宣昌市/当陽市の旅


宣昌市/当陽市

灰色の部分が湖北省です。

2006年1月27日

 もうしばらくしたら出発。昨年の湖南旅行で寒さに震えたZは旅行先の気温に敏感である。インターネットで調べて「宜昌市の気温は0-10℃だって。○○(私の名前)はもっと服を着た方がいいわよ」と私に警告してきた。到着は夜なので、到着時は0℃前後ということか。そうは言っても、深センは暖かいからたくさん着込むわけにもいかない。ボストンバッグをひっくり返して、すぐに着られる上着を取り出しやすい場所に移動しておくことにした。

  グッピーのための自動餌やり器を設置する。昨年使用していたものは、不注意で落下させて壊してしまったので、今回設置するのは新たに購入したものだ。以前のより高いものを購入したにもかかわらず動作が不安定だ。きちんと動いてくれるのだろうか。一週間ぐらいの旅行だから、餌なしでもなんとか生き延びてはくれるだろうが、ちょっと可哀想だ。

 17:00、出発。Zはブラックのセーターにジーンズ(Zはジーンズ派でスカートは滅多にはかない)。寒さ対策として、手提げ袋にダウンジャケットを入れ、背中には小さなリュックをちょこんと載せている。私はダークブルーのウィンドブレーカーに綿パン。右手に私とZの衣服を詰めたボストンバッグ。背にはZのより大きなリュックという格好である。

  アパートを出てすぐのところにあるタクシーの溜まり場に行くが、運転手たちはバクチに夢中で、こちらを見ようともしない。キョロキョロとしてみせ、車を探していることをアピールするが誰もテーブルを離れない。しびれを切らしたZが、テーブルまで声をかけに行くが、運転手たちは50RMBでないと行かないという。春節が間近とあって強気の交渉だ。というよりも、バクチを続ける口実を見つけたいだけかもしれない。いずれにせよ、50RMBは高い。昨年のガソリン不足で相場が若干上がったものの、車さえ選ばなければ、35RMBで行ける距離だからだ。

 仕方がないので、数十メートルほど離れた場所にあるデパートの前に移動した。一番手前に停車していた運転手に、「空港までいくらだ?」と尋ねると、「50RMBだ」と答えが返ってきた。(こりゃ駄目だ)と思って、2台目の車に足を向けたが、Zが運転手に向かって、「もっと安くしてよ」と値切り始めた。運転手が「じゃあ、40RMB」と妥協してきたので、それでOKにすることにした。

  17:20、発。窓越しに外を眺める。春節の年越し目前とあって、通りを行き交う人々の表情も普段より明るい。通りがかるどの工場の前にもすでに大きなみかん飾りが門の両脇に据えられていて、中国における春節の重要性を訴えているようにも見えた。Zもそんな雰囲気を感じとったのか、「春節は中国人が一番幸せな時です」としみじみと言った。

 しばらく走ると、周囲は急速に暗くなってきた。「もう暗くなってきたね」とZに向かって振り返ると、視線を宙ぶらりんにして、笑顔満面である。「『宜昌』はきっと雪が降っているわよ」とのこと。頭の中は旅行先のことでいっぱいのようである。

 17:45、空港着。今日はいつもより5RMB高くついたけれども、普通の乗用車なので、2Fの出発ロビーまで上がってくれた。みかん飾りが据えられた入り口を抜けて中に入る。まずは、電子ボードでチェックインカウンターを確認する。Zもだいぶ慣れてきたのか、今回は文句を言わずに私と一緒になって電子ボードの文字を目で追っている(あるいは単にお腹が空いているだけかもしれない)。
 
 私たちの便を受け付けるカウンターはB棟のB2であることがわかった。現在地はAターミナルなので、Bターミナルへと移動しなければならない。歩き始めると、Zが「私は朝からほとんど何も食べていないのよ」と腹の減り具合を訴え始めた。そう言えば、私は朝早かったのでいろいろとつまんで食べていたが、Zはトースト2枚しか食べていない。「この時間の出発なら飛行機で食事が出るよ」となだめるが、「飛行機の食事はまずいから嫌(今食べたい)」と訴えつづける。「そんなにはまずくないだろう?」。「まずいわ」。「この間は美味しい、美味しいって食べていたじゃないか」。「そんなこと言っていない。○○(私の名前)だって、まずいって言っていたじゃない!」。(うーん。そんなこと言ったかなぁ)。
 「わかった、わかった。ケンタッキーに行きたいんだろ」
 「ここのお店でもいいのよ」と通路の横にある中華系のお店を指で示した。
 目をやると、人気店らしく、混雑している。私は腹が空いていないので、こんな混んでいるところで座って待っているのは苦痛だ。
 「いや、ケンタッキーでいいよ」
 「へへぇ~」とZが(わかっているわよ)という顔で笑う。

 ケンタッキーはB棟の2Fを階段で上がったところにある(マクドナルドも空港のどこかにあるはずなのだが、なぜか行ったことがない)。お店の前まで来てみると、大混雑だ。とても空いた席を見つけられそうもない。
 「無理だね。諦めようよ」
 「○○(私の名前)は外で待っていて。私だけ食べてくるから」
 「駄目、駄目。外には座る場所がないだろ」
 私が歩き出すと、Zはしぶしぶと後ろをついてきた。
 「○○(私の名前)、嬉しいんでしょ。私が食べられなくて~」
 「そんなことあるわけないだろ~(どういう解釈だ)」
 「○○(私の名前)、ずるいなぁ、自分だけたくさんを食べてぇ」
 「Zがなかなか起きてこなかっただけだろ」
 「・・・、じゃぁ、私はカップラーメンを食べる!!」

  出たっ!空港でカップラーメン。Zと旅行をするようになってから、空港でカップラーメンを食べるのがだんだん当たり前になってきたが、まさかシンセン空港のロビーで食べるとは・・・。
 「せめてチェックインしてからにしないか?」
 「やだ!」
 「どうして?」
 「○○(私の名前)は、時間がないとか何とか、いろいろ理由をつけて食べさせてくれないから」
 「そんなわけないだろ」
 「絶対~にそう!」

 もはや、止める術なし。
 「どこで買うんだよ」
 「さっき、セブンイレブンがあった」
 (ああ、あったね)。
 「でも、お湯ないんじゃないの?空港のロビーでカップラーメン食べる人なんていないだろーし」
 「そんなわけない。必ずあるわ」
 「そう・・・(ありそーだな)」
 
 セブンイレブンに到着すると、Zが嬉しそうにカップラーメンを選び始めた。
 「はやくしないとチェックイン始まっちゃうよ」
 回答なし。
 諦めて、お店の外で待つ。
 Zは迷った挙句、いつも食べている特大カップラーメンを手に取りレジに並んだ。清算を済ませると、お店の奥の角に設置されている台の上で、カップを開けて調味料や具の袋を取り出す。調味料と具を袋からカップへと移すと、台の隅に並んだ魔法瓶の一つを取り、お湯を注いだ。
 準備が整うと、お店の外に出てきて、「どこで食べる?」と私に聞く。仕方なく、辺りを見回すが、春節のラッシュ中とあってロビーの椅子は全部埋まっている。「どこにも席ないぞ・・・」とZを振り返ると、「そんなわけないでしょ。ほら、あそこ、あそこ」とカップラーメンを両手で抱えたまま、ロビーの窓際に早足で向かった。

  Zの後ろに従って、ロビーの椅子に座っている人たちの間を抜けて、窓際に出る。Zが「ここよ」と指差したのは、窓の両脇から突き出た幅広のフレームを橋渡すように走っている分厚いプレートだった。プレートは膝の高さぐらいに設えてあるので、十分ベンチ代わりになる。私自身、これまでの旅行中、なんどかこうしたプレートの上に腰を下ろして休憩したこともあるのではないだろうか。
 だが、目の前には縦に数列のきちんとしたシートがあり、大勢の旅客が座って休憩をしている。中国だから・・・、と思って目を左右へ走らせて見たが、カップラーメンを食べているような客は残念ながら一人もいない。
 「ここで食べるの~。ちょっと恥ずかしくないか?」
 「全然!」
 「本当?」
 「ほらっ、早く座って!」
 (まぁ、食べるのは俺じゃないから、いいか・・・)。
 仕方なくZの横に座った。

【カップヌードル-シンセン空港ロビーにて-】

 

 「ほらっ、もうチェックインの時間だよ」
 やることがないのでZを急かす。
 「駄目、まだ固いわ」
 「大丈夫、大丈夫」
 「だ~め」
 修行僧のような表情で、じっとラーメンの仕上がりを待つZ。
 もはや観念するしかない。ここは中国。今は一人もカップラーメンを食べている奴は見当たらないが、普段は結構いるはずだ。さもなければ、セブンイレブンでカップラーメンをお湯付きで販売しているわけがない。皆何とも思っていやしないさと他の旅客たちを強気に見渡す。うーん、何人かがチラチラこっちを見ているような気もするなぁ。いや、単にお腹が空いていて、羨ましがっているのかもしれないし・・・。

 「まだ?」。
 「まだ」
 「3分過ぎてるよ、ほら。ほら、20秒も過ぎてるよ」
 「嘘!」
 「さっき、時計見せただろ。食べる前に!」
 「そう?」
 Zは、疑わしそうな顔を見せつつ、カップの蓋を持ち上げてフォークで麺とスープをかき混ぜた。食べられそうなのを確認すると、顔をニンマリさせて、食事にとりかかる。
 (とにかく、早く食べてくれ)
 私は心の中で呻き声を上げ、「もうチェックインの時間になっちゃったよ。急いで!」とZをせっつく。左手の袖を少し引き上げ、腕時計の表示をZに見せようとした。ポロッ。
 (ポロッ?)。音がしたわけではない。腕時計の、時間を刻む台座の一方がベルトから離れたため、台座が腕から垂れ下がりブラブラと揺れているのだ。どうしたんだと、慌てて台座とベルトの接続部分に目を近づけると、台座とベルトの接続部分にひびが入り、ベルトが抜け落ちてしまっている。幸い、私の腕時計はベルト部分が二重構造になっているので、完全に落ちることはないが、このまま使い続けるのは困難だ。

【壊れた腕時計-撮影はホテル着後-】

 

 「Z!腕時計がベルトから外れちゃったよ」
 「ん~?」
 Zは麺を口でくわえたまま、目だけをこちらに向ける。
 「ほら、ほら」
 私が時計をブラブラさせてみせると、Zは麺を食いちぎり、顔を上げた。
 「ほんとだ~」と少し驚いた声をあげて、再びカープラーメンにとりかかる。
 旅行前に腕時計が壊れてしまうとは。時を刻むデジタルが故障したわけではないので、全く使用できないわけではないが、腕からブラブラは不便この上ない。それに、これって・・・。
 「時計は買いなおせばいいんだけどさぁ。旅行前にブチッと腕時計が切れるって『不吉』じゃないのかなぁ?」
 「いつも私に意地悪するからよ」
 「意地悪なんてしてないだろ」
 「さっき、私にカップラーメンを食べさせないように、いろいろ言っていたでしょ」
 「カップラーメン1個で、そんなに根に持つことないだろ。それに、俺たちは今から一緒に飛行機に乗るんだから、『不吉』は俺たち二人に降りかかるんだぞ」
 飛行機が墜落する様子を手を使ってジェスチャーしてみせた。
 「ドドーン!ってね」
 Zは一瞬びっくりした目をしたが、最近は私の毒舌に慣れてしまったらしく、(また馬鹿なことを言ってるわね)という顔をしてラーメンを食べつづけた。

  18:20、チェックインカウンターのあるロビーへ戻る。「B2・・・、B2・・・、あれっ?誰もいないなぁ」と私がつぶやく。とっくにチェックインが始まっているはずなのに、カウンターには一人も並んでいない。
 ・・・そうか。B棟もグループ方式のチェックインを採用しているのか。昨年、桂林へ行くときはA棟ターミナルでチェックインしている。その時すでに、グループ方式のチェックインが採用されていた。
 電子ボードでは、各便ごとにA1とかA2と表示されていて、チェックインの時間内であれば、A1グループ(左側)、A2グループ(右側)のどのカウンターでも利用することができた。A棟でテストしているだけの新方式かと思っていたら、B棟でも同じ方法が採用されていたのだ。自分たちの便のことだけ考えていたので、先ほど電子ボードを見ていた時は気づかなかった。

 18:30、身分証明チェック・身体検査を終えて、38ゲートへ向かう。バスで飛行機まで行くゲートだ。すでに席は満杯になっている。
 「Zがのんびりカップラーメンを食べているから、席がなくなっちゃたじゃないか」と私がぼやくと、Zは「これは『等価交換の原則(カップヌードル食べた=席がない)』ですね」とニコニコして説明した。最近、見終わったばかりの「鋼の錬金術」というアニメの名台詞である。しかし、カップヌードルを食べたのはZだけだから、そりゃ違うんじゃないか?

 19:00、バスで機体のところまで行く。小都市向けとあって、小型ジェット機だ。

 19:30、離陸。機体の傾きがまだ実感できるうちに、ベルトがちぎり取れた時計をすかさず取り出す。もちろん、Zを脅かすためだ。目の前に出してブラブラさせると、Zの顔がひきつる。「怖くないわよ」と強がるが、私が笑うと悔しそうな顔をみせた。だはは、迷信深いのがZの弱点である。

 機体が真っ直ぐになったところで、機内食が配られ始める。いつもは二種類のうちからどちらにするか選択できるのだが、今日は一方的に手渡されるのみ。アルミ箔の蓋を剥がすと、カレー(風)ライス。Zは牛肉カレーで、私は豚肉カレーだった。味はまずまず。はさきほどのカップヌードルでお腹が膨れてしまったらしく、肉をこちらにガンガン寄越す。おかげでけっこう立派な食事になった。

 食事を終えると、Zが子供の頃の話を始めた。子供の頃のある時、家のタンスにミツバチの巣ができたのだという。おじいちゃんは、巣から蜜をとるのが上手で、いつも後ろについていって、蜜を舐めさせてもらっていたそうだ。蜜蜂は普段は大人しくて刺したりはしなかったということだが、その日に限っては気が立っていたのか、半開きのドアを開けると、Zに向かって一斉に飛び掛ってきたのだという。Zは刺されたことにびっくりして、気絶・・・。いろいろ手当てしてもらってようやく息を吹き返したとのこと。
  「家のタンスに蜂の巣ができたのに放っておいたの?」と私が驚くと、「いつもは大人しくて刺したりしなかったのよ」とケロッとして言う。「だいたい、蜜をとるとき、蜂に刺されないの?網とかかぶってやるの?」と続けざま尋ねると、「もちろん、蜂が出て行っていない時を狙ってやるのよ。でも、ほんと、普段は刺したりしないのよ。網なんかかぶらないわよ」とのこと。うーん、普段刺すかどうかはともかく、何と言っても「蜂」だからなぁ。

 8:45、飛行機が降下に入るにつれ、耳が痛くなり始める。今日は気圧の変化が激しいのだろうか。Zも同様らしく、「何も聞こえませーん」とブツブツつぶやいている。自分だけそうなのかもしれないと不安なのだろう。
「○○(私の名前)はどう?」と何度も尋ねてきた。そのたびに、「同じ、同じ!」と答えてやる。

 21:05、着陸。機内放送があり、気温が5℃だと告げる。外はすでに真っ暗だ。

 21:20、荷物受けのレーンでバッグを待つが、なかなか出てこない。もしや、別の便に乗せ間違えられたのではないかと不安になった頃、ようやくレーンから荷物が現れた。荷物を受け取ってロビーへ出ようとするが、チケットに貼られたラベルと荷物を照合する係り員が一人しかいないため、大混雑。客の怒号の中、なんとかロビーへ出ることができた。今回は、湖北のガイドブックを事前に購入することができなかったため、できれば空港の本屋で購入したかったのだが、本屋どころか小さな喫茶店が一軒あるきりであった。少々困ったことになったなと考えながら、リムジンバスへ向う。

 21:40、リムジンバスに乗車。(20RMB/人)。たくさん服を着てきたから全然寒くないわとZがはしゃぐ。昨年の湖南旅行では、唇を紫色に変えて、歯をがちがちと鳴らすはめになったZ。とても寒さに敏感だ。しばらくして、バスが発車。飛行場はよほど郊外に位置するのだろう。周囲に明かりがまったくない。一昨年、夜中に内モンゴルの空港に到着したときよりも、一層暗闇が深いようだ。もっとも、内モンゴルの時は内陸の省とは言え、省都フフホト。こちらは湖北の一小都市に過ぎない。明かりが少ないのも当然かもしれない。

 22:35、終点の清江ホテルに到着。疲れ切ったZ(或いは、テレビが見たいだけか?)は「ほら、このホテルも立派よ」と一生懸命に勧める。私がホテル巡りでウロウロするのではないかと心配なのだろう。
 「今日の宿泊先は『携程旅行網』というホームページで予約してあるって言ってあっただろう」
 「絶対行かなくちゃいけないってわけじゃないでしょ」
 「そうだけど、連絡せずにキャンセルすると、ポイントがマイナスされるんだよ。とにかく、そこでタクシーに乗ろう」

 すぐに、タクシー乗車。10分ほどで、「宜昌盈嘉酒店」ホテルに到着した。「携程旅行網」のホームページでは4ツ星級ホテルと紹介されていたが実際にはどうだろう。真っ暗なので建物の外観はよくわからない。ロビーは広くないが、内装は新しい。まだ建築してそれほど建っていない様子だ。
 チェックインする前に部屋の下見をさせてもらうと、照明が明るく、設備も整っていることがわかった。地方の四ツ星としては十分なレベルだ。さっそく、チェックインの手続きを始めた。ホームページで予約した時の料金は319RMB/泊。三泊で予約してあったので、「もっと安くならないの?」とZが尋ねると、フロントの男性が「『携程旅行網』の割引率は高いので、これ以上は・・・」と柔らかく断ってきた。考えてみると、携程旅行網」では一泊いくらの料金でしか予約できない。普通、直接フロントで交渉すれば連泊だとさらに安くなるから、長期宿泊では、携程旅行網」の方が高くついてしまうということもありそうである。
 
 パスポートをフロントの女性に渡すと、スキャナをかけた後、書類の記入を始める。ここでトラブル発生。昨年から居留証の冊子が廃止された。パスポート上に貼られるビザと一緒になり、「外国人居留許可」というものに変更になったのだが、フロントの女性はそのことを知らなかったようだ。「居留証の冊子はないの?」というので、制度の変更があった旨を詳しく説明する。すると、「わかってるわ」と返事するものの、しばらくパスポートをペラペラとめくった後、またもや「居留証の冊子はないの?」との質問を繰り返してくる。私の中国語の問題かと思い、何度か説明し直すが、結果は変わらない。

 そこで、「そもそも、居留証をもっていない外国人もいるのだから、パスポートだけでも宿泊はできるはずだ。私だって、以前からパスポートだけで宿泊しているぞ」と切り口を変えてみた。
 ところが、「でも、居留証がないとパスポートでの宿泊になってしまうわ」とさらに困った様子だ。割引率での内規に引っかかってしまうのだろうか。しかし、携程旅行網」で申し込む時に、身分証明書としてパスポートを選択してあるから、問題ないはずだ。だが、これ以上何かを言ってもスタッフの混乱を一層煽るだけになりそうなので黙って待つことにした。
 女性スタッフはしばらくウダウダと考えている様子だったが、これ以上客を待たせてはまずいと気づいたらしく、ようやくチェックイン作業を終わらせてくれた。

 部屋に入ると、「この部屋は綺麗ね」とZは上機嫌。私も、このホテルなら三日間の観光の拠点として十分だと安心した。ところが、夜中の12:00を過ぎてさあ眠ろうとした時、カラオケの音楽が部屋の周囲から響いてくるのに気づいた。しばらくすれば止むだろうと我慢していたが、12:30になっても終わらない。やむなく、フロントに電話。フロントの男性は「申し訳ありません」と謝ってくれたものの、音楽が鳴り終わったのはそれから30分過ぎた1:00のことであった。チェックインといい、音楽停止までの時間といい、対応が今ひとつだ。頭の中でしばらく文句を言っていたが、疲れに誘われて何時の間にか眠りについていた。

2006年1月28日

 6:35起床。「宜昌」のメイン観光地は、「柴埠渓大峡谷」である。インターネットで確認した情報では、バスで2.5Hはかかるはずである。片道で2.5Hというと日帰りできるかどうか微妙。順調ならいいが、何らかのアクシデントが起これば戻って来れなくなる。中国人向けの全国版ガイドブックには載っておらず、インターネット上の情報しかなかったので、どうもリスキーな感じである。そもそも、2.5Hもかけていって、果たして登れるのかということ。ホームページの写真を見る限りは、美しい景観であるのは間違いないが、ケーブルカーがあるとはどこにも書いていなかった。こんな内陸の山で、ケーブルカーを使わずに私が登り切れるような山があるとは到底考えられない。しかも冬山である。途中で、やっぱりやーめたでは戻ってこれない。

 ともあれ、行くと決めたからには早々に出発しなければならない。しかし、私の焦りを一向に気にせず、Zはゆうゆうと化粧をしている。「山登るのにそんなに念入りに化粧をする必要があるのか?」と素朴な疑問をぶつけてみたが、全く相手にされない。世の中は理不尽なものである。私もようやく、そんな現実を受け入れられる年になったのだろうか。

 7:30、ようやく部屋を出られた。ホテルは暖房が効いていて、廊下も暖かい。だが、一歩ホテルの外に出ると、寒々とした空気が顔をなでる。Zののんびり化粧にもかかわらず、外はまだ暗い。通りがかったタクシーをつかまえて、長距離バス・ステーションへ向かった。 

 7:40、バス・ステーション到着。
 やる気満々のZがチケット売り場へ突進。「柴埠渓大峡谷」行きのバスについて尋ねた。ところが、Zの意気込みに反して、「柴埠渓大峡谷」行きのバスは今日は出ないことが判明した。明日の10時にならないとバスはないという。しかも、片道4時間もかかるそうだ。
 「じゃあ、明日の10時のチケットを買いましょう」。勢いをそがれて肩を落としながらもZが言う。
 「10時・・・」。
 出発には、遅すぎる時間だ。その上、片道4時間では日帰りは絶対無理。日帰りで行くならば、「せっかく行ったけれど、ケーブルカーもなかったし、冬山でとても登れませんでした」ですむが、一泊二日ではそうはいかない。バスが毎日出ていないのでは、一泊二日が二泊三日となってしまい、最大三日間が無駄になるという最悪のケースも考えられる。
 「Z、これは無理だよ。五峰(「柴埠渓大峡谷」の別名)は、あきらめよう」
 「やだ、絶対に行く」
 「でも、ちょっと無理だよ」
 「やだ」
 粘るZ。出発数日前の夜、ホームページで「柴埠渓大峡谷」の写真を見せたばかりのときはそれほど関心を見せなかったのに、いつの間にか、今回の旅のメインディシュは「これ!」とばかりに、「柴埠渓大峡谷」に熱を上げている。恐らく、出発日までの間にあちこちに電話をして情報収集に励んでいる間に想いが深くなったのだろう。
 「あそこでもう一回聞いてくる!」
 私と話しても埒があかないと考えたZは、インフォメーションセンターらしき場所に立っているスタッフのところへすっ飛んでいった。売り場のスタッフがないと言ってる以上、それがひっくり返る可能性はほとんどない。それでも、Zの熱意が奇跡を起こすかもしれないと待ってみた。

 「今日はないって~」。頭を垂れて、がっくりした様子でZが戻ってくる。
 「諦めろって」。
 「明日のチケットを買おうよ」
 「10時出発で、4時間もかかるんだろ~。無理だよ」
 Zは、ふてくされた表情でそっぽを向いた。
 すねられても、どうしようもない。ほとんど何も見ていないうちに、最大三日間もロスするような可能性のあるコースを選ぶわけにいかないからだ。なだめながら、バス・ステーションを出て、タクシーに乗り込んだ。

 「どこに行くの?」とZが尋ねる。半分喧嘩腰である。
 「東上大道だよ」
 「どうして?」
 「『猇亭』に行くバスがそこから出ているって、ホームページに書いてあったからね」。
 「私は行きたくない」
 「『猇亭』はけっこう見所だぞ」
 「行きたくない」
 (うーん、俺もだんだん腹がたってきた・・・)
 
 8:05、東上大道で下車。駅前の道である。

【宜昌駅】

 

 「これからどうするのよ」とZがしつこく絡んでくる。
 「だから、『猇亭』に行くんだよ」
 「私、行きたくない。五峰に行きたい」
  「だから無理だって」
 「五峰に行かないんだったら、すぐに武漢に行く。『猇亭』になんか行きたくない!」
 (なんつー我ままを・・・)
 「だったら、行かなくていい。ホテルへ戻ってろ」と私が怒鳴った。
 「えっ?」
 「俺一人で『猇亭』に行くから、Zはホテルへ戻ってろ」
 「うっ・・・」とZは言葉に詰まった。二人で駄目なら一人で行くという回答はZの頭になかったようだ。珍しく目を白黒させている。
 「ほらっ、帰りなよ。俺は行くから」
 「帰らないっ」
 「じゃあ、どうするんだ。『猇亭』に行くのか?」
 Zが首をコクリと頷かせる。
 「行くんだな。だったら、もう文句言うなよ」
 「うん」
 「絶対~に文句言うなよ」
 「うん」。わかった、わかったと顔を上下に振る。なぜか機嫌はもう直り始めているようだ。形勢不利とみて、一時撤退を決めたのだろう。

 8:15、バス乗車。街の中心部を出て、郊外へ向かう。徐々に霧が濃くなっていく。運転手は慣れているようで、速度を落とす様子もなく、車を走らせていく。Zはさきほどの機嫌の悪さはどこかに飛んでいってしまったかのようにニコニコ顔だ。うーん、ちょっと不気味・・・。

 30分ほど過ぎた頃、バスが「猇亭古戦場」と看板を下げた場所を通過。切符売りの女性スタッフに「今のが『猇亭』じゃないの?」と尋ねると、「あれは、『猇亭古戦場』よ。『猇亭』はもっと先よ。『古戦場』で降りるの」と逆に質問された。
  (古戦場?うーん、・・・わからない)
 「『猇亭』だ・・・」と自信なさそうに答える。
 だったら、静かにしてなさいよ。そう言いたげな目でギロリと睨まれ、私は小さくなった。

 9:00、『猇亭』到着。広々としたT字路の角に一台だけ三輪バイタクが停車している。
 「『猇亭』ってどこにあるの?」
 「うーん、そこの角を曲がった先にあるんじゃないか」
 二人でトコトコと角まで歩く。観光地はこちら!みたいな看板があることを期待したのだが、何もなし。寂しげな通りが伸びているのみだ。
 「もっと先だね。看板があるのは!」と半信半疑のZの手を引っ張り元気に進む。
 だが、5メートルほど歩いたところユーターン。
 「どうしたの?」
 「いや、無駄に歩くことになりそーだから」
 「やっぱりー」
 「ちょっと待ってろ。ホームページを印刷したのを見てみるから」
 リュックから、『猇亭』の紹介文を印刷した紙を取り出した。Zは私を待たず、角のところに停まっている三輪バイタクのところに駆け寄って行く。運転手から情報を仕入れるためだろう。ヤバイ、Zに先を越されるわけにいかない。漢字でいっぱいの文章に急いで目を走らせた・・・。

  あった、あった、「古戦場」の文字が紹介文の中に発見された。顔を上げて、「Z~、やっぱりさっきの『古戦場』で良かったみたいだよ」と大声を上げる。Zは車の窓に突っ込んでいた顔を抜き出し、「そーよー。『古戦場』で良かったのよ」と返事をしてきた。早くバイタクに乗りなさいと腕を振って合図をしてきた。

 三輪バイタクに乗って、「古戦場」へ戻っていく(8RMB)。外観は普通の乗用車とかわらないぐらい改造されているが、もとがバイクだから、揺れが激しく乗り心地はあまりよくない。足元から風がビュービューと吹き込んできて寒いのも減点。厚着をしているからいいものの、そうでなかったらさぞかし辛いことだろう。

【三輪バイタク-宜昌-】

 

 9:20、「古戦場」着。さきほどバスで通過したときにも気づいていたのだが、門はかたく閉ざされている。まだ朝早いからかもしれないと淡い期待を抱いてやってきたが、どうやら本日はお休みの様子である。

【猇亭入口<1>】

 

【猇亭入口<2>】

 

 この入口の写真からではわからないが、「猇亭古戦場」を紹介したホームページをみると、川岸の絶壁の上に建物があり、最高の風景が楽しめそうな観光地である。中国人向けのホームページでは、どちらかというと建築時の張飛の逸話に重点が置かれているが、日本人が紹介したホームページでは劉備による関羽の弔い合戦の地として扱われていた。中に入れなかったのは返す返すも残念なことであった。

【バスの中】

 

 9:25、バス乗車(2RMB/人)。五峰行きに続く二度目の空振りで、私もショックを隠せない。私同様、Zも黙り込んでいるが、表情を見る限りショックを受けているという様子ではない。(ほらっ、五峰に行かせてくれないからよ~)とでも考えているのだろう。時々、口元がニヤリと笑いそうになっているのがわかる。しかし、さきほど私が怒鳴りつけたのがきいているらしく、口に出しては何もいわない。
 「Z、おまえ、ザマーミロとか思ってるだろ?」
 「そんなことないわよ~」と窓へ目をやるZ。
 「ほんと~か?」
 「そーよ」
 絶対に私を見ようとしない。ザマミロと思っていることに決定。

  9:40、バス・ステーションまで戻らず、途中にあった市場らしき場所で下車。
  「どうしてここで降りたの?」とZが尋ねる。
 「市場があったから。Zがお腹が空いている頃だろうと思って」
 「・・・」
 「お腹が空くと、Zはうるさいからな」
 「・・・」
 「お腹空いてないの?だったら、バス・ステーションまで戻ろーか」 
 「・・・はやく」
 「ん?」
 「早く、あっち!」と露店を指差すZ。
 「やっぱり~」
 「○○(私の名前)はうるさいなぁ」
 「わかった、わかった」

 まずは、ラーメンから。中国の一般的なラーメンは日本と違ってあっさり味。ダシもなにもなく、お湯に醤油やラー油を入れただけというのも多い。広東省や沿岸付近では香港、台湾、日本のラーメンの影響を受けて味の濃いものを食べさせるお店もかなりあるが、普通は朝食向けの軽い食べ物として扱われる。
 私が初めて中国式ラーメンを食べたのは、中国人の家に泊めてもらったときである。朝食に、大きなドンブリにいっぱい盛られた麺を出された。ドンブリから溢れるほど麺があるのに、スープはほんの少ししか入っていない。しかも、麺がのびきっていた。ようやくのことで、半分食べきったところで、「もっと食べませんか?」と勧められる。「いえ、けっこうです」と断ったにもかかわらず、「遠慮しないでください」と麺を追加された。のびきった麺を食べるのがこれほど苦痛だとは知らなかった。
 以来、私の頭の中で、中国式ラーメンは、「ダシなし」、「腰なし」というイメージになった。もっとも、全てのラーメンがそうだというわけではなく、深センの出稼ぎ族に人気がある、手打ちの「蘭州ラーメン」の麺などは、それなりに腰があると思う。ただ、これは「蘭州ラーメン」が日本のラーメンに近いというよりも、私が中国生活に慣れて違いが気にならなくなったから、そう感じるだけだろう。私自身も、今では「消化に良い」ものを食べたいときに、(中国式)ラーメンを選ぶようになっている。
 Zとはというと、香港経由で大陸に入ってきた九州ラーメンの「味千(アジセン)」(日本では以前は「ミセン」と呼んだらしいが、今ではホームページでもアジセンと書いてある)が大好きである。中国式ラーメンよりも美味しいからというよりも、全く別の食べ物としてとらえているようだ(値段も5倍以上するし・・・)。一時期は深センに行くたびに食べていた(最近は、いささか飽きたと言っている)。

 この露店のラーメンは一杯2RMB。市場では人気があるらしく、お客が次々とやってくる。ラーメンを入れる容器は使い捨ての紙カップで、それなりに衛生的だ。よくあるドンブリにビニール袋をかぶせて、洗う手間を省く方式よりずっと良い。しかし、ラーメンを盛っているオヤジがくわえタバコで仕事をしているのがバツ。灰がスープの上に落ちたらどうするんだよ。
 しかし、この程度のことで怯んでいたら、中国では食事する場所がなくなってしまう。きっと、このオヤジも何度も失敗を繰り返して、灰が落ちる間際というものをすでに体得しているに違いない。灰が落ちるなんて考えてもいなさそうな、自信有り気な表情をしているじゃないか。
 迷う私を後に、Zはさっさと自分の分だけ注文し始めた。
 「一つちょーだい」 
 「おいおい、俺の分は?」
 「○○(私の名前)も食べるの?」
 「食べるに決まってるだろ」
 「何だか食べたくなさそーだったから」
 (よくわかったな)
 
 注文を受けると、おやじがささっと薬味と調味料をカップに放り込み、おばさんの方へ差し出す。スープを入れるのも、麺を入れるのも、おばさんの仕事。おじさん、相当楽しているよ。あるいは、寒い冬の朝を、妻にだけは暖かく過ごしてもらおうという夫の優しさなのかもしれない。

【市場にて<1>】

 

【市場にて<2>】

 

 ラーメンを受け取ると、私たちは路上の引っ込んだところで、朝食開始。人気店だが、テーブルと椅子がないのだ。対面の中華おでん屋さんは5,6個のテーブルを広げて営業しているのに・・・。ショバ代をけちっているのだろうか。中華おでん屋だったら、日中もずっと営業できるだろうが、中華式ラーメン屋となると、朝しか客がつかないからかもしれない。
 いずれにせよ、このデッカイ紙カップを片手で持ったまま麺をすするのはやっかいだ。対面の中華おでん屋さんを恨めしげにみつめる。でも、私は中華おでんがあまり好きでないから仕方がないか(中国に来たばかりの頃、中華おでんが当たって、数週間熱と頭痛で悩まされたことがトラウマになっているらしい)。

  「おいしいね」とZが感想をもらす。
 「そうだね」
 やはり腰なしラーメンである。うまくはないが、寒さで体冷えていたので、スープの温かさがありがたい。
 二人とも、瞬く間に平らげる。
 私たち二人は、いろいろ似ている面があるが、食事の速さがほぼ同じというのがいい(どちらかというと、私がスタートダッシュ派、Zがラストスパート派)。

 ラーメンを食べ終わると、Zはオデン屋へ。私は隣の春巻き屋へと向かう。
 「私、あれ食べる」
 「俺は、あれ」
 短い言葉でわかり合えるというのは実に素晴らしい・・・。相手に合わせようという素振りは欠片ほどもない。私は、前述した理由で、私は中国式おでんが好きでないし、Zは油が強いものが好きでないので春巻きが駄目なのだ(中国の屋台の春巻きはギトギトタイプが多い)。

 ここの屋台の春巻きも例に漏れず、ギトギトタイプ。食べる前に尋ねると、1個0.6RMBだったが、小銭が足りない。0.5RMBの札を手にもったまま財布を探っていると、1個0.5RMBでいいということになった。親切なのか、もともとボッテいたのか、疑問に思いながら、0.5RMBと交換に春巻きを一個受け取った。
 私は日本にいる時から春巻きが大好きだった。だからと言って、中国の露店のギトギト春巻きが好きなわけではない。ただ、幸いにも、春巻きで痛い目に遭ったことがないので、慣性の法則というか、そんな感じで春巻きを見るとついつい買ってしまうのだ。(先に述べたオデンとチャーハンでは、同じように日本で大好物だったのにもかかわらず、中国に来てからパクパクと食べて、体の調子を大きく崩したため、その慣性の法則が崩れた)。 

【市場にて<3>】

 

【市場にて<4>】

 

 ギトギト春巻きを平らげた頃、同じくおでんを食べ終わったZがこちらにやってきた。
 「おいしかった?」と尋ねてくる。
 「不味かった」
 「やっぱり~」
 「いや、春巻きは美味しい、不味いではなく、(・・・話が長くなるから止めた)」

 露店を離れて、市場を巡る。しばらくぶらぶらするが特に目新しいものはない。

【市場にて<5>】

 

 市場を抜けて、反対側の通りに出てみると、焼餅売りの露店がいくつかあった(日本の焼餅とは違って、小麦粉ベースで作ったもの)。これまで、他の地方で見た事あるマンマルの円形のものではなく、細長い楕円形で作られている。ドラム缶の内側にドラム間の半分ぐらいの大きさの筒状の鉄板を置き、間にコンクリート(?)を詰めて作られているようだ。内側の鉄板に小麦粉を練ったものを貼り付け、焼き終わったら、上部に置いておくという仕組みだ。なるほど、これなら、あまり場所をとらずに商売ができる。その上、焼餅の保温もできそうだ。頭がいいなぁ。

【市場にて<6>】

 

  一つ買って、ぱくつきながら、真っ直ぐ歩いていく。
 「これから、どうするの?」と振り返ってZが尋ねる。
 「そうだなぁ。隣の『当陽』(市)にでも行こうか。あそこは観光地がたくさんあるみたいだし・・・」
 「どうやって、『当陽』まで行くのよ」
 「バス・ステーションからバスで行くんだよ」
 「だったら、さっさと行くわよ」
 「そんなに急ぐなよ。まだ時間はたっぷりあるし・・・」
 「今行くの!」
 「あれだろ、『五峰』に行けなかったもんで、さっさとここの観光を終わらせて、『武漢』に行こうとか考えているだろ」
 「○○(私の名前)、うるさい」
 「やっぱりな・・・。あれっ?」
 こちらに向かって怒鳴ったZの後ろから、中型バスがゆっくりとやってくる。
 「Z、ほらっ、ちょうど『当陽』行きのバスだよ」
 ちゃんと、「当陽」行きのバスはあるだろ。軽い気持ちで言ったのだが、Zの反応は違った。振り返って、バスを確認したZは、すぐに言った。
 「ほんとね。それじゃ、行きましょう!」
 バスに向かって駆け出していく。
 (えっ、えっ~?このバスに乗っていくのか)
 「ちょっと、待てよ。『当陽』に行く途中かどうか、まだわからないだろ」
 すでに三メートルほど引き離されている。ダッシュでZの後を追った。
 
 私がバスの後尾にたどり着いた頃、Zはすでにバスに乗り込み背中が見えるだけとなっていた。追いかける足を緩めようとすると、Zがドアから顔を出して、叫んだ。
 「○○(私の名前)!『当陽』へ行くって」
 どうやら、さっきの私の声が聞こえていたようだ。
 「はやく、はやく出発しちゃうわよ」
 「わかった、わかった(運転手か、おまえは)」
 私がバスに乗り込むと、Zはすでに席についていた。
 席といっても、通路の両脇にある正規の座席ではなく、座席と座席の間に(薄い布で覆ってある)板を通しただけの、手製補助席である。どうやって、板を止めてあるのだろうと目を凝らしてみると、座席の脇にコの字の空いた部分を上に向けた形に細い木の棒が打ち込んである(反対側の座席も同じようになっている)。この支えに板を置いて、座席と座席の間を渡してあるのだ。

 Zがはやく座りなさいよと手で促すので、恐る恐る腰を下ろす。こんな薄い板で私の体重が支えきれるか心配だ。それに、背もたれがないので加速されたら、後ろに転げそうだ。まぁ、後ろはZだからいいか。
 それにしても、こんな補助席に座るのは初めてだ。10年近く前、貴州にいた頃は、ほとんどのバスの通路に補助席代わりの丸い腰掛けがおいてあった。正規の座席がいっぱいだとそれに座らされたものだが、深センではさすがに腰掛けの置いてあるバスは見かけない。最近では、一昨年、内モンゴル省に旅行に行ったときに座ったことがあるぐらいだ。内陸に行くと、規制が甘いから、椅子を置いたりすることが許されるのだろうが、湖北では改良がされて、手製の補助席となっているわけだ。さきほど食べた細長い焼餅といい、湖北人というのは器用な人が多いのだろうか?そう言えば、以前に私の部門にいた湖北人スタッフも器用になんでもこなした。(もっともその器用さが祟って、私のデジカメが駄目になったが・・・)。

 「当陽」までは、1人20RMB。何時間かかるかわからないのに、何も聞かずに乗り込みやがって・・・とZをなじると、Zは素早くチケット売りの男に尋ね、「1時間ぐらいだってよ」と涼しい顔で答えた。(そーゆー問題ではない。慌てて乗ると、必要な情報を確認できなくなるから、気をつけろ)と言いたかったが、多分無意味なのでやめた。きっと、駄目だと思ったら降りればいいのよ、といった回答が返ってくるのが落ちだろうからだ。恐らく、Zが育ったような内陸では、バスの行き先や目的地までの到達時間がどうのこうのよりも、まず通りがかったバスに乗り込めるかどうかの方がはるかに重要だったのだろう。「バスを見たら、ダッシュ!」。これがZの基本となっているのに違いない。

 「当陽」までの道のりは、全て新しい舗装道路で、手製の補助席だったにもかかわらず、比較的快適に過ごすことができた。(たまにうつらうつらと眠ってしまい、後方に倒れこみそうになり、慌てたZが懸命に押し戻すというシーンが何度かあった)。

 11:10、「当陽」バス・ステーション到着。バスを降りると、バクチクがはじけているのが聞こえた。ものすごく大きな音を出しているので、周囲を見回してみるが、近くでやっている様子はない。よほど大量のバクチクを鳴らしているのだろう。

【当陽到着】

 

【当陽市バス・ステーション】

 

 バス・ステーションの表に回ってみる。バクチクの音とは裏腹に、通りのお店のシャッターは全て閉じていた。完全休日といった感じだ。十数メートルほど通りに沿って歩いてみたが、見渡す限り同じ光景が続いていそうな雰囲気だ。ユーターンして、バス・ステーションの前に戻った。

 ちょうどタクシーが一台停まっていたので、乗り込んだ。「『玉泉寺までいくら?」と気軽に尋ねると、「50RMB!」と運転手がずるそうに笑って答えた。高すぎる。インターネットで調べた限りでは、当陽からは15kmぐらいのはずだ。都会ならわかるが、こんな田舎で50RMBとはボッタクリにもほどがある。「じゃあ、乗らない!」とZと合唱するように声を出して下車した。運転手は、「いくらなら、乗るんだ?」と追いすがるように呼びかけてきたが、無視してその場を離れる。

【バス・ステーションの前の通り】

 

 しかし、バス・ステーションに停まっているタクシーはその一台限り、どうしたものかなと周囲を見回すと、あった、あった、三輪バイタク。今朝、宜昌で乗車したバイタクと同型だ。尋ねると、「玉泉寺」まで20RMBだという。やった!とばかり、喜び勇んで乗車した。春節のことである。この三輪バイタクもボッタクリかもしれないが、50RMBのタクシーよりはずっといい。

【三輪バイタク - 当陽市 -】

 

 出発!ガタゴト道をスピードを上げて走る三輪バイタク。外観は三輪自動車そっくりだが、しょせんはバイタクである。クッションが全くなく、油断すると頭を天井にぶつけそうになる。しかも、目的地までなかなかつかない。「けっこう揺れるなぁ」と私が弱音を吐くと、Zが「でも、50RMBのタクシーよりずっといいでしょ」と決めつける。まぁ、それもそうか。

 11:40、玉泉寺着。砂利が敷き詰められた運動場ぐらいの広さの駐車場の奥に、大門と思われる楼閣がデンと建っている。周囲は駐車場の左脇に安食堂が数件軒を連ねているだけで何もない。(この玉泉寺には、数々の名僧が滞在し、かつては繁栄を極めた時期もあったようであるが、今は訪れる人もほとんどいないようだ。インターネットで調べると、「世界で三番目の仏舎利(釈迦の骨)が発見された寺」という情報が出てきたが、真偽のほどは不明である。また、三国志の関羽が初めて亡霊となって現れた場所(?)としても有名らしい)。

【玉泉寺<1>】

 

 大門を抜けたら、すぐにお寺の建物が見えると思いきや、影形もない。広い敷地にまっすぐと道が伸びているだけだ。目を凝らすと、遠くの方に門のようなものが見える。普通、これだけ大きなお寺だと、途中に様々な建物があるものなのだが、両脇には樹木が植えてあるだけだ。Zは露骨につまらなさそうな顔をしている。
 「まぁ、普段は騒々しい深センで暮らしているんだから、たまにはこういうのもいいだろ」と手を引っ張って歩き始めた。
 「それもそうね」としぶしぶついてくるZ。
 一人で旅行していた頃は、こうした何もないお寺の中を黙々と歩き回ることもよくあった。話相手もなしに寺の中を彷徨っていると、時にわけもなく途方にくれた気分になったが、今はZがいるのでそうした気持ちを味わうこともない。うるさい奴だが、連れがいるというのはいいものだ。

【玉泉寺<2>】

 

 「空気が澄んでいていいだろ!」
 「そぉーねぇ。でも、ちょっとつまらない」
 どうでもいいような会話を交わしながら、テクテクと歩いていく。しかし、広い。
 こんなに広くては手入れも大変だろうにと、余計な心配をしたくなる。

【玉泉寺<3>】

 

【玉泉寺<4>】

 

 ようやくメインの建物が見えてきそうだというとき、道案内のプレートが現れ、左の脇道に入ると「ナントカ観音像」があると教えてくれた。観音様ね・・・。あまり興味がないが、もともと何もなさそうなお寺である。わずかな可能性にかけて立ち寄ってみることにした。舗装のされていない細い山道を少しあがったところに観音像はあった。真っ白で、造ったばかりの頃は綺麗だったのだろうが、今や周辺が草ぼうぼうで手入れもされておらず、すっかり忘れ去られた存在のようだった。年末に予算があまったからチョコチョコッと建てたという感じの観音様だ。でも、一応手を合わせて頭を下げておく。Zは横で、「こりゃ、いくら何でもご利益なさそう~」という顔をして突っ立ったままだ。立派なお寺に行った時は、額を床にこすりつけるようにして頭を下げるくせに現金な奴め。

【玉泉寺<5>】

 

【玉泉寺<6>】

 

 観音様の前を通り過ぎて、少し上のところに陸橋がある。私がやめとけと言うにも関わらず、Zは「渡りたい、渡りたい」と聞かない。ところが、陸橋のたもとまでたどり着くと、通行禁止の張り出しとともに、橋の入口がコンクリートで封鎖されているのがわかった。Zがガクッと肩を落とす。横から陸橋の上部を見てみると、管道らしきものが見える。きっと、以前は水道管かガス管でも走っていたのだろう。ともあれ、橋を渡るというZの野望は無事阻止された。

【玉泉寺<7>】

 

 細い山道を下って、メイン道路へ戻る。ようやく玉泉寺の本門に到着だ。この門をくぐるとすぐに小さな細い塔がある(インターネット上の紹介によると、北宋時代に建てられたもので、中国でもっとも高く、最も重い鉄塔だとのことだ。本当だろうか)。ガイドブックの写真で見たときは、登れるのか?と思ったが、残念ながらそのような大きさはない。あくまで象徴としての塔のようだ。

【玉泉寺<8>】

 

【玉泉寺<9>】

 

  塔の横を抜けると、その先に露店が数軒ある。子供向けの木製の玩具を売っているようだ。何か面白いものはないかと眺めたが、興味をひかれるものはない。そこから小さな橋を渡ると、ようやく、玉泉寺の本堂だ。

【玉泉寺<10>】

 

 門をくぐって中に入ると、中庭に小さな池があり、その上を国旗のような旗を紐に連ねて走らせ、飾り立ててある。お寺に旗という感覚は理解しかねるが、よく理解できないことは中国にはよくあるので深く考えないことにし、何か珍しいものはないかと庭内に目を走らせた。

【玉泉寺<11>】

 

【玉泉寺<12>】

 

  すると、あった、あった。お堂の横に早く叩いてくれとばかりに鐘がぶるさがっている。そばに寄ってみると、3RMBで3回叩けると書いてある。たいしたイベントではないが、何もないよりは良い。横にあった賽銭箱(?)にお金を入れて、ゴーン、ゴーン、ゴーンと鐘をついた。
 「Zもやるか?」
 「やらない」
 「そう。あれはやらないの、あれっ」
 「何よ?」
 「こっち、こっち」とZを連れて行く。

 お堂のところまで一緒に歩いて行くと、私は仏像の前に置いてある皮で作った二つの細長い座布団のようなものを指差す。中国の人は、仏様に祈るとき、手前の座布団に膝を下ろし、奥の座布団に向かってぶつけるようにして頭を下げるのだ。これを三回繰り返すのが一般的だ。
 「頭下げなくていいの?」
 私は手首をクイクイと折り曲げて見せた。
 Zは首をかしげて考えていたが、ようやく私の言っている意味がわかったらしく、顔をしかめて言った。
 「やらない」
 「どーして」
 「○○(私の名前)、また笑うでしょ」
 「何言ってるんだ。笑うわけないだろ」
 やばい、読まれた。
 「絶対に笑うわ!」
 「笑わない、笑わない」
 「絶対、やらない」
 「あっ~、いいのかな。参拝客のたくさんいる、豪華な建物のお寺のときは一生懸命頭を下げる癖に、こういう見栄えのしないお寺の時は頭下げないんだ。そーいうのは、どうかな~?」
 「○○(私の名前)はうるさいなぁ」
 「神様、いや、仏様はきっとZの行いを見守っていると思うぞ」
 「・・・やるわよ」
 「えっ?」
 「やるっていってるでしょ」
 「そう・・・(ニマッ)」
 まんまと私の策にはまったZであった。覚悟を決めたZは、仏像の前でコメツキバッタのように頭を下げ始めた。すぐそばに立っているお坊さんが、お前はやらないのか?とこちを睨む。私は慌てて目を逸らした。

 「ホラッ、ちゃんとやったわよ」
 戻ってきたZは文句あるの?と言った調子で宣言する。
 「Z、それは違うよ。俺のために頭下げているわけじゃないんだから」
 「・・・」
 「あくまで、Zが仏様に敬意を示すためにやっているんだろ?」
 「・・・○○(私の名前)は、いつも私のことをイジメルんだから」
 プンプンと怒って、Zは出口に向う。
 「おい、待てよ。そんなに早く歩くなよ」
 私は慌ててZを追いかけた。 
 
  12:35、到着した駐車場のところに戻った。食堂のそばに車が停まっていたのでそばに寄ってみるが、運転手がいない。食堂で食事でもしているのだろう。駐車場にある車はこれ一台だけのようだし、さてどうしよう。ぼぉーとここで突っ立っているのも情けない。いっそのこと、ここで食事を済ませるか。しかし、私たちが食事をしている間に運転手が出て行ってしまったら元も子もない。
 仕方がない。来る時に乗車してきた三輪バイタクを呼ぶか・・・。下車するときに万一のことを考えて電話番号を聞いておいたのだ。いつでも電話してくれと言っていたしな。あの揺れを考えると憂鬱になるが、最早選択の余地はなさそうだ。ポケットから携帯電話を取り出した。
 
  ガラガラッ。そこで食堂のドアが開き、楊枝で歯の隙間を突っつきながら男が出てきた。右手をあげてこちらに合図をする。
 「行くのか?」と尋ねると、手首を曲げて同意を示してきた。
 「長坂坡までいくら?」
 「20RMBだ」
 うーん、まぁ、妥当な金額だろう。当陽バス・ステーションからここまで来るのが20RMB。「長坂坡」は当陽バス・ステーションとここの間ぐらいにあるはずだから、15RMBというところだろうが、さきほどは三輪バイタクなのに対し、今度はボロとは言え、普通の乗用車だから若干調整が入って20RMBでちょうどいい。でも、少し値切ってみるとしようか。
 「高い。15RMBでどう?駄目なら、電話で別の車を呼ぶよ」と手にある携帯電話を振ってみせる。
 男は不承不承ながら同意を示し、乗れ!と合図をした。

 車がスタートすると、運転手がごね出した。「やっぱり20RMBにしてくれ」と言う。15RMBでは安すぎたと思い始めたらしい。きっと、春節だということを忘れていて、いまさらながら思い出したのだろう。私も若干値切りすぎたかなと思う。だが、一度決めたことをひっくり返すのは好ましくない。中国ではこのように後から値上げしようと交渉(ゴネる?)をしかけてくる運転手が多いので、妥協する習慣をつけてしまうと自分のためにならない。そこで、「乗る前に料金を決めたんだから、ぐだぐだ言うなよ。お互いに不愉快な思いをするだろ。もし行きたくないんなら、ここで降ろしてくれ。別の車を呼ぶから」と言い切った。昼間だからできる強気の発言だ。これが夜中だったら、降ろされてはかなわないからここまで強くは言えない。Zも「そうよ。そうよ。最初に決めたんだから、それで行くべきよ」と声を上げる。私たちの勢いに押されて、不利を悟ったらしく、運転手は口を尖らせながらも黙り込んだ。

 運転手との戦いに勝利すると、「今度はどこに行くの?」とZが尋ねてきた。
 「『長坂坡』だよ。さっき言っただろ」
 「それって何?」
 「(俺もよく知らないけど、)確か、趙雲が劉備の子供を助けた場所だよ」
 「ふーん」
 つまらなそうな顔をして聞いていたが、やにわ顔を輝かせたかと思うと、運転手に話し掛けた。
 「ねぇ、『当陽』で面白い場所ってどこ?」
 「あんたたちは、どこに行ったことがあるんだ?」
 「さっきの玉泉寺が始めてよ」
 「それなら、『百宝寨』がいいよ」
 「それっ、近くなの?」
 「近いよ。行くのか」
 Zは私をすぐさま振り返って、「いいでしょ」と同意を求めてきた。
 
 「待てよ。先に『長坂坡』に行ってからにしなよ」
 ここで行き先を変更されたら、乗車前に交渉した料金が全く無意味になる。
 「『長坂坡』に行ってからでいい?」
 Zは私の質問を単なる順番の問題だと捉え、そのまま運転手にぶつける。
 「いや、友達を待たせていて時間があまりないんだ。先に『百宝寨』へ行って、それから『長坂坡』まで送るから、それでいいだろ」
 Zがまた、どう?という顔をして私を振り返る。

 「いくらなんだよ」
 仕方なしに応じる。
 「70RMBだな」
 「それは、ここから『百宝寨』までの料金なの?それとも、『長坂坡』から?」
 「『長坂坡』からだよ」
 「『長坂坡』からだって」
  Zまで一緒になって答える。
 
 「『百宝寨』は『長坂坡』の先にあるの?それとも途中にあるの」と重ねて質問をすると、「『長坂坡』よりもずっと先だ」との答えが返ってきた。

 「じゃあ、ここから『百宝寨』まで行って、『長坂坡』まで帰ってくると、いくらになるんだ?さっきの15RMBも含めてだけど」
 運転手はしばらく迷って、「90RMB」だと答えてきた。
 Zは念を押すように、「さっきの15RMBも含めてだよね」と繰り返す。運転手が頷くと、「含んでいるって」とこちらに同意を求める。

  うーん、話がややこしくなってきた。だから、一旦、『長坂坡』で降りておいたほうがいいんだと考えたが、今更そういうわけにもいかない。「わかった。それでいいよ」と手を振ってOKを出してしまう。「じゃあ、『百宝寨』まで行ってね」とZは喜んで、運転手に伝える。
 だが、そこでハタと思い出した。さっき「長坂坡」から「百宝寨」まで往復で70RMBって言っていなかったか?それだったら、ここから「長坂坡」までの15RMBを足しても、85RMBにしかならないんじゃないか。だが、時すでに遅し。今更、もう一度5RMBを値切るわけにもいかない。だいたい、「百宝寨」、「百宝寨」って、どんな観光地なんだ?諦めて、窓の外に目をやった。

 12:50、「長坂坡」を通過。運転手が、「ここに戻ってくれば、いいんだよな」と確認をする。

 「百宝寨」への道のりは意外に長い。
 Zが「『百宝寨』って何があるの?」と質問をした。
 「石の洞窟がたくさんあるんだよ。昔は人がそこに住んでいたらしい」と答える運転手。
 「他には?」
 「『百宝寨』には川があって、『小桂林』とも呼ばれているんだ」
 (呼んでいるのは地元の人だけだろう)と心の中で突っ込む。
 「入場料とかはいらないの?」と私が尋ねる。
 「いるよ」
 (えっ、この上入場料がいるのか?)
 「普段は、途中にある門のところに人がいて、50RMB払わなければ、いけないんだ。でも、今は春節だから、多分人はいないよ」
 そうか、助かった。でも、普段入場料がいるということは、それなりの観光地なのだろうか。ちょっとは期待できるかな?

 13:20、「百宝寨」到着。
   川沿いの土地に砂利を撒いて、駐車場にしてある場所に停車。
 下車してみる。すぐそばに大きな水車があるきりで、楽しめそうなものは何もない。観光客どころか、スタッフすらいない。春節だから、当然と言えば当然だ。でも、こんなところで何をしろというのだろうか。
 「1時間ぐらいしたら戻らなきゃいけないから、頼むよ」
 自分の都合を言い立てる運転手。
 「それはいいんだけど、ここ何もないよ。川に船があるけど、スタッフが誰もいないし、俺たちは何をやって時間を過ごしたらいいんだい?」
 運転手はしばらく躊躇していたが、(このままではお金がもらえないのでは?)とでも思ったのだろう。「もう一度乗れ!ここの農家の人に頼んでみるから」と言ってきた。

【百宝寨<1>】

 

 再び乗車して連れて行かれたのは、川岸から数十メートルほど奥に引っ込んだところにある農家であった。広い敷地に、レンガが剥き出しになった平屋の建物が長く広がっている。車から一番近い場所が住居になっていて、残りは倉庫や家畜小屋になっているようだ。
 運転手は下車をすると、大声で声をかけながら、住居のドアのない入口の中にズカズカと入り込んでいった。どうやら、顔見知りのようだ。きっと頻繁に客を連れて、この「百宝寨」にやってきているのだろう。

 しばらくすると、運転手は、この家の主人と思われる男と一緒に出てきた。主人は携帯電話で誰かと話している。私たちも車を降りて、運転手に様子を聞く。
 「春節だから、家で休んでいるらしいんだよ。船漕ぐ人を電話で呼んでくれているんだ。しばらくしたら来ると思うよ」とのこと。
 春節で休んでいるところをわざわざ来るのか。ちょっと申し訳ないような・・・。でも、彼らの稼げるから嬉しいのだろうか。しかし、料金が心配だ。
 「で、いくらになるんだい?」
 「うーん、わからない。彼らが来たら、聞いてよ」
 (おいおい、料金交渉しないで呼んだのかよ)
 仕方ないので、脇に建っている家畜小屋を覗いたりしながら漕ぎ手の到着を待つ。

【百宝寨<2>】

 

【百宝寨<3>】

 

 十数分ほど経って、真っ黒に顔を日焼けさせた体格の良いおばさんがやってきた。どうやら、このオバサンが漕ぎ手のようである。運転手の合図で私たちは車に乗り込み川岸まで行って、オバサンの到着を待つことになった。五分ぐらいで、オバサンが椅子二つ担いで現れた。椅子をどうするのかと見ていたら、川岸につけてある小さな鉄船の上に並べて置いている。どうやら、椅子は私たちの座席になるようだ。

【百宝寨<4>】

 

【百宝寨<5>】

 

 準備ができると、オバサンは私たちに船に乗るように合図した。私たちは両手をつないで、順番に舳先から乗り込んだ。私たちが椅子にきちんと座るのを確認すると、オバサンは二本のオールを力強くこぎ始める。

【百宝寨<6>】

 

 「乗船代、まだ決めてなかったよね。いくら?」と私が尋ねる。
 「いくらなら、いいんだい?」とオバサンは逆に聞き返してきた。
 「もちろん、無料が一番なんだけど、そうもいかないだろ。いくらなの?」
 「50RMBよ」
 「もっと安くしてよ」とZが粘る。
 「春節だからね。これ以上は安くならないわよ」
 結局、オバサンの押し勝ち。50RMBで決まった。二人で50RMBだから、決して高いとは言えないだろうけれど、この辺りの物価を考えるとどうなのかな?と思ってしまう。

【百宝寨<7>】

 

 運賃が決まって安心したのか、ギーコ、ギーコとオールを漕ぐのに集中し出すオバサン。今まで、川下りやら川上りやらを楽しんできたが、(客船のような大きな船は別にして)ゴムボートや竹の筏、木の船はあったが、このような鉄の小船は初めてだ。鉄の船というのはどうも味気ない。桂林の筏舟は良かったなと思い出す。
 そもそも、こんな鉄の船では、漕ぐほうも大変だろうにと改めてオールを漕いでいるオバサンを振り返ってみる。おおっ、椅子を抱えていたときは背を曲げて小さく見えていたが、オールをつかんで両腕を広げている姿は、まるで鷲のようだ。見事な逆三角形の体型となっている。顔がいかついのですごい迫力だ。船を漕ぐのも全然大変そうに見えない。心配なし。景色をのんびり眺めるとしよう。

 しかし、・・・。
 「この『百宝寨』って『小桂林』と呼ばれているんだって?」
 我慢できずに、オバサンに尋ねる。
 「そうよ~」と普通に答えが返ってくる。
 うーん、でも、川沿いに見えるのが丘のように低い山ばかりなんだけど・・・。桂林がどうのこうのとは言わないから、山がもうちょっと高くないと・・・。と言っても、景色を変えるわけにもいかないか。そもそも、いつから「小桂林」と呼ばれているんだろう?

【百宝寨<8>】

 

 川をどんどん上っていくと、小さな島が見えてきた。運転手が言っていた通り、洞窟がたくさんある。中に入れるのだろうか。入った途端崩れたりしないだろうな。

【百宝寨<9>】

 

  鉄船が小島に接岸した。地面から数メートルの高さのところにたくさんの洞窟が見える。数箇所に鉄の階段が据え付けられており、洞窟まで上がれるようになっている。Zが、「私、先に行くわ!」とタッタと階段を上り始めたので、私も続いた。

【百宝寨<10>】

 

  洞窟の穴は、(見学できる範囲は)中でつながっていて、数家族の人間が住むのに十分な広さである。ただ、自然あるいは人間が手やのみで掘ったにしては、洞窟の穴も部屋の形もやけに角張っている気がした。内部が岩であることは間違いないが、どれも機械で削ったかのように平らなのである。
 あるいは、歴史的な洞窟がもともとあって、それを近代になって手を加えたものなのかもしれない。これらの洞窟ができた歴史的な経緯は明らかになっておらず、戦国時代の楚の思想家である「鬼谷子」と呼ばれた人物が弟子とともに掘ったとも、三国志の関羽が荊州を撤退して蜀に入るときに掘らせて軍の駐屯地にさせたとも言われているらしい(かなり怪しげな伝説である)。

【百宝寨<11>】

 

【百宝寨<12>】

 

 洞窟の穴は左右に連なっているだけではなく、上下にも行き来することができ立体的なつくりとなっている。迷路のような洞窟の中を、私とZは隅々まで歩き回った。部屋の高さも十分にあり、ほとんどの場所ではかがむ必要もない。川に囲まれた小さな島の中でもあるし、夏は涼しくて、住みやすいのではないだろうかと思われた。

【百宝寨<13>】

 

【百宝寨<14>】

 

【百宝寨<15>】

 

【百宝寨<16>】

 

【百宝寨<17>】

 

【百宝寨<18>】

 

【百宝寨<19>】

 

  洞窟を出て、再び船に乗りもとの岸に戻る。

【百宝寨<20>】

 

【百宝寨<21>】

 

 岸に着くと、農家のおじさんが腕組みをして、私たちを待ち構えていた。Zが二人分の船代50RMBを渡そうとするが、手を伸ばさない。「おまえら、入場料を払っていないだろう」と文句をいってきた。そばで、運転手がばつの悪そうな顔をして突っ立っている。
 ここで入場料を払っても、「百宝寨」の運営者に渡るとは思えない。農家のおじさんの懐に入るだけのことだろう。ましてや、ここでは船遊びしかしていない。入場料50RMB/人を払うのだったら、もうちょっと辺りを歩いたりしないと割に合わない(もっとも大して楽しめる場所はなさそうだが・・・)。運転手のおじさんも、私たちが長居をしては別の約束に間に合わなくなるし、かといってこれ以上農家のおじさんの気を損ねるわけにもいかないという様子で、事態の推移を見守るのみ。
 幸いというか、船代を渡し行ったのはZであった。船代を受け取ろうとしないおじさんに対して、「どっちにしろ、私たちは船代の50RMBしか払うつもりないわ!」と啖呵を切った。「いらないんなら、このまま帰るけど?」と重ねて言われて、おじさんはしぶしぶ手を出してお金を受け取った。Zの勝利である。

【百宝寨<22>】

 

 14:30、車に乗り込んで、「長坂坡」へ向かう。
 「長坂坡」と言えば、三国志の趙雲が曹操軍と戦って、劉備の息子を取り返した逸話のある場所である。建築物ではなく、戦の場所なので、観るべきものもないとおもわれるが、なんと言っても偉大な蜀の将軍が活躍した場所である。その場の空気だけでも吸ってみたいと思うのは私だけではないだろう。

   15:00、「長坂坡」着。道の真中に馬に乗った「趙雲」の銅像が立てられている。「ほらっ、これが『趙雲』だよ!」と私が指で示すと、Zが「どうしてわかるのよ~」と疑いの声を上げる。(どうしってっていわれてもな~)と銅像が立っている土台の周囲を回って「趙雲」の名前でも書いてないかと探してみる。おっ、あった、あった。土台の正面に趙雲の名前を彫ったプレートがはめ込まれている。「Z~!あったぞ・・」と知らせようとすると、「わかったわ。もういいわ」と冷たい回答が戻ってきた。「なんでわかったんだ?」と尋ねると、「子供を抱いているのが見えたから」とのこと。(子供?)。再び趙雲の銅像を見上げるが、よくわからない。「どこに子供がいるんだ?」。「こっちよ」とZが指を指す。「(う~ん・・・)おっ、確かにいるな」。真っ黒な銅像で、子供と一体化していたために気づかなかったが、確かに子供を抱いている。あれが劉備の息子ということか。それにしても、Zの奴、いつもながら目だけはいいなぁ。

  他に「長坂坡」に関連のあるものはないかと辺りを見回すと、「長坂坡」のプレートをつけた門があるのが見えた。中に祠らしきものがある。門の中に足を踏み入れようとすると、門のそばの椅子に座っていたおじさんが、「チケットを買わなきゃだめだよ」と声をかけてきた。「いくら?」と聞くと、「10RMB」だという。うーん、高くはないが、祠だけしかないようだしなぁ。だいたい、このおじさん、正規のチケット売りなのか?勝手に門の前に居座っているだけじゃないのだろうか。そんな疑問が先に立ち、結局中には入らなかった。

【長坂坡<1>】

 

【長坂坡<2>】

 

【長坂坡<3>】

 

  さあ、次は「関陵」だ。だが、小銭を使い切ってしまっていて、100RMB札しかない。「『関陵』に行きたいんだ。100RMB札しかないんだけど、お釣りある?」とバイタクの運ちゃんに持ちかけるが、「ない」と首を横に振られて終わり。その辺でジュースでも買って小銭をつくるしかないか。別のバイタクでもう一度だけトライ。運転手は一瞬顔をしかめた後、「あるよ」と答えた。100RMB札を受ける取ると、そばの小売店で両替をして、運賃を引いて残金をくれた。運転手、Z、私とで三人乗りで出発。

 15:10、「関陵」に到着。門の脇にあるチケット売り場で、16RMB/人を支払う。だが、入ってよいと合図をするばかりで、チケットを寄越さない。「チケットをくれ」と言うと、嫌そうな顔をしながら、机の引出しを開けチケットの束を取り出した。しぶしぶと2枚だけちぎりこちらに渡す。

 「チケットをくれと言わなかったら、あのお金、あの人の懐に入るんだろうねぇ」と文句を言いながら、門の中へ入る。

【関陵<1>】

 

【関陵<2>】

 

【関陵<3>】

 

 関羽の胴体が納められているという有名な場所だが、きちんと整備がされておらず、建物も色あせている。10RMBを支払ってお線香をあげるZ。それから、おみくじをひく。ニコニコしながら、おみくじを読んでいる。「どうだった?」と尋ねると、「中上」だという。よくわからないが、まぁまぁというところか。「何て書いてあったの?」と聞くと、「結婚するには今年がいいそうよ」だそうだ。・・・。何で関羽にそんなことがわかるんだ?

【関陵<4>】

 

【関陵<5>】

 

【関陵<6>】

 

【関陵からの帰途<1>】

 

 15:30、「関陵」見学を終えて、門の外へ出る。さて、バス停もないしタクシーが来る様子もない。どうやって帰ろうか。だが、心配するほどのことはなく、数分でバスがやってきた。1RMB/人でバスに乗車。さきほどの「長坂坡」のところまで戻る。

【関陵からの帰途<2>】

 

 「長坂坡」のところで下車すると、ちょうど客集めをしていた「宜昌」行きのバスを発見。さっそくZが料金交渉。来るときと全く同じ型のバスだが、なぜか25RMBから下がらない(来るときは20RMB)。不承不承引き下がったが、思うと通りにならず不機嫌になるZ。「来るときは、バス・ステーションから結構離れた場所から乗ったからじゃないのか」と慰めてみるが、「そんなの関係ないわよ」と不服そうな表情をするばかりであった。

 16:50、「宜昌」着。「五峰(柴埠渓大峡谷)」行きをあきらめきれないZは、チケット売り場へ行き、「五峰(柴埠渓大峡谷)」行きのバスをチェック。だが、やはり10時発のバスしかない。私が首を横に振ると、「うーん、行きたいなぁ」と粘る。しかし、登れるか、登れないかわからない山のために、二日を潰すというリスクはおかせない。せめて、ロープウェイがあることがはっきりしていればいいが、そんな情報もない。駄目なものは駄目。諦めきれないでいるZをなだめながらバス・ステーションを出た。

   17:30、春節の影響で、お店が片っ端から閉まっており、夕食が食べられる場所が見つからない。しかし、通りをずっと歩いていったところに小奇麗なビジネスホテルがあり、その一階でレストランがオープンしていた。「どうする?他も探してみるか」という私の問いかけを無視して、Zはぐんぐんと店内に入っていった。絶対にここで食べるわ、という様子だ。幸い、ホテルの外観と同様レストランの内側も綺麗な感じだ。インターネットのホテル紹介では、このビジネスホテルは湖北各地にチェーン網を広げているようなことが書かれていた。まず問題はないだろう。Zに続いて店内に入る。

 席に着き、ウェイターがやってくると、Zが矢継ぎ早に注文を出した。「俺にも注文させろよ」と文句をいうと、「わかったわよ」としぶしぶメニューをこちらに渡す。私が「<月昔>肉」炒めの料理を注文すると、今度は「それは駄目!」とやめさせようとするので、「お前も好きなものを注文したんだから、俺だって注文していいだろう」と言って押し切った。すると、むくれてこちらをみる。どうやら、「五峰」に行けないことになったので、八つ当たりモードに入っているようだ。しかし、ここで下手に出ては、旅行中の主導権が握れない。少なくとも旅行中は、私が常に最終決定権を握っているのだということをはっきりさせておかなければ駄目なのだ。「不満があるのか?」と反問すると、「ないわよ」とふくれ面で答えた。

 幸いにも、最初に来たのがZの大好物である鴨の燻製。途端にZの顔が明るくなる。(良かった、機嫌が直った)と私はほっとする。なんとか楽しい食事ができそうだ。

【夕食<1>-宜昌-】

 

【夕食<2>-宜昌-】

 

【夕食<3>-宜昌-】

 

 18:30、食事終了。ホテルへ戻る。今日は、バイタクやらバスやら乗り物にたくさん乗ったし、よく歩きもした。Zの表情からも濃い疲労が読み取れる。疲れた、疲れたと二人でエレベータの中でつぶやく。足元をよろめかせて、ようやく部屋の前に到着。「早くドアを開けてよ」とZが急かす。私はのろのろと財布からカードを取り出し、ノブのすぐそばにあるカードリーダに差し込んだ。米粒ほどの小さなランプが赤く数回点滅し、青色に変わるはずであった。しかし、変わらない。裏表を間違えたのか?抜き出して確認するが、向きは合っている。Zが「私がやるわ!」と私の手からカードを奪い取りトライするが、やはり駄目だ。「駄目みたい・・・」と情けなさそうな顔をしてこちらをみる。
 「じゃあ、フロントで聞いてみるしかないな・・・」。もう一度下まで降りるのは憂鬱だが、他に手がない。再び歩こうとすると、ちょうどホテルのスタッフが廊下を横切るのが見えたので、わずかな期待をかけて声をかけてみる。スタッフは私たちのカードを受け取り、カードリーダに差し込むが、結果は同じだ。赤色の点滅のままである。「駄目なの?」と私が尋ねると、スタッフは「今日は何泊目ですか?」と問い返してきた。「二日目だけど・・・」と答えると、「帰ってきたとき、フロントに行きましたか?」と質問が続く。「寄らないよ」と当然のごとく答える。スタッフは、それでわかったという顔をして、「毎日一回、フロントでカードのロックを解かないと、使えないんですよ」と言ってきた。「いや、三日分の保証金を先に払ってあるんだけど・・・」。「それは関係ないです」とスタッフは平然として答える。(関係ある!)。目の前に机があったら、ドンと叩きたい気分であったが、「そう、わかったよ」と言うだけに済ませた。
 Zを伴って、再びロビーまで降りる。「カードが使えなかったんだけど・・・」と言ってカードを渡すと、キーボードをしばらく叩いた後、カードリーダに読み込ませ、「これで大丈夫です」と返してくれた。「これ、毎日、ここでカードリーダに読ませなきゃならないの?」と無駄だとは思ったが、言うだけ言ってみる。答えは予想通り、「そうです」との短い言葉だけだった。議論をするだけ無駄である。踵を返して、エレベータに乗り込む。Zがうらめしそうな顔をして、「やっぱり、帰ってきたとき、フロントに行けばよかったのよ」と私を責める。(そんなわけねぇー)と言いそうになったが、「保証金を三日分払ってあるんだから、カードが毎日ロックされるのはおかしいんだよ」と優しく説明する。「毎日ロックされるんだったら、保証金をまとめて払っている意味がないだろ」。だが、Zは理解できないらしく、(貴方が悪いのよ)という顔をしてこちらを眺めるだけ。(だいたい、中国でも、毎日フロントへ行かなきゃならないホテルなんて少ないはずだ)なんてことを言っても、もうZの耳には入らないだろう。いずれはわかる。そう自らを説得して、黙って歩く。
 再び部屋の前に立ち、カードを差し込む。今度はスムーズに青色に変わったランプをみて二人とも安堵のため息をついた。

 一日の汗をシャワーで洗い落とし、着替えてベッドに潜り込む。
  さて、問題は明日の予定だ。最初の予定では、ここで三泊して、五峰を含む「宜昌」と「当陽」の観光地を回る予定であった。しかし、五峰が予定から外れるとなると、一日余る。この余った一日をどう使うか。次の目的地である「武漢」との間に、劉備が長い間逗留した「荊州」がある。ここで一泊して、古城を眺めて次の日に「武漢」に向かうというのはどうだろう。
 「明日は『荊州』に行くという案と、『武漢』に直行するという案があるんだけど、どっちがいい?」
 「『武漢』!『五峰』に行けないんだったら、さっさと『武漢』に行きたい」
 「でも、『荊州』にも古城とかあるよ」
 「嫌、行きたくない。きっと、ここ(宜昌)と同じで何もないに決まっているわ」
 うーん、Zは「武漢」に行きたいのか。おおかたショッピング目当てなのだろうが、「荊州」が「宜昌」と同じというのは的を得ているかもしれない。むしろ、「宜昌」よりも田舎である可能性が高い。それなら、「武漢」か。「宜昌」で二泊しかせず、残りの4日を全て「武漢」で過ごすとなるとバランスが悪すぎて、ホームページに旅行記を書くときに困りそうだが、仕方がない。「武漢」は大都市だし、お寺も多いから、4日間過ごしても、観光地に困ることはないだろう。しかも、他の都市へ向かうのも比較的容易い。もっともその場合は、帰りのチケットの入手が地方の空港発になるので別の問題が発生しそうだが・・・。
 「それじゃ、明日、『武漢』へ向かうとしよう」とZに向かって宣言するが、反応は鈍い。きっとまだ「五峰」に行きたいと考えているのだろう。目の前に欲しいものがあると熱くなりすぎるのがZの困ったところだ。ほとんど駄々子だが、叱っても仕方がないし、今のところ打つ手なし。でも、どこかでバランスをとってやらないと、旅行が終わったあと、「今回の旅行はつまらなかった」という冷徹な評価を下されそうだ。

  「武漢」行きが決まると、まずは、明日の宿泊分をキャンセルしなければならない。このホテルは携程旅行網」経由で予約したので、まずは携程旅行網」に電話をする。そうしないと、カードに蓄積される特典点数が減点されてしまうからだ。
 前日キャンセルって、何か罰則があるのかな?そんな不安があったが、とにかく電話をした。幸い、罰則はなく、スムーズにキャンセル作業が進んだ。しかも、ホテルのフロントには携程旅行網」の方から連絡をしてくれ、私たちは明日、フロントに保証金の残金を受け取りに行けば良いだけだという。もう一度服を着る手間が省けて助かった。初めて本格的に携程旅行網」を使った旅となるが、なかなか使えるなぁ、このカード。

【夜の花火<1>-宜昌-】

 

 しばらくの間、「武漢」の観光地やその他地方についてガイドブックで検討し、まぶたが重くなってきた頃、眠りについた。ところが夜中になって、ドドン、ドドンとすごい音が外から聞こえてきた。爆竹ではないし、何だろう。窓から外をのぞいて見ると、花火が上がっている。それもたいそうな数だ。日本の花火ほど多彩ではないが、十分に美しい。ドドン、ドドンと夜の空に次々と上がる打ち上げ花火を満喫した後、再びベッドへ戻った。

【夜の花火<2>-宜昌-】

 

2006年1月29日
  7:30、チェックアウト。携程旅行網」はちきんと仕事をやってくれていたらしく、スムーズに手続きが終わった。

 ホテル前を通りかかったタクシーを手を振って停めて、乗車する。「バス・ステーションまで」と言うと、「10RMBだ」とふっかけてきた。宜昌の初乗り運賃はわずか数元だからぼったくりもいいところだ。「高すぎるよ」と言うと、「春節だから」とのことである。Zは下車しようとする素振りを見せたが、私が止めた。湖南の長沙などでは、わざわざ市内放送が流れて、春節の間は、10RMBの追加料金を払ってくださいなどとあったのを思い出したからだ。Zは「高いなぁ」とぶつぶつ言いながらも矛先を収めた。

 7:45、バス・ステーション着。「武漢」行きのバスを探さねばならない。だが、「武漢」と言っても広くて、バスの終点には「武昌」と「漢口」の二つがあるようだ。どちらを選べばよいのだろう。今回は「地球の歩き方」を持ってくるのを忘れてしまったので、情報不足で困る。幸い、「武漢」で宿泊する予定のホテルのデータを印刷してもってきており、そのデータに「駅の近くである」と書いてあったのを思い出した。リュックからデータを取り出して読み直してみると、「漢口」駅と書いてある。よし「漢口」だ(実際には、データに載っていたのは列車の駅のことなので、ちょっと違ったのだが、その時は気づかなかった)。

 バスの発車まで1時間近くあるので、近くで朝食をとることにした。ところが、春節のため、どの店も開いていない。Zは「ここはどういう街なのよ!」と怒りだす。なんとか宥めて、駅前の小さな蘭州ラーメン屋で食事を済ませることで納得してもらった。
  ラーメンを食べ終わり余裕だでると、今度は「やっぱり『五峰』に行きたいわ」とごねだすZ。あまりしつこいので、「じゃあ、『五峰』のサービスセンターに電話してみろよ」と言ってやる。昨晩、念のため、何度か電話をかけてみたが繋がらなかったのだ。Zは、わかったわといって、番号を押し始めた。(かかるわけない)と私は確信していたが、意外にも、担当者が電話を受けた。通常通りに営業しているという。
 私をじっと見つめるZ。しかし、「武漢」までのバス・チケットをすでに購入してしまっているのだ。しかも、資料を調べた限りでは、「五峰」にはケーブルカーがないようだ。この寒い時期に歩いてふもとから頂上まで登れるかどうかわからない。不安要素が多すぎる。結局、Zを説得して「五峰」行きを諦めさせた。

 8:45、バス発車(115RMB/人)。

 発車してしばらく経ってから、携程旅行網」に電話をする。本日のホテルの予約をするためだ。携程旅行網」はホームページからでも、電話からでも、予約ができるので非常に便利だ。もっとも、本来であれば、ホテル探しも旅行中の楽しみのうちの一つであるので、携程旅行網」で手軽に予約できてしまうというのは、必ずしもプラスではない。しかし、冬場の旅行で女性連れとなると、荷物をもってあちこちウロウロするのは辛い。このような状況では大変重宝するシステムである。

  道路は、昨日と同様、霧が立ち込めている。運転手は慣れた様子ではあるが、それでも速度を相当落として車を走らせているようだ。9:00、「大紅橋バス・ステーション」着。出発してきた「宜昌長距離バス・ステーション」よりも、ずっと賑やかで人が多い。「そう言えば、昨日チケット売り場の人が、『五峰』に行くのであれば、『大紅橋バス・ステーション』から行ったほうがいいって言っていたわ」とZが思い出したようにいう。うーん、尾をひくなぁ、「五峰」。このままだと旅行中、ずっと言っていそうだ。

 11:30、休憩所。10分休憩して、再び乗車。

 バスに乗ると、Zが休憩所で買っておいてくれたミカンを食べる。冷たくて美味しい。私がミカンを口にしながら、バスの外を眺めていると、Zが「外はただの平地よ。山がないからつまらない」と絡んでくる。あまりしつこいので、「じゃあ、次に旅行に行くとして、シー・シュアン・バンナー(雲南省の有名な観光地:西双版納)と五峰のどちらかを選べるとしたら、どっちにする?」と聞いてやったら、「シー・シュアン・バンナー!」と即座に答えが返ってきた。「ほらみろ、『五峰』なんて、そんなに行きたいわけじゃないんだよ」とやりこめる。Zはしばらく考えた後、それもそうね・・・という顔をして黙り込んだ。

この旅は「武漢探検記」に続きます。ご興味のある方は是非ご覧になってください。