウロする。幸い席が空いていたので、とりあえず、二人並んで座った。なにしろ、私たち二人のチケットには両方とも「無座」としっかりかかれている。だから、正当な席の所有主が現れたら席を明け渡すほかない。どうか誰も来ませんようにと祈りながらじっと時を過ごす。しかし、期待虚しく、数分して私の席の乗客が現れた。続いて数分後Zの席にも乗客がやって来た。結局二人とも立たされるはめになり残念無念。立ちっぱなしで岳陽までとは憂鬱だ。一体何時間ぐらいかかるのだろう?、ボストンバッグを荷物棚に乗せることができたのがせめてもの救いだ。あとは、背中に載せたリュックの安全にだけ注意を払っていればいい。
 
 3:55、列車が動き始めた。しばらくすると、女性の乗務員が金箔のお札(ふだ)を売りにやってきた。名刺大の(偽)金箔紙ぺらに仏様(?)の絵が描かれている、いかにもご利益のなさそうなお札である。街中でもよく販売しているが、誰も買いやしない。列車の中で販売しても誰も相手にしないだろうと軽く見ていたが、意外にも購入客がいた。子連れの乗客である。乗務員は子供に「綺麗でしょー」とか言いながら取り入り、子供に手を伸ばさせる。子供が手にとってキャッキャと喜び始めると鼻の下を伸ばした父母がうれしそうに財布を取り出すといった具合だ。中国の父母は特に親バカだとは聞いていたが、あんなものまで買ってあげてしまうとは驚きだ。そもそも、列車の中で、あんな姑息な手段で物を売りつけることが許されるというのも問題だと思うが。

 それから、フラリとやってきた男の乗務員がZに「寝台の切符はいるか?」と尋ね、Zが「いくら?」と聞くと「10RMBだ」と答えた。心がグラリとしたが、10RMBという安さと乗務員の服を着ているものの、男の人相はひどく悪く、服の着方もずいぶんいい加減だった。もしや偽者ではという気持ちが先に走り、なんとなく見逃してしまった。過ぎ去った後で少し後悔したが、(あまりにも怪しすぎる。乗務員の振りをした詐欺師に違いない)と自分を慰めた。

 外はずっと田んぼだ。1時間が経過したがまだ到着する気配なし。あー、疲れたなぁ。ここまで来たらひたすら我慢するしかない。ふと荷物棚に目をやると、大きな荷物の入った、日本語で「ごみ袋」とかかれたビニル袋が置いてある。(本当に日本のゴミ袋?)と目を疑うが、じっくりみてもやはり日本のゴミ袋だ。そもそも、中国のゴミ袋では荷物を入れて持ち運ぶほどの強度はない。一体どうやって、どんな経路でこんなところまで流れついたのだろうか?留学生の忘れ物か、駐在員が現地の工員にあげたものか。あるいは、工場からの横流しかな~。そんなことを考えながら、時を過ごす。

続きは、「岳陽探検記」にて・・・。

2005年2月8日
これ以降は、「岳陽探検記」の2004年2月8日分からの続きです。

 9:00、長沙着。あー、座って来れて良かった。やっぱり疲れが全然違うよ。
 さて、次のステップだ。なんとか、今日中に「張家界」に向かって出発しなければならない。チケットはとれるだろうか。

 9:45、「張家界」行きの列車のチケットをゲット。Zの反対を押し切って、「軟臥」で行くことになった(列に並んでチケットを買ったのはZ)。「軟臥」のチケットはさすがに高く、270RMB/枚もする。Zにしてみればとんだ無駄遣いというところだろう。しかし、Zは「軟臥」に乗るのはこれが初めてだ。乗ってみればわかるよ、「軟臥」の快適さが。確かに割高だけどさ。列車の中で一泊することになるから、ホテル代込みだと思えば高くないだろ・・・(春節のため、どの列車も満席で夜の列車しか空いていなかった)。

 列車の出発時刻までは長沙の街をウロウロして過ごすことになる。だが、夜までどこに荷物を置いておこうか。リュックサックは背負っていくからいいとして、重いボストンバックをなんとかしなければ・・・。Zが「駅の荷物預かり所に預ければいいでしょ」とアイデアを出す。うーん、駅のか・・・。信用度ゼロだけど、バッグの中に入れてあるのはほとんど衣服だ。大事なものをリュックサックに移せば、いけるか。
 というわけで、「駅の荷物預かり所」の初利用。ボストンバック1個で6RMBであった。考えてみれば、私の観光は急ぎ足の場合が多い。次からこの荷物預け場所をうまく利用すれば、もっと効率的な移動ができるようになるかな?

 とりあえずは喫茶店でコーヒーだ。一昨日来たときに目をつけておいた上島コーヒー店へ向かう。途中、同じく一昨日朝食を取ったお店の前を通った。そこで「臭豆腐」を売っているのに気づいたZが、さっそく一つ買って食べ始めた。「これ、暖かくない。まずい」と文句を言いながら、口の中に押し込んでいる。どうやら、ハズレだったようだ。同じ店で食べた「炸醤刀削面(ジャージャーダオ・シャオ・ミエン)」がすごくおいしかっただけに、期待が大きかったのだろう。心底がっかりした様子であった。

  10分ほど歩いて着いた上島コーヒー店は、残念ながら開店していなかった。春節ということで、長沙では喫茶店は商売にならないのかもしれない。あるいは、つぶれたか。ともあれ、これでは仕方がない。Zを喜ばせるだけだが、ショッピング街へ行くしかないだろう。「張家界」へ行けば、もっと寒くなるだろうし、モモヒキを買っておいてやらないとまずいことになりそうだ。

 タクシーに乗って「黄興路」へ向かう(10:00)。Zはしゃぎまくっている。うーん、何が嬉しいんだろ。やっぱり、ショッピング?

 10:10、「黄興路」着。Z、大喜びで下車。人通りはまだ少ない。でも、お店はほとんど開いているので、Zは嬉しそうに、お店を一軒ずつ覗き込む。旅行中にどうしてそこまで服に情熱を燃やせるのか私には理解できないが、Zはもうウキウキモードである。一昨日からずっと強行軍であちこち連れまわしているから、今日は中休みついでにショッピングにつきやってやるとするか。

 11:40、マクドナルドで休憩。「明日は『張家界』だから、モモヒキ買っておいたほうがいいよ」と勧めると、しばらく迷っていたが、一昨日の岳陽の寒さを思い出したようだ。うなずくと、外へモモヒキを買いに行った。コーヒーを飲みながら帰りを待っていたが、なかなか戻ってこない。きっと、他の服も見ているのだろう。そう考えて座ったまま一眠りした。

 12:00、気づくとZが戻ってきていた。どこで着替えよう?と聞いてきたので、トイレで着替えてこいよとアドバイス。ここのマクドナルドのトイレはゆったりとした造りだから、着替えにはうってつけだ。

 戻ってくると、Zはニコニコ顔。「暖かいなぁ」の連発である。これまで余程寒さを我慢していたのだろう。とにかく、これで安心して連れまわせるというものだ。しばらく休憩して出発。せっかくだから、この辺りの町並みを見ておくことにしよう。

【黄興路<5>】

 「黄興路」の中央から垂直に出ている「解放西路」を長沙の真中を流れている「湘江」という河に向かって歩いていく。小雨に加えて、この寒さなので通りに人がほとんどいない。静かで、顔に冷たい風が当たっていて、見知らぬ土地でただ真っ直ぐに歩きつづけていく。この体の底から湧きあがってくる嬉しさは何なのだろうか。開放感なのか。或いは、別の何かなのか。やっぱり、旅はいいなぁ。

【解放西路】

「湘江」沿いに走っている「湘江中路」着。通りを越えて、河際までくると、遠くに「湘江一橋」がみえる。冬の河っていうのも、いいよなぁ。ずうっとここにいたいぐらいだが、そんなことをしていたら体が凍えてしまう。Zも、いつまでここにいるのよ、という顔だ。モモヒキ効果でイライラはないようだが。

【湘江一橋】

 

【湘江】

【湘江中路】

  12:30、再び「湘江中路」を渡り、「黄興路」へ向かう。今度は、「解放西路」の一つ裏の「人民西路」を通ることにした。

【老街】

 

  「解放西路」は整備の済んだ大通りであったが、「人民西路」は現在再開発中のようで、入り口周辺の建物が取り壊されているところであった。少し入ったところには、まだまだ「老街」が残されていて歩いていて楽しい。

【火宮殿<1>】

 

 「黄興路」にだいぶ近づいたところに、古代風の建物がある。「火宮殿」と銘打ってあり、木造の建築物が真っ赤に塗られている。

【火宮殿<2>】

 

 博物館か何かかと思い中に入ってみたところ、どうやら高級レストランのようだ。食べてみたい気もするが、朝食にハンバーガーと食べたばかりでとてもお腹に入らない。中庭では、宣伝を兼ねてのことだろう。春節の活動の一環として、餅つきをやっていた。餅つきと言っても、子供の頃、学校や家でみたことのある杵(きね)でつく方法ではなく、棒を使ってもみあげるやり方で、もち米を練っていた。(インターネットで調べてみたところ、トンカチのような格好をしたのは打ち杵、棒状のものは手杵(てぎね)というらしい。日本でも手杵で餅を突く地方も少なくないかもしれない)。練り終わった餅は、木製の型に収められ、時間が経ってある程度固まると、型をひっくり返して外に出している。

【火宮殿<3>】

 

 「一ついくら?」と尋ねると、「1RMB」だという。試しに一つ買って食べてみるが、練りがあまいのか、モチモチ感がなく、舌の上でざらつく。あまり美味しくない。あくまで記念行事としてやったから、この程度の味なのか?

【火宮殿<4>】

 

【火宮殿<5>】

 

 再び、黄興路へ戻る。すでに1時近くになっている。先日来たときは、すでに夜遅かったこともあってそれほど人がいなかったのだが、今日は通りいっぱいになるほどの買い物客がいる。さすが、湖南省の省都長沙である。ただ、乞食も多い。それも子供の乞食が多いなぁ。

 かなり歩いたので、再びマクドナルドで休憩。ずうっと外にいたのでさすがに体が冷えてきた。Zのほうが、モモヒキをはいたためかなんともないようだ。私だって、2枚もはいているのに、なんで違いが出るのだろう。普段から着ているせいかなぁ(ホテルに戻ってから見せてもらったら、Zのモモヒキは普通のモモヒキではなく、綿を袋に詰め込んでズボンにしたような雪国対応のモモヒキであった)。体を温めるために、普段は飲まないホット・チョコレートを注文。それに加えて、店のあちこちで宣伝されていた「ニウニウ・ポテト」を注文。さっきのマクドナルドでは売っていなかった商品だ。新製品のようだ。ホット・チョコレートで体を温めながら、ニウニウ・ポテトをつまむ。ウムム・・・、うまい。Zと二人で瞬く間に平らげた。日本でも売られているのかな?このニウニウ・ポテト。

【ニウニウ・ポテト】

 

 ニウニウ・ポテトを食べたあと、ちびちびとホット・チョコレートを飲みながら、外を眺める。春節の書き入れ時とあって、露店がデパートの前まで押し寄せている。子犬を数匹ダンボールに入れて売っているオバサンがいるかと思えば、熱くならない新式線香花火(?)に火をつけてぶるんぶるんと振り回しているオジサンたちもいる。あれだけ商品を使ってしまって、もとがとれるのだろうかとこちらが心配になるほどだ。私は初めてみる商品だが、日本にもあるのだろうか?

 1:40、休んで疲れもとれたので、マクドナルドを出る。せっかくだから、周辺の通りにも入ってみようと、適当にうろうろしてみる。明日が春節の初日とあって、あちこちでバクチクを鳴らしている。中にはひと連なりになったバクチクの端に火をつけてバチバチ言わせながら、引きずっている子供もいたりする。中国で驚かされる、珍しくない光景の一つだが、親がこれをニコニコみているのだから、実に不思議だ。

 ふらりふらりと歩いているうちに、「李富春故居」という建物に行き当たった。こじんまりとした3階建ての建物だが、観光地として綺麗に整備されているようだ。さっそく中に入ってみることにする。

 入場料を支払って、中にはいると、事務所風の部屋にいたスタッフが出てきて案内をしてくれる。建物の左側は2F建てで、「李富春」の業績を記した写真や文章が飾られている記念館となっている。最初は心配そうに、ずっとついてきたスタッフであったが、途中から私たちの自由に歩き回らせてくれるようになった。

 建物の右側は3F建て。「李富春」とその父母が暮らした場所をそのまま残してあるとのことだ。さすがに年季が入っていて、床も机も箪笥も味わいに溢れている。

【李富春故居<1>】

 

【李富春故居<2>】

【李富春故居<3>】

 

【李富春故居<4>】

 

 各階を登る階段は、階段というよりも梯子。転げ落ちたら終わりというぐらい急になっている。Zがこれをみて、「私の家も、これと同じだった」といっている。考えてみれば、日本の2階建ての家にある階段はけっこう場所もとるし、普通に素人の発想で家を作ると、こんな梯子で上下を行き来するようになるのかもしれない。日本では、今の形の階段になったのはいつ頃からなんだろうか。

【李富春故居<5>】

 「李富春」は湖南省長沙の出身。1900年の生まれで、1919年にフランスに留学。22年に共産党に入党。24年にはソ連に渡った。その後、帰国し、北伐や長征にも参加。文革時には、毛沢東派から攻撃をされ、政治局からは追われたが、中央委員は維持し、72年に副総理として、復活した。1975年に北京で病没。

 以上がインターネットで得られた「李富春」に関する情報である。これに、記念館で得られた印象を付け加えるとすると、「労働者とともに生きた」人と言えるだろう。また、葉剣英と一緒に文革を批判しているところから、南方を活動の場とする需要人物として認められていたがゆえに、文革でも致命的な攻撃を受けずにいたのではないかと想像される。

【李富春故居<6>】

 

  「李富春故居」を出て、再び、「黄興路」へ戻る。露店がそばにあったので、美味しそうなものを物色。イカの鉄板焼きに挑戦することにした。なんと一本1RMBの格安だ。深センにも広州にも同様なものはあるが、だいたい一本3RMBである。そして、味もメチャウマ。深センや広州のものより格段に美味しい。(深センに戻ってから、もう一度試してみたが、やはり湖南省のものの方が美味しい)。内陸なのに何で?

【黄興路<6>】

   「黄興路」も一通り回ったので、手前の道に入ってみる。すると、市場通りを発見。天気は雨気味なのに、たくさんの人が買い物に来ている。

【市場通り<1>】

 

【市場通り<2>】

 

 中ほどまで歩いたところに、鴨屋さんがあった。煮込んだ鴨の表面を軽く炒めて置いてあるようだ。ちょうど注文を出した客がいたので、見ていると、お店のおばさんは一匹を取り出して、包丁でぶったぎりはじめた。そして、大きなフライパンで炒めて味付けをし、客に渡した。うーん、うまそうだ。さっそく、私も注文。こんなにうまそうな食べ物を見逃す私ではない。私が選んだ一匹をおばさんがさきほどと同様、ざっくざっくとぶったぎる。そして、フライパンでざっ、ざっ、ざっと炒め、最後にビニル袋に入れて、渡してくれた。この通りの露店はお持ち帰り客が対象らしく、椅子もテーブルも出していない。私たちは露店すぐ脇で、ビニル袋から鴨を取り出し、かぶりついた。うー、うまい。「こんなに柔らかい鴨は食べたことないわ」とZは感想を口にしながら食べつづける。「いや、ほんとにうまい」。もう一匹食べたかったが、まだ他にも何か美味しいものが見つかるかもしれない。残念だったが、先へ進むことにした。

【市場通り<3>】

 

  果物屋や乾物屋はたくさんあるが、立ち食いできそうなものは見当たらない。
 ・・・と、路の真中で喧嘩が始まった。40前後の細い体のおじさんが35才ぐらいのおばさんに殴られたり、蹴られたり、やられ放題になっている。それもそのはず、でっぷりとしたもう一人のおじさんが、細い体のおじさんの両手首をつかんで離さないでいるからだ。場の雰囲気からすると、もともと細いおじさんがおばさんに何かのちょっかいを出して、おばさんがお返しをするのをでっぷりとしたおじさんが手伝っているという感じだ。しかし、おばさん、手加減なし。拳骨で細いおじさんの顔をなぐったり、盛んに横蹴りを食らわせている。細いおじさんもたいしたもので、でっぷりおじさんに手首をつかまれながらも、吸いかけのタバコだけは手放さない。散々なぐって気が晴れたのだろう。おばさんは捨て台詞を吐いて、その場を去り、細いおじさんも、でっぷりおじさんから解放され、ぶつぶついいながらも反対の方向へ去っていった。
 中国の人の喧嘩というのは、男同士の場合は、意外と大人しいが女性が加わると妙に過激になるような気がする(ただし、ヤクザは別。新聞を見る限り、ショバ代を払わない店主に対しては、かなりめちゃくちゃなことをやるようだ)。 

【市場通り<4>】

 

  市場通りを最後まで抜けてしまったので、同じ道を逆に辿る。別の道から行ってもよかったのだが、実は、市場通りに入ったばかりのところに、蟹が皿に乗せられて販売されていたのが記憶に残っていた。あれを食べたい。そう思って、道を逆に戻る。途中、先ほどの鴨屋の前を通ったので、もう一匹食べたい気持ちに駆られたが、なんとか我慢した。今晩の列車に持ち込んで食べる手もあるが、その頃には冷えてしまっていることだろう。今回はあきらめるとしよう。と言っても、もう一回、長沙まで足を伸ばすチャンスがあるかどうか。

 蟹屋さん到着。お店のおばさんに尋ねてみると、一皿15RMBで炒めてくれるらしい。しかし、皿ひとつは多過ぎる。10RMB分だけくれと頼むと、上から数カケラを取り除いて、フライパンで炒め始めた。
  「これ、川の蟹?」と尋ねると、「海のよ!」とすかさず答えてきた。(本当?)と思ったが、ここで言い争っても仕方がない。数分で、炒め終わった蟹をビニル袋に入れてこちらに寄越した。うーん、いい香りだ。しかし、これをどこで食べろというのだ。テーブルも椅子もない。砕いてから炒めてくれたとは言え、殻はほとんど、そのままついている。殻を外すに両手を使わねばならず、とても歩きながら食べられる状態ではない。

【市場通り<5>】

 

 やむなく、「黄興路」まで戻り、ベンチに座ってビニルから少しずつ蟹を取り出し、食べだした。だが、一口食べたところで、川の蟹であろうことがほぼ判明した。川臭くて食べられない。Zは内陸の育ちなので、川臭さには慣れているのだろう。気にせず、むしゃむしゃやっている。我慢して、もう二口ほど食べてみたが、やはり駄目だ。食べられない。それに、冷静になって周囲を見回してみると、この立派な商店街の中で、ビニル袋から蟹を取り出して食べている姿はかなり異様だ。乞食がごみ袋から物を取り出して食べているように見えないこともない。気の小さな私は、少しいたたまれなくなってきたが、Zが堂々とむしゃぶりついてるので、どうしようもない。そもそも、蟹を食べようと言い出したのは私だから、なおさらだ。あきらめてZが食べ終わるのを待った。

【黄興路<7>】

 

 蟹を食べて勢いがついたのか、Zの食欲が止まらなくなった。続いて、臭豆腐。三日前に長沙に着いたときも、この長沙の臭豆腐に感動していたZ。再び、臭豆腐を口にしながら、「美味しいものを食べてると、天国にいるような気持ちになるわ」と感嘆しきり。そこまで言ってもらえば、臭豆腐も満足というものだろう。でも、確かに美味しいよ、ここの臭豆腐は(あまり臭くないし・・・)。ついでに、もう一回イカの鉄板焼きも食べる。うん、うまい、うまい。

【黄興路<8>-露店通り-】

 

 4:30、タクシーに乗って、二日前に訪れた足マッサージ屋へ向かう。しっかりマッサージしてくれる堅実経営のお店なので気に入っていたのだが、もう一度来ることがあるなど夢にも思わず、お店の名前を記憶していなかった。
  やむなく、記憶を頼りに、道順を辿ってお店へ向かった。ところが、道順を運転手に伝えているうちに、おかしなことに気がついた。数日前にやってきたときには、タクシーの運転手に紹介されるままに来たので気づかなかったが、この道順であると、一旦駅の前まで行って、左に曲がり、再びUターンするルートになっている。途中、左に曲がれる道路はたくさんあるので、あきらかに遠回りだ。・・・ということは、「やられた」のだろうか。うーん、ちょっと悔しい。まぁ、知らない店に行ったのだから仕方がないか。

  先日と同様快適な時間を過ごして、6:15、お店を出た。列車の出発まではまだ時間がある。乗車時は駅までまっすぐ行く予定だったが、途中で気が変わって、駅のそばのケンタッキー前で下車。8RMBプラス春節特別料金の5RMBを払う。運転手が恐る恐る「今は春節だから・・・」と切り出したところをみると、法律(条例?)で定められていてもゴネと払わない客がけっこういるのかもしれない。

 ケンタッキーで軽く夕食をとって、駅へ向かう(6:50)。
  駅に着くと、預かってもらっていたボストンバックを引き取り、構内へ入った。  

【夜の長沙駅】

 

 7:10、案内板に従って、第三待合室に入る。まだまだ時間があるので、時間をつぶすのが大変だ。どうせ今晩一晩、列車の中だ。少し食料を仕入れてくるとしよう。ついでに新聞でもあればなお良い。

 売店でカップヌードルやらナッツやらを仕入れる。だが、新聞どころか、雑誌までも一冊も売っていない。たいがいの駅では雑誌や本のお店があるものだが、いくら探してもない。湖南の人は読書が嫌いなのだろうか。うーん、と頭を悩ましているうちに、ふと別のことに気がついた。そう言えば、今日買ったのは、「軟臥」のチケットだ。しばらく乗ったことがなかったから忘れていたが、「軟臥」の場合、専用のもっと快適な待合室があったはずだ。時々、専用待合室がない駅もあったけれど、こんな内陸なら、あるほうが自然だ。そう思いついて、隅々まで目をやってみると、あった、あった、2Fの奥だ。さっそく覗きに行ってみると、誰一人客がいない部屋に、紺のスーツをきたスタッフがボーっと立っている。「ここは『軟臥』の部屋?」と尋ねながらチケットを見せると、私の手からチケットをとって、じっと眺めたあと「そうよ」と返事をしてチケットを返して寄越した。
 それなら、Zを呼びに戻らねばならない。駆けるようにして、1Fまで降り、第三待合室に戻る。私の姿をみると、「どこ行ってたの~」と心細そうな顔でZが立ち上がる。手で合図をして、待合室の外まで呼び出し、「忘れてたんだけど、『軟臥』の場合、専用の待合室があるんだよ。そっちの方が大分快適だから、そっちへ行こうよ」と説明する。

 さきほどの専用室まで戻り、今度はZの分のチケットも一緒に出して確認してもらった後、中に入る。大きな部屋に革張りのシートがずらりと並んでいる。私がZを連れてくる間に、家族連れの客が一組やってきていたが、他には客がいない。ガラガラである。最近は、飛行機が安くなってきたから、「軟臥」の利用者も激減しているのではないだろうか。

  周囲に人がいないから、若干不安にもなるが、それにも増して安心感が強い。普通車の待合室で大勢の客に囲まれていると、絶えず荷物の心配をしていなければならないから疲れるのだ。それに、「軟臥」専用待合室では、列車がくると知らせてくれて、普通車の客よりも先にプラットフォームまで行ける場合もある。何かにつけ楽なのが、「軟臥」なのだ。
 しかし、久しぶりに利用してみると、「軟臥」の不自然さも目につく。以前と違って、飛行機が大衆化してしまっているから、高級な乗り物という意識はすでになくなりつつある。服務員の態度や服装は確かに、普通車のスタッフより良いと思うが、そもそもスタッフと接する機会がほとんどないから、「軟臥」の高い料金を支えるほどではない。肝心の車両も、新型空調車に変わってからは、「硬臥」との差が縮まってきているようだし、よほどアイデアを絞らなければ、「軟臥」の存在が危うくなってきそうだ。

 8時過ぎ、駅のスタッフが列車の到着を知らせてくれ、プラットフォームに出る。車両はすでに到着してドアも開いているが、乗務員がいない。中国の列車では、チケットを乗務員に見せてから乗り込むのが一般的だから、どうしたものかと迷ったが、Zが早く乗ろうよと肘で突っつくので、思い切って乗り込んだ。

 入り口から通路に入ろうとしたところで、ちょうど男の乗務員とばったりあった。「もう乗っていいか?」とチケットを見せながら尋ねると、チケットをじっくり見た後、「いいよ」と私たちを先導する。

  チケットでは9号室のはずだが、そこは素通り。おそらく、乗務員が寝てでもいるのだろう。そして、2号室へ連れて行かれた。「ここでしばらく待っていてくれ。準備ができたら1号室に移ってもらうから」という。そういわれては荷物を広げるわけにもいかない。数分間、じっとしていると、再び戻ってきた乗務員が、「こっちへ」と私たちを移動させた。

  「軟臥」のコンパートメントには、ベッドが4つ。部屋の両側に上下二台ずつだ。私たちが手に入れたチケットは、上がひとつ、下がひとつである。中国人は出入りとおしゃべりに便利な下のベッドを好むことが多いが私は落ち着ける上のベッドが好きである。Zは当然下を選ぶだろうと思ったら、意外にも、私も上のベッドがいいという。どういうわけだか、人付き合いという点では、似通った点が多いのだ。そう言われては、上のベッドがいいと言い張るわけにもいかない。まぁ、対面のベッドに誰も来なかったら、二人とも下のベッドにすればいいか。そう思って、列車が発車するのを待っていると、ガラリとドアを開けて、女性客が入ってきた。そして、対面の下のベッドに座った。

  女性か。それなら、・・・とZの顔をみると、「○○(私の名前)は、上にしなよ。私は下でいいから・・・」と思った通りの答えが返ってきた。(はい、はい)と頷きながら、黙って上へあがる。

 8:20、発車。
  私はベッドの上で、明日の計画を練る。「張家界」に到着するのは12時間後だから、早朝の8:00頃だ。列車の一泊だけで即行動を始めるのはキツイがスケジュールに余裕がない。できれば、明日中に「張家界森林公園」の山に登ってしまいたいが、それも天気次第。天気が悪ければ、市内観光を先にして、最終日に賭けるしかなくなる。だが、「張家界森林公園」から空港までは相当な距離があるようなので、できれば避けたいところだ。うーん、ぎりぎりのスケジュールに加えて天候まで考慮にいれないとならないから、ややこしい話だ。

 そんなことを考えながら、十数分が過ぎた。すると、Zがようやく口を開いて隣の女の子と会話を始めた。隣の女の子はベッドについてから、ずっと携帯電話で友人と話し込んでいたので、その内容から、「会話を楽しめそうだ」と判断したようだ。(Zは中国人としては内向的な部類に入るので、話す相手はけっこう選ぶ)。上から聞いていると、隣の女の子は長沙の学校に通っていて、実家は張家界の少し前の駅付近にあるらしい。Zは熱心に湖南の観光地について尋ねている。

 だんだん会話が弾んできたように見えたところで、ノックの音とともに、コンパートメントのドアが開いた。さきほどの乗務員が顔を出し、隣の女の子に向かって話し掛ける。「春節だし、他の客もいないから、隣の部屋に移ってもいいよ。ほらっ、彼らはカップルだしさ」。「わかったわ」と女の子も嬉しそうに立ち上がった。まぁ、確かに気まずいのだろうな。他に誰もいないのだったら、私も下のベッドの方が楽だから、助かるし・・・。

 女の子が去るとすぐに私は下のベッドに移動。買っておいたインスタント・ラーメンにお湯を入れ、食べ始める。うーん、列車で食べるインスタント・ラーメンはうまい。私が満腹になったところで、Zが急に「張家界はやめて、『鳳凰』に行きたい」と言い出した。「えっ?」と聞き返すと、「さっきの子が『鳳凰』はとっても綺麗な村だって言っていたわ。それにテレビでみたことあるわ」という。「雪降ってるし、張家界はやめて別の場所にしようかって言ったら、絶対に行くっていってたのZじゃん」。「でも『鳳凰』に行きたい」。「うーん、でも無理だよ」というと、ふくれっつらになった。(子供じゃないんだから・・・)と思うが、そこまで言うのなら一応検討してみるか。中国人向けのガイドブックを広げ「鳳凰」の項目を読む。

  確かに「鳳凰」はいいところのようだ。だが、行き方に若干不透明な部分があるし、ホテルをみると、20-30RMBのところばかりだ。こんな冬に行って快適に過ごせる保証はない。それにただでさえスケジュールがきびしいのだ。途中で失敗は許されない。今回は無理だ。「今回はあきらめよう。次に来たときに行けばいいよ」と懸命に説得する。「次って言ったっていつ来れるかわからないじゃない・・・」とぶつぶつ言いながらもようやく納得。「だいたい、Zは最初、湖南なんて行きたくない、見るところなんて何もないって行ってたじゃないか」と文句をいうと、そんな昔のことは知らないという顔をしてそっぽをむいた。(全く・・・。こいつはその場の感情だけで生きているのか?)と思うのはいつものこと。

  そんなやり取りを終えたころ、ドアの外で誰かが物凄い剣幕で言い合いをしているのが聞こえてきた。

【軟臥の寝台】

 

 耳を傾けてみると、女性の乗務員とさきほどの女の子らしい。さらに凄まじいやり取りがなされた後、私たちのコンパートメントのドアが開き、女の子が入ってきた。どうやら、トラブルらしい。わたしが「こっちの部屋になったのか?」と尋ねると、「そう」と憮然とした表情でいう。幸い、荷物は広げていなかったので、再びZの上のベッドに上がった。女の子がもとの位置にごろりと横になったところで、女性の乗務員がやってきて、「もう勝手に部屋を変更しちゃだめよ!」と怒鳴りつける。女の子も負けていない。「いい加減にしてよ。部屋を変えないなら、変えない。どっちでもいいのよ。あたしは!駄目なら駄目で最初から、変えていいなんて言わないでよ」。乗務員はすでに彼女の話が耳に入らないようで、ガシャンとドアを閉めた。

 どうやら、男の乗務員が親切で部屋を変更してやったが、それが女性の乗務員に伝わっていなかったらしい。それで、部屋で休もうとやってきた乗務員と女の子が不意の遭遇。バトル開始となったようだ。しばらくすると、再びドアが開き、男の乗務員がすまなそうな顔で、「悪かったね。あの乗務員に言ってなくてさ。俺も悪気があってしたわけじゃないんだ。彼らがカップルだしさ・・・」と言ってきた。「部屋を変えちゃ駄目ならそれでいいのよ。全く!そっちが変わっていいっていうから、変わったのに」と女の子は怒りが収まらない。男の乗務員は、「本当に悪かったね」と繰り返しながらドアを閉めて去った。なんとも中国らしい騒ぎであった・・・。

 夜も遅くなったので、床に入る。しかし、揺れが激しい。なかなか寝つけない。だが明日は強行軍だ。早く寝なければ・・・。

 この旅は「張家界探検記」に続きます。ご興味のある方は是非ご覧になってください。