恵州市の旅


恵州市

青丸が恵州市です。

2004年1月1日
 7:50アパート発。深センまではいつもの中型バスに乗っていく(25RMB)。席が半分ぐらい埋まったところで発車。気温は少し寒いぐらいである。昨年は雲南省、江西省といった外地へは出かけたが、広東省内の旅はなかった。広東省内における旅はほぼ1年半ぶりである。少し緊張気味だ。
 省内の旅は費用があまりかからず気楽な反面、情報が入らないという難点がある。外地への旅であれば、私の行動範囲はほぼガイドブック「地球の歩き方」の範囲内だ。一箇所に長期間いられるわけではないから、ガイドブックに紹介されている場所を回っているだけで終わってしまうため、日程を決めるのも容易だ。だが、省内の旅となるとそうはいかない。「地球の歩き方」の地方版でさえ、全体のほんの一部しかカバーしていないからだ。中国人用のガイドブックで情報が入る場合もあるが、日本人用のガイドブックと違って情報がおおざっぱなので頼りにならない。たいがいの場合は、現地で地図を手に入れ、行き先とルートを決めることになる。午前中に到着、午後にフル活動で観光地、街巡り、もう、大忙しだ。ある意味、近距離の旅のほうが外地の旅より難度が高いといえるかもしれない。

 8:40、深セン羅湖着。バス・ステーションの2Fへいき、トイレを済ませる。ここで小さな発見をした。ここのトイレは今までチップの要求がしつこく(口でいうわけではないが、ステンレスのお盆の上に見せ金をたくさんおいてあったり、頼みもしないのに蛇口をひねってくれたりでうっとおしい)て辟易していたのだが、今回に限ってはチップのお盆が見当たらない。ちょっと気が抜けたくらいだ。元旦でサービスということもないだろうから、公安の検査でもあったのだろうと想像を巡らせる。

 同じく2Fにあるチケット売り場で列の後ろに並ぶ。窓口のガラスに目をやると、「1月10日から政府が発行した文書に基づいて運賃の値上げをする」と書かれた通知書が張られている。中国の春節前後には、バスの運賃がどんと値上げされる。需要と供給を反映した結果なのか、残業代(中国では最大3倍となる)を反映した結果なのか。株価ではないのだから、きちんと予算を組んで平均化するとかできないものだろうかと思うがそう簡単なものでもないのだろう。

 自分の番がきたので、「恵州!」と元気よくチケットを要求した。すると、「乗車して買え」と冷たい返事が返ってきた。どうやら、ここでチケットを購入できるバスとできないバスがあるらしい。以前に「汕頭市」に行った時はこの売り場でチケットを買ったから、同じ省内でも違いがあるということになる。何か法則性はないものかと考えをめぐらせてみたが思いつかない。ご存知の方がおられたら是非教えてください。

 エスカレータで1Fまで降りて恵州行きバスのところまで一直線に足を進める。実は恵州行きは昔から念願の一つだった。以前は東莞の隅っこにある某鎮に住んでいて、深センとの行き来にこのバス・ステーションを利用することが多かった。私の住処へ行くのはちっぽけな中型バスだったが、恵州行きのバスははるかに大きく豪華でしかも美人の添乗員つき。いつか恵州行きのバスに乗ってやるぞ!と私が心に誓ったのも一度や二度ではない。というわけで、恵州行きバスの位置はしっかり覚えていたつもりだった。しかし、時の流れは私が想像していたよりも早く、私が深セン市特区外で暮らしていた1年半の間に恵州行きバスの位置は別のところへ移ってしまっていた。仕方なくバス・ステーションのところまで戻り、バスの位置を記した地図と睨めっこ。位置を確認し、改めてバスのところへ向かった。

 久しぶりに目にした恵州行きバスは記憶と同じく豪華であったが、以前に感じたほどの迫力はなかった。数年前はまだ豪華バスが今ほど多くなかったためだろう。恵州行きのバスがひときわ輝いてみえたものだ。だが、そのようなバスが当たり前になってしまった現在では全体に埋没してしまって、バスがくすんで見える。添乗員の女性もどこにでもいる服務員にしかみえない。ああ、思い出はいつでも美しい。

 9:50、バス(約45座席)発。恵州市は深セン市の北東に位置する。面積は1.12万平方キロメートル。総人口約270万とされている。中国3大西湖の一つ恵州西湖を擁することでも有名だ(他には杭州西湖、福州西湖がある)。広東省の中を縦型に広がっていて、山有り海有りという豊かな景観を誇っている。深セン市からはバスでわずか1時間半のところだ。

 10:20、恵州市着。バスを降りて辺りを見回すと、近くに停車していた同様な豪華大型バスのすぐそばに看板がおいてあり、「30分に1本、恵州⇔XXX(私の住んでいる鎮のすぐ隣の鎮の名前)」とある。つまり、今日、私は深セン経由(深センまでは中型バスで1時間)でここまできたわけだが、隣の鎮経由(隣の鎮まではタクシーで20分)で来ることも可能だったわけだ。(なぜ深センまでは中型バスで、隣の鎮まではタクシーなのかというと、深センまでは比較的お金のない外国人がよく利用する料金が高く1シート1チケット制のバスがあるけれども、隣の鎮となると、一般の中国人が乗る乗合バスしか出ていないからだ)。
 途中にタクシー利用が入ると、料金交渉の問題等の面倒も有り、どちらが楽かは一言では言い切れない。しかし、隣の鎮から恵州までのバスが同じ豪華バスであることを考えると、隣の鎮経由のほうにわずかな差で軍配が上がる。帰りはこのバスを利用して戻ろう。そんなことを考えながらバス・ステーションの外へ出た。 

【恵州総合バス・ステーション】

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  建物を出ると、目の前に高速道路の高架橋がある。どこかでみた光景だなと記憶を辿って行くと、広州(列車)駅の雰囲気に似ているのだと思い当たった。車と人がごちゃごちゃと群がっている様子がそっくりなのだ。もっとも、広州駅の前は大きな広場があるから、スケールが全く違う。恵州のバスステーションは広州駅のミニミニ版といったところだろうか。
  駅前の通りを右へ行くと「鵝嶺北路」、左へ行くと「鵝嶺北路」となる。しばらく駅の左右をウロチョロした後、右の「鵝嶺北路」の方が人の流れが多いと判断し、そちらへ進むことにした。数百メートル歩いたところで、小さな商店街が現れた。その先に恵州西湖が登場。観光客が新しくできたばかりの、魚をかたどったモニュメントの前に集っている。恵州西湖は、中国の三大西湖の一つだそうだ。もっとも「三大西湖」という呼称はあまり一般的ではないらしい。
 
 「鵝嶺北路」と西湖が接したところに、比較的大きなホテルが現れた。ちょうどすぐそばに小さな本屋があったので、そこで地図を購入して、ホテルに突入。ロビーで今夜の宿泊先を検討する。

 恵州については「地球の歩き方」でも、1ページだけだが紹介がある。そこに書かれているのは「西湖大酒店」と「恵州賓館」の二つだったが、西湖を渡った向こう側にあってかなり距離があるようだ。まずはこのホテルから検討してみることにしよう。そう考え、フロントでホテル名を確認すると、「豊湖大酒店」とある。一応三つ星だ。料金を聞くと、「4割引で207RMB」だという。まずまずだが、ここで部屋を見に行ってしまうと、いきおいでこのまま決まってしまう可能性がある。「地球の歩き方」お勧めのホテルも見てみたいので、部屋の下見は止めてホテルの外へ出た。

【鵝嶺北路の商店街】

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 ホテルから先ほど歩いてきた「鵝嶺北路」を西湖に沿ってゆっくり歩いていく。西湖は近場の観光地として人気があるらしく、若い観光客に溢れていた。湖と歩道の境はほぼ全域に渡って真新しいコンクリートの柵で仕切られており、西湖という観光資源に対する恵州政府の力の入れようを感じさせた。

【環城西二路】

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 湖を中心とした街づくりになっているため、道がうねうねと曲がっており、昨年旅行で行った江西省の「九江」を思い起こさせる。その一方で、恵みの海を擁した珠海のような落ち着いた雰囲気も感じさせるのは、かすかに漂う潮の香りのせいだろうか。(もっとも海は車を飛ばしても1時間はかかろうほどの距離にあるから、潮の香りがするのは気のせいだったのかもしれない)。

 西湖という巨大な観光資源を市の中心に抱えているため、周辺の商店街は比較的豊かな様子である。この豊かさは同時に、正業でない商売を生業としている人たちも引き寄せるらしく、乞食がやたらと多い。乞食といっても、髪こそボサボサにしているが、けっこう暖かそうな格好をしていて全く哀れな感じがしない。中には皮ジャンを着ているのもいたりして、私などよりも余程お金持ちに見えるのもいる。きっと乞食ギルドのようなものがあって、組織だったビジネスとしてやっているのだろう。

 11:13分、「西湖大酒店」着。ロビーに入ると、いきなり「いらっしゃいませ」と書かれた日本語の立て札が目に飛び込んできた。どういうことかと立て札の奥をみると、テーブルと椅子がたくさん並んでいて、大勢の人が食事をしている。ロビーを利用してオープン型の喫茶店を開いているらしい。わざわざ日本語の立て札が作ってあるということは、余程日本人の宿泊客が多いのだろう。思えば、以前に就職活動をしていた時、恵州市にある工場からの募集を少なからず目にした。当時は東莞ですら、ひどく殺風景に感じていたから、恵州で働くなんてとんでもないと思っていたが、実際に目にしてみるとなかなか環境のいいところだ。候補に入れなかったのは失敗だったかもしれない。

 フロントに行って料金交渉をしようとすると、いきなり「どこの会社の人ですか(中国語)」と聞かれた。一目で日本人であることを見抜かれたらしい。「個人で来ているんだ」と答えると、少し不審そうな顔をした後、「336RMB。4割引よ」と返事がきた。
 フロントの壁に貼ってあるプレートをみると、しっかりと三つ星の記しがある。同じ三つ星でも、さきほどの「豊湖大酒店」と比べると100RMB以上も高い。しかし、中国の小都市では同じ等級のホテルでもいつ頃とったかによって設備もサービスも価格も全然違うのが当たり前だから、これはそれほど不思議なことではない。
  問題なのは、どこの会社の人ですか、と尋ねられたことだ。それは、会社によって優遇割引があるということを意味する。中国人の宿泊客より高いレートをつかまされてしまうのは仕方ないとしても、同じ日本人よりも高いレートで宿泊することになるのは我慢がならない。部屋の下見をするまでもない。却下!とフロントを去る。旅人が会社の人間に宿泊料の交渉で負けるわけにはいかないのだ。(実は私も会社の人間だが、それは脇へ置いておく)。

 次は「西湖大酒店」の対面にある「恵州賓館」へ。「恵州賓館」は西湖に接した広い敷地の中に建てられている。「西湖大酒店」と同じく三ツ星だが、「3割引で260RMB」とのこと。部屋を見せてもらうと、少しカーペットが古ぼけていること以外はまずまずの合格水準だ。ただ、敷地内で日本人のグループがおしゃべりを楽しんでいたのが気になる。「西湖大酒店」と同様、日本企業ご用達のホテルではないのか。どうも気に入らない。

 「恵州賓館」を出るとすでに11時過ぎ。お腹も空いてきた。宿泊先選びにこれ以上時間を割くわけにはいかない。最初に入った「豊湖大酒店」の部屋と「恵州賓館」を比べてみて、良い方を選ぶとしよう。バイタクに乗って「豊湖大酒店」へ(3RMB)。恵州ではヘルメットの着用が義務付けられているらしく、ヘルメットを渡された。

 11:42、「豊湖大酒店」で部屋の下見をさせてもらう。部屋の作りは「恵州賓館」とほとんど変わらない。ただ、「恵州賓館」の浴室はハイターを使って掃除をしているのだろう、塩素の臭いが充満していた。外国人向けに特に衛生に気を使っているということだろう。その他、敷地内にあるレストラン等も「恵州賓館」のほうがはるかに立派である。もっとも、これらの利点は一泊しかしない私にはほとんど関係がないので、50RMB安い「豊湖大酒店」に宿泊することにした。

 「地球の歩き方」で紹介されていた恵州の観光スポットは、「西湖」と「九龍潭」である。「西湖」はホテルの目の前にあるので、今日の午後にでも地図を見ながらまわればよい。問題は明日行く予定の「九龍潭」である。「地球の歩き方」によると郊外の観光スポットらしいが、中国人用のガイドブックには載っていない。どうも新しく開発された観光スポットの疑いが濃い。しかし、中国人用のガイドブックに載っている他の観光名所はどこも遠すぎるので、とても日帰りで帰って来れないだろう。やはり、「九龍潭」が無難だ。それにすぐそばに「湯泉」という温泉地区があるという話だから、「九龍潭」がハズレでもフォローがきく。

 予定が決まったところで、ホテルを出て、さきほどのバス・ステーションまでバイタクで戻る(12:02)。そして、バス・ステーションを隅々まで歩いて「九龍潭行き」を探すが、見当たらない。切符売り場のスタッフに尋ねても「知らない」という。仕方ないので、「九龍潭」行きのバス探しは後回しにすることにした。街をウロウロしているうちに情報が入ることだろう。

 私にとって、旅の最大の楽しみは街の散策である。街を歩くことによって、土地土地の息吹、人々の生きる姿を肌で味わうことができるからだ。あの街とこの街がどう違うのか、頭で感じ取れないことでも、身体は敏感に反応する。細胞の一つ一つが弾むのだ。この喜びがあるから、旅はやめられない。そこで、まずは恵州市のショッピングセンター街へ向かうことにした。

 地図によると、恵州市のショッピングセンター街は「西湖大酒店」から遠くないところにある。そこで、バイタクを飛ばして「西湖大酒店」周辺で下車。ここから北へ向かって歩いて行くと、建設されて間もないと思われる、真新しいデパートが現れた。突然出現したデパートの大きさにも驚いたが、そのすぐ隣を走っている「老街」とのコントラストのほうが印象に残った。下の二つの写真を見比べて欲しい。全く異なる時代の建物のようにみえる二つが隣り合って存在するのだ。中国の経済発展の姿をこれほど如実に表したものもなかなかないだろう。

【老街】

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【老街のすぐ隣にあるデパート】

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 デパートの周りにずらりと並んだ安食堂も異様な感じであった。デパートの店員が大勢で汚い食堂の中、一生懸命食事を掻きこんでいる。若い女の子たちが同じ色のきれいな制服を着て食堂をいっぱいにしているので、食堂に客がきたというよりも、客の周りに慌ててバラック小屋を建てたかのようにみえる。旧型の国営デパートでは、店員がショーケースの上で弁当を食べていたりして外国人に不評だが、こんな風に汚い部分を外に追い出すような形で問題の解決を図るとは、大胆で恐れ入る。
 私が住んでいる街の新型デパート周辺にはこうした安食堂が軒を連ねているようなことはなく、弁当を支給して、デパートの前に設けられた休憩所のようなところで食事をさせるのが一般的である。恐らく、深センでは食事代込みの、恵州では食事代別の給与が支給されているということなのだろうが、これは出稼ぎ人口の比率の相違から来るものなのかもしれない。つまり、店員のほとんど全てが出稼ぎ労働者である深センでは食事支給が主流となり、出稼ぎ労働者と地元の人が一緒に働いている恵州では食事は支給せず給与に加算する方式をとっているというわけだ(恵州西湖の周囲には、このデパート周辺に限らず安食堂が非常に多い)。

  デパートの前を通り過ぎ、「中山西路」へ。「中山西路」と交差して、「五四路」と「国慶路」があり、この十字路周辺が恵州のショッピングセンター街となっている。広州の北京路を思わせる作りで、こじんまりとしているが綺麗に仕上げてある。元旦ということもあって、通りは人で一杯だ。(*注)

*注)ただ、「恵州市」の次に行った「河原市」のショッピングセンター街に比べると、規模が小さすぎる。人口比では大きな違いは見られないから、ショッピングセンター街は他にもあるのかもしれない。

【恵州のショッピングセンター街】

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「国慶路」を抜け、「水門路」へ(13:00)。「水門路」へ入ると、人通りが急に減りむしろ閑散とした感じになるが、寂れた雰囲気はない。地元の人が日常的に利用している品々を売る店が並んでいる。オートバイのヘルメット着用が義務付けられている街だけあって、ヘルメットを軒先に並べた店がちらほら目に入った。

【水門路】

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 「水門路」を抜けた先には、水門大橋が控えている。橋を中心に川沿いが公園化されていて、散策にはもってこいの場所となっていた。ここでも観光客風の若者たちが記念写真をとっていたりしたから、恵州はこの辺りではけっこう有名な観光名所なのかもしれない。

 この川「西枝江」沿いに沿って新しいマンションがずらりと建てられているが、人が住んでいる様子はほとんどない。広東省で私が旅をした街では、たいがいこうして川沿いに綺麗なマンションが建てられているが、人が住んでいない場合がほとんどだ。或いは、避暑地用として、夏だけ住むような利用の仕方が一般的なのだろうか。  

【水門大橋】

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【西枝江沿いの公園】

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 「水門大橋」を渡りきったところに「新民街」という道があり、「西枝江」の川沿いに「東江」の川まで続いている。予定ではここを抜けて「東江」に出るところであったが、実際の新民街は地図上のものと異なり小道程度の広さしかない。開発が途中でストップしてしまったようだ。通りを見通すべく眼を凝らすが、どうもバラック小屋が並んでいる中を抜けていかねばならないようだ。昼間とは言え、リックサックを背負った、明らかに観光客とわかるような格好で行くには危険が大きすぎる。とても生きて反対側に出られそうもない。そこで予定を変更して、橋に沿ってまっすぐすぐに走る「橋東路」を進んでいくことにした。

【開発中の新民街】

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 安全だと踏んで入り込んだ「橋東路」であったけれども、前に進むにつれて寂れかたが半端ではなくなってきた。道路脇に学校らしき建物があったので、ほっとして覗いてみると、人気が全くなく廃校になってしまっている模様。ここで右手にATMを発見した。今回は現金をあまり持ってこなかったので、どこかで下ろさねばならない。街中ではどのATMにも人々が群れをなして並んでいたのでおろすことができなかった。並ぶ時間がもったいないのもあったが、引き出したお金をぴったりと後ろについた見知らぬ人間に見られるのが嫌だったのだ。
 けれども、こうして人気のないゴーストタウンのようなところにあるATMを使うのもまた別の勇気がいる。そもそも、このATMはきちんと動くのかという疑問が一つ。もう一つは、お金を下ろした瞬間に悪い奴らがわっと押し寄せてきたりはしないかという心配。街中に戻ってからにすべきか、ここで思い切って下ろしてしまうか・・・。悩んだ末、1000RMBだけ、ここでおろすことにした。襲われたら、1000RMBを投げ出して逃げるとしよう。

【橋東路】

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 ATMも無事動き、心配していた強盗にも襲われることなく、お金を手にした私は、早速バイタクを探し始めた。お金を下ろした場所でウロウロしていては危ないからだ。タイミングよく、バイタクが一台やってきたので、すかさずつかまえて「西枝江」と「東江」が交差するところにある「東新橋」まで行ってもらうことにした。しかし、乗ったあと突然不安になった。もし、この運転手が悪い奴だったらどうしよう。変な小道に入っていきそうだったら飛び降りるしかないな。そんな決意を胸に秘めながら座席に座っていたが、想像したような出来事は一切起きず、順調に「東新橋」に到着。

 「東新橋」の周辺は、「橋東路」とは打って変わって明るい雰囲気。人こそ閑散としているが、さきほどのような寂れた様子はない。やはり、日当たりの良い場所には悪い奴は寄ってこないのだ(さっきもいなかったんだけどね)。そう思って、橋の上から「東江」の雄大な河を眺めていると、妙なことに気がついた。川沿いの橋の下方で数人の男たちがごそごそと怪しい動きを見せているのだ。目を凝らすと、一人が穴を掘って周囲の人間がそれを眺めている。これは事件だ!人でも殺めて埋めようとしているに違いない。(もちろん、真昼間からそんなわけはない。そもそも、人を埋めようとしているのだったら、目撃者の私自身が危ないではないか)。
 穴はすでに相当大きい。冗談ではなく、人の二、三人は楽に埋まるほどだ。それを一人の男が一生懸命に掘り進めている。ときどき、片手に手のひら半分ほどの大きさの石片を握って顔を出し、数秒間じっと凝視している。そして軽くうなずくと、穴の脇に置いてある洗面器に放り込む。それを延々と繰り返している。洗面器の中にある石は恐らく水晶石ではなかろうか、ほとんどが緑色だ。何をやっているのか詳しく聞きたかったけれども、怖くていけなかった。本当に埋められたらたまらないからだ。
 しかし、なぜこんなところで水晶の石がとれるのだろう。周囲に散乱している石の形をみると、とても自然石のようにはみえない。明らかに人の手で加工されている。何かの建物がここで倒壊して、それを彼らが掘り出しているのだろうか。意外と古代の重要な遺跡だったりして・・・。(*注:男たちが掘り進めているのは、ここだけではなく、もう一箇所あった)。

【珍石探し】

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 名残惜しかったが、ここにずっとへばりついていても仕方がない。「東江」に沿って走る「浜江西路」を北上することにした。

【ずらりと並んだ釣具店】

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 「浜江西路」は細いながらも、歩道と車道がはっきりと分けられており、散策にはぴったりの場所である。最初に現れたのは一群の釣具店。10軒以上のお店が竿や網等の釣り道具を並べている。シーズンには釣り客がわっと押し寄せるに違いない。

【東江沿いの家々】

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 「浜江西路」沿いの家々はずいぶんと傷んでおり、けっして裕福そうには見えない。だか、こうした貧しい人たちに「東江」の河は優しい。河沿いには、恐らく違法に作られた畑が点々と存在する。野菜をこっそりと栽培して、市場で売るのであろうか。
 「東江」の土はよほど肥沃なのであろう。家族と思われる5,6人の男女が土嚢用の袋に「東江」の土を一杯に詰め、堤防越しにロープで引き上げていた。これも違法行為なのだろうか、カメラを向けると一家の長と見られる男に睨まれてしまった。少し離れたところからズームでとってやろうと移動して再びカメラを向けようとしたが、写真にとられるのはよほど嫌なのだろう、私から目を離そうとしない。写真でもとろうものなら追いかけてきそうな顔つきだ。諦めて、カメラをしまう。


【東江沿いの家々】

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 「東江」の上には、老朽化して動かなくなった船の上にバラック小屋を建て生活している家族もいた。さきほどの川沿いの畑も、彼らのものなのかもしれない。釣りをすれば魚も食べられるし、野菜は畑から手に入る。けっこういい暮らしだ。「黄河の恵み」とまではいかないが、「東江の恵み」もなかなかのもののようだ。

【船上生活者】

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【恵州大橋】

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 「浜江西路」を最後まで歩き、「恵州大橋」のたもとに辿り着いたところで、今度は「下角東路」に入る(13:57)。ここから、恵州西湖見学の開始だ。まずは近場の「百花洲」に向かった。名前からして、きっと花が咲き乱れているのだろうと想像していったがハズレ。考えてみれば冬の真っ只中、いくら広東省とは言え、花が咲く季節ではない。中では老人たちが楽しそうにトランプに興じているぐらいで、際立ったものは何もなかった。盆栽がたくさん並べてあったので、春になるとそれらが花を咲かせるのかもしれない。

【百花洲】

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 「百花洲」を出てきたところで、お腹がグルグルと鳴り始めた。朝から何も食べていないのだから、もはや我慢の限界だ。バイタクを飛ばして、マクドナルドへ向かう。が、途中で回転寿司を発見。思わず運転手に声をかけ、停車を促す。恵州市の回転寿司がどんなものか味わってみるとしよう。

 期待をかけて乗り込んだが、恵州市ではお寿司はあまり流行っていないらしい。高くて不味いという残念な結果となった。それでも、寿司は寿司、瞬く間に10皿ほど平らげてエネルギー充満。お店を飛び出る。

 お店を出て道路を見渡していると、「湯泉行き」のバスを発見。目の前のバス停に停まったので、バスの入り口そばに貼られている行路表をみてみた。すると、真中ぐらいのところに「総合バスステーション」とある。ということは、やはり、このバスは私が到着したバス・ステーションに停まるのだ。しかし、なぜ先ほどの偵察時には見つからなかったのだろう。これは、もう一度行ってみるしかない。そこで、バイタクを飛ばして再びバス・ステーションへ向かうことにした。

  バス・ステーションに着くと、さきほどよりも念を入れて一つ一つの改札を回る。記憶をたどる限りでは「九龍潭行き」だけでなく、「湯泉行き」のバスもなかった。改札の上の電光掲示板に行き先が表示される仕組みになっているから、頭の中に残っている地名であれば、気が付かないはずがないのだ。ただ、電光掲示板の表示が時間単位で変わるということもありうる。そこで、構内を二往復ほどしてみたが、やはり見つからない。
 道路でみた「湯泉行き」のバスには確かに「総合バス・ステーション」とかかれていた。だから、必ずここに停まるはずだ。構内に停まらないということは、外か。そう思い至って、表口まで足早に歩く。そして、待つこと5分。とうとう、「湯泉行き」のバスがやってきた。なんと、道路の真中で一時停車して、客を拾ってゆくだけだ。こんな停まり方で、行程表に「総合・バスステーション」と書くとはたまげた根性だ。念のため、バス・ステーションの表に立っていたインフォメーション・センターの女性に「湯泉行き」のバスについて聞くと、やはり表を通るだけだという。話し方がずいぶんと投げやりだったから、「湯泉行き」のバスはバス・ステーションに対して停車賃を払っておらず、行程表には勝手にバス・ステーションの名前を入れているのだろう。
 バス・ステーションにきちんと停まってくれないのは少し煩わしいが、本数も多いようだし、乗りそびれて困るということはなさそうだ。これで明日のルートについての心配はなくなったことだから、今日は西湖巡りに専念できる。

 さっそく、西湖の北部にある「元妙観」というお寺までバイタクを飛ばす。立派な門をくぐって奥にある建物の内側に入ると、すでにたくさんの参拝客が願掛けに忙しくしている。しかし、新暦の元旦はあくまで暦上のもの。参拝客の様子もお正月の行事だからという雰囲気であり、旧正月にあるような怨念にも似た熱気は感じられない。これが歴史ということであろうか(15:00)。

【元妙観】

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 「元妙観」を出て「下角東路」に入る。ちょうど、標識があったので、地図と見比べて位置確認と思ったが、標識に書かれた道の名前は「LG大道」であった。確かに地図では「下角東路」となっているのに・・・と再び標識に目をやると、LG大道と大きく書かれた文字の下に(下角東道)と小さくある。LGと言えば、LuckyStarGoldの略、韓国の有名な企業の名前である。つまり、道路の名前に会社名をつけてしまっているのだ。
 実は、日本でも企業名をそのまま道路名にしてしまうことがあるように、中国でも少なからぬ道路に企業名が用いられている。(実際私の勤め先の前を走っている道路にも、勤め先の会社名がついている)。中国の道路に外国の企業名をつけるなんてとんでもないと中国政府が怒り出しそうな気もするのだが、そうでもないらしい。中国のおおらかな一面でもある。

 「LG大道」は住宅と会社が入り混じった、比較的落ち着いた感じの通りである。唯一人のざわめきがあったのは、小さなデパートの前に設けられたカラオケ会場。飛び入り歓迎の勝ち抜き戦が行われており、近所の工場で勤めているらしき女の子の歌声が空に響き渡っていた。

【LG大道】

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 この「LG大道(下角東路)」を最後まで下っていって、次に「下角南路」に入る。「下角南路」は西湖を横切る形で走っているのだが、この中ほどに「荷花亭」が建てられている。荷花の名の通り、建物のそばに設けられている小さな湖にはいっぱいのハスの花が・・・、冬の季節にあるわけもなく、枯れて残った茎が無残にしなだれているだけであった。

【荷花亭】

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 シーズンオフにくれば、そういうこともあるさと少しふてくされながら、「荷花亭」をあとにし、「下角南路」を下ってゆくと、左手に湖の方角に向かっている大きな入り口が現れた。左手の小さな建物の窓口に「入場料16RMB」とある。(馬鹿を言うんじゃないよ、さっきから湖の周りをさんざん歩いて無料だったのに、ちょっと中に入っただけでなんで16RMB払わなくっちゃいけないんだ)そう考えて通り過ぎようとしたところで、思い返し、地図を取り出す。じっくりと地図に目を通すうちにだんだん恵州西湖の構造が見えてきた。一見、どこからでも無料で見ていってくださいとオープンになっているようでいて、主要な個所には門があり、そこを通らないと一番いいところが見学できないようになっている。つまり、16RMB払って中に入るしかないというわけだ。しぶしぶチケットを購入。

 中に入るとすぐに「泗霞堤橋」、しばらくして「九曲橋」、二つとも綺麗で趣のある橋なのだが、なんだか、観光客用に改めて敷設されたような感じなので、歩いてみても心が浮き立たない。その先にある「点翠洲」と「芳花洲」という小島も、名前ばかりが際立っていてピンとこなかった。

 そして、「東坡記念塑像」。このときは全く知らなかったが、帰宅後にインターネットで調べてみたところ、この「東坡」という方は有名な詩人で、恵州西湖の歴史的な重みというのは、ほとんどこの人物によってのみ支えられているということがわかった。北宋の時代に生まれ、若くして科挙に合格し、政治に携わった。その後、何度も政変に巻き込まれ60歳を過ぎた頃にも流刑にあい、追いやられた先の一つに恵州があったということである。行く先々で創作活動を行ったが、この最後の流刑時代に作られたものに素晴らしいものが多いらしい。
 といっても、像のそばを通ったときにはそんなすごい人物だとは全くしらず、なんだか綺麗な像があるなというほどのものであった。実際、像そのものが作られたのは最近ではなかろうか。
 

【東坡記念塑像】

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 恵州西湖巡りの最後は、「泗洲塔」。外からみると、5層に分かれている小さな塔なのだが、中に入って上がり始めてみると、登れども登れども最上階に着かない。1階、2階、3階、4階、5階、6階、7階、8階、おいおい、おかしいじゃないか。9階、10階、いつになったら終わるんだ!11階、12階、13階。やっと最上階に到着。なんで、中と外と床の位置が違うんだ。構造を強化するためなのだろうか。
 とにかく外をみてみよう。おおっ、西湖が一望に見渡せる。これは絶景だ。苦労して登ったかいがあった。塔そのものが小山の上にあるので、かなり高い位置から湖を眺めることができる。恵州西湖に来たら、必ずここに登りましょう。決して後悔はさせません。

【泗洲塔】

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【恵州西湖】

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 「泗洲塔」を降りたところで、すでに夕方の4時40分。さすがに疲れた。少し俯き気味になって、とぼとぼとホテルへの帰途に着く。途中、小学生ぐらいの子供が数人の公安員につかまって問い詰められている場面に遭遇。「家はどこだ!」「・・・・・・」「こんなことをしてただで済むと思っているのか」「これからはもう二度としません」「なんだと、一度だけなら許されるとでもいうのか、家はどこだ。電話番号を言え!」「・・・・・・」「一緒について来い!」「・・・・・(ビェーー、と泣き出す)」。うーむ、ちょっと可哀想だが、私にできることはない。後ろ髪をひかれつつも、振り切ってその場を後にした。
 そして、歩くこと10分。おかしい・・・、どんどん人気がなくなっていく。周囲の建物も徐々にスラム化していくではないか。どうやら迷子になった模様。わーー、こんなわけのわからないところで迷子になってしまったら命取りだ。来た道を戻るか?しかし、もうヘトヘトだ。と、ここで天の助け!後方からブッブッブッとバイクが走ってくる音がした。すかさず手を伸ばし、呼び止める。停車。やった、停まってくれた。3RMBで話をつけ、ホテルまで乗せていってもらう。

 夜の7時50分、鋭気を蓄えて再び出立。
 私が宿泊している「豊湖大酒店」のすぐ前に恵州西湖があるわけなのだが、そこには湖を代表すると思われる魚のモニュメントが設置されている。まだ新しく、おそらく昨年あたりに建設されたのであろう。明るい昼間は目立たなかったけれども、夜となると周囲を包むように噴出している水とともにライトアップされてなかなか美しい。このモニュメントに引き寄せられるように観光客も集ってきて、なかなかの賑わいであった。

【恵州西湖の新しいモニュメント】

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 そして、湖に沿ってしばらく散策。昼間から気になっていたのだが、恵州の街には一方の足を失って杖をついて歩いている方が少なくない。恵州はマフィアの勢力が強いという話もあるから、組織に逆らった見せしめに足を切られでもしたのではないかと夜の闇が想像をたくましくさせる。一番可能性が高いのは、湖のすぐそばに病院があるので、そこでリハビリの一環として西湖散策が取り入れられているということだろうが。

 バイタクでショッピングセンターまで行き、マクドナルドで食事。マクドナルドも大繁盛だ。そして、しばらくショッピングセンター街をうろちょろ。ショッピングセンター街の入り口には液晶の大型テレビが設置されていて、大勢の人たちが見入っている。テレビが設置されているところに、人が集まるのは中国では今でもよく見られる傾向である。テレビの普及率はそんなに低くないはずだが、出稼ぎ人口が多く宿舎までにはテレビが設置されていないことと関係があるのかもしれない。

【夜のショッピングセンター街】

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 深セン出発から恵州西湖巡りまで忙しい一日であった。問題なのは明日だ。「湯泉行き」のバスに乗るところまではわかっているが、どのくらいで着くのか、「九龍潭」というのがどのくらいの規模の観光地なのかなどの情報が不足している。はっきり言って不安いっぱいの明日。ああ、寝付けない。ということはなくて、疲れに誘われて心地よい眠りに入る。 

2004年1月2日
 
 7:50、チェックアウト。「地球の歩き方」を改めて読み直すと、「湯泉」まで一時間でいけると書いてある。これだけ読むと楽に行けそうだが、行った先が問題だ。果たして、面白い場所なのだろうか。メインは、「湯泉」のそばにある「九龍潭」という滝を見に行くことだ。説明によると、「200mにわたって広がる大小9つの滝」とある。200mというのはずいぶんと短い。もし、この滝だけが見所だとすると、その後どうやって時間をつぶしたらいいのだろう。温泉がよほど見栄えのするものならよいが、そうでないとすると、非常にまずい。なにしろ、私は長湯ができないたちである。従って、温泉につかること自体は好きでもなんでもないのだ。温泉からみえる風景がいいとか、設備が豪華だとか、オマケがなければとても楽しめない。うーん、心配だ。

   バイタクに乗ってバスステーション前へ到着。3分ほどでバスがやってきた。不安を押さえつけてバスに乗る。席に座ってしばらくすると、チケット売りがやってきて、どこまで行くのかと尋ねられた。「湯泉だ」と答えると、「3RMB」だという。支払ってチケットをもらう。
 出発してしばらくして、バスは郊外に入っていった。周囲の建物は徐々にボロボロとなっていくが、道路は全て舗装されており、バスが大きく揺れるようなことはない。道路中央や歩道は工事の真っ最中で、土方の人たちが一生懸命働いている。機械はほとんど使われておらず、人海戦術だ。中国中に溢れる出稼ぎ族はこうやって吸収されているのだなと改めて感心する。しかし、これだけの道路工事、お金はどこから出てくるのであろう。 

【湯泉】

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 心配したような困難は何もなく、1時間弱で「湯泉」到着。下車した場所のすぐ目の前に、大きな門がある。三日前に出来たばかりといわれても、信じられそうなぐらい新しい。だが、この立派な大門の周辺には一軒たりともお店がない。あるのは延々と広がる野原のみ。つまり、この「湯泉」と「九龍潭」がハズレだったら、どこにも行く場所がないということだ。そもそも、帰りのバスはどうするのだ。この野原で待ってなければならないのか。だが、今は前に進むしかない。心を落ち着けて門をくぐる。すると、数百メートル先に大きな建物が見えた。あれがホテルか。道路脇に警備員が一人、ポツンと立っていたので、ホテルはどこかと尋ねると、やはりその建物を指差した。建物までの道路は幅広く、きちんと舗装されていているけれども、全くひと気がない。

 ホテルのそばまで来ると、標識があり、「九龍潭」の方向を指し示している。そこで、そちらの方向に向かってゆくと、「ようこそ九龍潭へ」という大きな看板があった。滝や温泉の写真が印刷されてあるが、どうも、胡散臭い。これは想像以上にショボイ観光地なのではあるまいかと疑惑が頭を渦巻く。

 このまま「九龍潭」へ歩いて行ってたいしたことがなかったら、そのまま帰ったほうがいいのではないかとも考えた。だが、ここはすでにホテルの敷地内だ。警備員がウロウロしていて、時々私のほうをチラチラ目で追っている。ホテルに泊まらずにこれ以上先へ進むのは気がひけるところだ。荷物も少なくないし、一生懸命登っていった先で追い返されたりしたら大変だ。昨日の西湖巡りで体にすでにガタも来ている。仕方がない。一旦ホテルにチェック・インだ。気に入らなかったら、半日泊まりということにして半額払ってチェックアウトということにしよう。

 9:08、一泊280RMBでチェックイン。一応下見はしたが、何しろ他にホテルはないのだ。選択の余地はない。シーズンオフを利用して、ホテル中リフォームの真っ最中であった。部屋に入ると、さっそく各部屋にひかれているという温泉水を試してみる。ユニットバスがあまりきれいではないので少し躊躇したが、かまわずお湯を出す。透明な水で、見た目では温泉水とはわからない。本当に温泉水なのか?湯が溜まるのを待ってザブン。おや、確かに水道水とは違う。軟らかい感じがする。これで、バスがきれいだったらいうことないのだが。部屋に温水を引くのもいいが、かわりに豪華な共同浴場を作ってもらったほうがうれしいかもしれない。

 体が温まったところで、一眠り。2時間ほど経ったところで起床。疲れも大分癒えている。さすが、温泉効果だ。さあ、「九龍潭」を見に行こう。さきほどの看板のところまで行き、小さな門を抜け、「九龍潭」へ向かう。ところが、向かうというほどのものではなく、3分ほどで到着。その上、チケット代5元、保険代5元を徴収されてしまう。ということは、「九龍潭」にいくのにホテルに泊まる必要はなかったのだ。

 そして、「九龍潭」に対面。すでに予想していたこととは言え、失望は隠せなかった。公園の中に作った滝の模型のような感じで、あまりにも寂しい。シーズン・オフで水量が少なかったのも、運が悪かった。夏に来て、水が轟々と流れているようであればまだ救われたかもしれないが、とにかく、1時間もかけてバスでくるようなところではない。

【九龍潭1】

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 それでも、せっかく来たので上まで登る。写真をみてもらうとわかるが、かなり人の手が加わっているであろう作りとなっている。少ない水量でどれだけ美しくみせるかに相当気を使っているようだ。だから、夏に来れば、それなりに見ものかもしれない。

【九龍潭2】

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 滝の一番上まで登って降りてきても、30分とかからなかった。そうなると、もはや見るものなし。「帰ろう!」と一人つぶやく。実は、この瞬間まで、今回は「恵州二泊三日の旅」を予定していた。ところが、「恵州西湖」も人工湖、「九龍潭」も(半分)人工滝では、あまりにやるせない。そこで、思い切って「河源市」まで行ってみようと決めた。

 ホテルまで戻る途中で、一応、外に据えられているという温泉場によってみる。中までは入らなかったが、写真を見る限り、期待薄であろう。将来、もう少し開発が進めば、それなりに良い温泉場となるかもしれない。途中、バスの発着所を見つけ、少しラッキー。これで帰りも困らない。

 ホテルに戻って、さっそくチェックアウト。ところが、フロントの服務員がどうしても半日払いに応じない。ホテルの大部分が工事中であることを指摘すると、しぶしぶ、上司に電話。上司は昼寝でもしていたのだろう。「OKしてやれ」といったようだ。ところが、この服務員、上司に反論し、説き伏せてしまう。結局、1日分払わされてしまった。ちょっと悔しい結果となった。一応、温泉湯につかって、小休憩させてもらったからヨシとするか。

 13:15、バスに乗って、市内に向かう。途中、出稼ぎ族らしき若者が次々と乗車してくる。みんな休日を利用して市内で遊ぼうというのだろう。うきうきとした様子であった。

 2:05、恵州市総合バスステーション着。

 これで、「恵州の旅」は終わり。旅はこのまま「河源の旅」へと続きます。ご関心のある方はご覧になってください。

【恵州総合バス・ステーションの内側】

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【ずらりと並ぶ豪華型バス】

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