広州市の旅


広州市

青丸が広州市です。

広州は広東省の省都であり、政治・経済・文化の中心となっている。
伝説によると、はるか昔、5人の仙人が5色の羊に乗って、この地に降り立ったそうである。
その時、仙人たちは住民に稲穂を与え、この地に飢餓に見舞われることは2度とないだろうと祝福したとのことである。それゆえ、広州は「羊城」また「穂城」とも呼ばれる。
【 目 次 (2002年版)】

第一回目
<2002年1月1日>
 ・旅は下見から
<2002年1月14日>
 ・広州東駅
 ・微生物利用公衆トイレ
 ・コンビニは万国共通(am/pm編)
 ・ゲストハウス「秀山楼」との出会い
<2002年1月15日>
 ・初陣からの帰還

第二回目
<2002年1月22日>
 ・旅の安心は宿の確保から
 ・綺麗なトイレも観光地
 ・旅先のコイ
 ・広州最大の商業センター
<2002年1月23日>
 ・葉剣英
 ・広州の豊かさ
<2002年1月24日>
 ・トラブル処理は旅の勲章
    
【 目 次 (2004年版)】
<2004年5月1日>
<2004年5月2日>
<2004年5月3日>

2002年1月1日

- 旅は下見から -

 新年あけましておめでとうございます。
 というわけで、広州探検記の始まり。
 本格的な旅行は久し振りなので、慎重に準備を進めることにする。

 まずは腹ごしらえに近所の飯屋で食事をとる(5元)。 簡単な野菜炒めとご飯だけだが、なかなかいける。昨晩もここで食べたので、 お店の老板(主人)がさかんに話し掛けてくる。まだ外国人だと気づいていないようだ。 これからもしょっちゅう来ることになるから、ばれるのは時間の問題だろう。

 今日の目的は、アパートから近くの駅(常平駅)までバスで行くこと。 いつもは青タクで行っていた距離だが、これからの長い旅を考えると、 節約できるところは節約したほうがいい。バスに乗るのも久し振り なので少し緊張する。ここ東莞は出稼ぎ労働者の町だ。油断していると、 とんでもない目に会う。

 近くのバス停で待つこと5分。常平駅行きの大型バスがやってきた。 さっと飛び乗る。駅まで2.5RMB。青タクの35元と比べるとずいぶん 安いが、揺れも激しい。青タクと違う道を通って行くらしく、見慣れない風景が続く。これは行き過 ぎたか?と不安になってきたところで、駅が見えてきた。ホッと一安心。

 バスを降りるとバス・ステーションを一巡りする。中国全土へ向かう 長距離バスがごったがえしている。火車(汽車)よりく安いが、強盗などの犯罪が絶えないといわれ、中国人でも利用したことがない人がたくさんいる。
 ぶらぶらしているうちに、珠江行きの豪華バスを発見。安くて(45元)清潔 そうなので、珠江に行くときはこれを利用しようと頭にインプットした。(タクシーだと 700RMBかかるという距離だ)。

 せっかく、駅まできたので時刻表を購入しておく。広州駅行きは1時間に1本ほど あるようだ。1月4日にはここから広州探検の第一歩を踏みだすことになる。
 帰宅はバスステーションから中型バスを利用した(4元)。大バスに比べると高いが、 揺れもずいぶん少ない。

今日はこれでおしまい。

2002年1月14日-15日

- 広州東駅 -
 香港行きやらPCの購入やらでのびのびになっていたが、本日ようやく出発できることになった。雨模様だったので取りやめにしようかと迷ったが、思い切って行く事にした。雨の日には雨の日しか見れないものもあるだろう。

 前回と同じ大型バスにて常平駅まで行った。午前9:30常平駅着。今度は10:04発の列車に乗って広州東駅へ向かう。車内は一般的な軟座(グリーン車?)で、少し古びてはいるが綺麗だ。40分ほどで広州へ到着。駅を降りるとすでに小雨が降り始めていた。

 広州には昔からの「広州駅」と新しく建設された「広州東駅」とがある。今回降りたのは「広州東駅」の方である。なかなか立派な建物だ。公安(中国の警察)らしき人があちこちで職務質問をしていて、氓流も全くいない。駅の前は大きな庭園になっていて、花壇や噴水が設置されている。ぐるりと一回りした後、駅近くにある体育館の方角へ向かう。(場所:東駅広場)

 
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【広州東駅】

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 広州東駅周辺はどれも新しい建物ばかり。ほとんどが高層ビルだ。観光的な見所はないが、広州の発展状況を肌で感じるには良い。地図をみると体育館横を地下鉄が走っているようだ。のぞいてみると、内部は香港の地下鉄を思わせる作りだ。乗ってみようかと考えたが、今回はあまり時間がないのを思い出しとりやめた。(場所:体育東路)

- 微生物利用公衆トイレ -

 さらに先に進むと、「広州電脳城」と大きな看板をぶら下げた建物が見えてきた。コンピュータに目がない私としてはこれを素通りするわけにはいかない。さっそく中に入る。一般的なものは全て揃っているようであったが、深センのパソコンセンターの品揃えには到底及ばない。規模的には、東莞市のパソコンセンターと同等クラスだろう。広州のパソコンセンターが東莞市と同レベルということはないだろうから、もっと大きなパソコンセンターが他にあると思われる。(場所:体育東路/天河路)

 公衆トイレを発見。と言ってもただのトイレではない。「微生物利用公衆トイレ」だ。おおっ!中に入ってみようか?しかし、あいにくもよおしていない。次の機会にしよう。

①追記(2002年4月5日):
現在に至るまで、広州で私が見つけた「微生物利用公衆トイレ」はここ一箇所のみである。

②追記2(2002年12月):深セン東門にて再度「微生物利用公衆トイレ」を発見し、初の利用を試みた。中はこぎれいで普通のトイレと変らない、と思っているとドアのところに「使用後の紙はバケツに捨ててください。流した場合は罰金XXRMBと書かれている。なんだよ、これじゃ、普通のトイレより不便じゃないか。ちなみに料金は1RMB。破格の高さだ。周囲に全くトイレがなさそうなところでないと、成り立たない商売だ。でも、掃除はきちんとしてあるし、完全な個室なので日本人にはお勧めかも。

③追記2(2004年5月):深セン東門の「微生物利用公衆トイレ」であるが、最近、「微生物利用公衆トイレ」の看板を下ろし、同時に0.2RMBへと大幅な値下げを行っていた。外観は全く同じなのだが、掃除がいい加減になっていた。「微生物利用」はやめてしまったのであろうか。

【微生物利用トイレ】

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 そうこうしている内に12時をまわってしまった。お腹が空いてきたので、レストランを探す。寒いからお粥に決定。ウロウロしていると、「粥」と大きく書いてある店があったので早速入る。「双皮奶(シュアン・ピー・ナイ) 6元」と「魚片粥(ユィ・ピエン・ジョウ)   5元」を注文する。合計11元、150円ほどだ。「双皮奶」は適度に甘い牛乳ゼリーであった。おいしい!もう一度食べてみたくなる味だ。「魚片粥」は魚肉をお粥に混ぜたもの。特別な料理ではないが、日本風の味わいを出している。(場所:天河路/宏城広場)

 身体が温まったところで、隣のデパートに入ってみる。「JASCO」看板が見えた。地下に出店しているようだ。香港の「JASCO」は日本と同じ構造になっていたが、広州の「JASCO」はどうかと思いぐるっと一周してみる。残念ながら、ほとんど大陸に同化してしまっており店内はゴタゴタと品物を積み上げてあるだけだ。日本の「JASCO」の整然とした雰囲気は全くない。興味を無くして外へ出た。(場所:天河路/宏城広場)

 しばらく歩くと、広州ブックセンターが現れた。本屋の大きさも街の発展状況を表す重要な指標だ。中に入ってみるが特に目新しい発見はなく、規模も深せんのブックセンターに及ばない。(場所:体育西路/天河路)

- コンビニは万国共通(am/pm編) -
 雨に打たれるのもいいかげん嫌になってきたので、ホテル探しを始めた。歩くこと5Km。地球の歩き方に載っていたホテル「華山」ホテルが見つかる。今ひとつパッとしないので周辺のホテルを当たってみるけれど、なかなか適当なホテルが見当たらない。結局、「華山賓館」の隣にある同じくパッとしない「金葉」ホテルにする。一泊168RMB。安いとは言えないが、雨と汗でびっしょりになってしまった状態では選り好みしていられない。(場所:環市東路)

 午後2:00チェックイン。2時間ほど休憩して、探検再開。雨が少し強くなっている。

 ホテルを出て少し歩いたところで、なんと「am/pm」を発見。さっそく入ってホットドックとリポビタンDを購入。いっきに食べる、飲む。「セブンイレブン」は深センや上海にもあったが、「am/pm」を中国で見るのは初めて(広州でも「セブンイレブン」が数は多い)。ちなみに香港でも中国でもそうだが、「セブンイレブン」は日本ほど品揃えがよくない。店舗の大きさも日本の半分ぐらいのところがほとんどだ。

追記(2009年3月):先月(2009年2月)、ローソンが「am/pm」ジャパンをレックス・ホールディングスから買収したとのニュースがあった。改めて調べてみると、そのレックス・ホールディングスも2004年に別の会社から「am/pm」ジャパンを買収したらしい。つまり、日本の「am/pm」は結構何度も親会社が変わっているのだ。ただし、本家「am/pm」は米国で、その親会社はイギリス系の会社。中国の「am/pm」の親会社はどこなのだろうかとネットで調べてみたが、わからなかった。まだあるのかな、このコンビニ・・・。

追記(2009年5月):ニュースによると、ローソンによる「am/pm」の買収は白紙になったそうだ。レックス・ホールディングスとローソンの基本合意事項と、Am/pmの商標権を有する米国のエーエム・ピーエム・インターナショナルの要求とが合わなかったという話だ。
 

【am/pm】

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 ひたすら真っ直ぐ歩き続けるが、目立ったものは何もない。気づいたのは病院がやけに多いことぐらいだ。少し歩き疲れてきた。しかし、これで帰るわけには行かない。何か変わったものを発見せねば・・・。と、思っていたところに、ケーブル・バスを発見。道路に電線を張り巡らせて、そこから電気を補給して走るバスだ。レールはない。5年前に西安でみたことがあるが、広州にもあるとは思わなかった。一つ得した気分。(場所:先烈南路→東風東路→東風中路)

- ゲストハウス「秀山楼」との出会い -

 気を取り直したところで、今度は「広州駅」へ向かって歩く。辺りが大分暗くなってきた。駅までは取り立てて何もない。大きなデパートもないし、小売店やらホテルやらがあるのみ。広州のセンター街はどこにあるのだろうか?(場所:東風中路→解放北路→環市中路→広州駅)

 広州駅に着いた。古くからある駅らしく、どっしりとした構え。以前の北京駅にそっくりだ。駅周辺にはバスステーションがあり、中国でおなじみの流氓もたくさんいる。お腹が空いてきたので、駅前のマックで夕食をとる。食べ終わって外へ出ると、辺りはもう真っ暗だった。すっかり疲れたのでホテルへ戻ることにする。タクシーで帰ろうかとも思ったが、やはり徒歩を選ぶ。何か面白いものがあるかもしれないではないか。(場所:広州駅→環市中路)

追記(2009年3月):広州駅は数年前に改装されて、ずいぶんと綺麗になった。近くも省バス・ステーションも、その対面になる市バス・ステーションも真新しくなった。広州駅の対面にはマクドナルドがあり、市バス・ステーションにはケンタッキーがある。列車の待ち時間に利用するのに便利だ。ただ、混み具合が激しいので、ちょっと高くつく(とっいっても50RMB程度)が、マクドナルドのすぐ横にあるホテルのロビーにある喫茶店のほうが時間つぶしには楽かもしれない。現在は、地下鉄が広州駅からも出ているので、余裕があればそれで少し遠くへ出てみるのも良いだろう。

 
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【広州駅】

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 歩くこと20分。「Guest House」と描かれた看板を発見。早速中に入り、価格を聞いてみる。シングルで70RMBとのこと。これは大収穫。次回はここに泊まることにしよう。(場所:環市中路/秀山楼)

追記(2003年2月):「秀山楼」は本当にいい。旅を安く上げたい人は是非ここに泊まってください。店員も態度がきびきびしていて親切。こちらから言わなくても部屋の下見を勧めてくれる。

追記(2009年3月):オープンしたばかりの頃は本当に良かった「秀山楼」だが、数年後に訪れたときはシーツとかが古くなり黒ずんでいて、いささかがっかりさせられた。今はどうなっているのだろう?

 さらに歩くこと1時間以上。ようやくホテルに到着した。今日は一体何キロ歩いたのだろう?地図で確認してみると、なんと15キロは歩いている。体が棒のようだ・・・。明日アパートに戻ろうと決意する。だいたい、雨で写真がとれない。(場所:環市中路)

2002年1月15日

- 初陣からの帰還 -

 次の日、起きて窓から外をみると、やはり雨。今回の旅はこれで終わりと決める。今後の参考にするため、帰りは「広州駅」を利用することにした。途中、昨日見つけたゲストハウスへ行き、部屋の中をみせてもらう。ベッド、布団、トイレ、シャワー付。香港のゲストハウスよりきれいなくらいだ。次回は真っ直ぐここへ来よう。でも、ここはアラブ人だらけだ。そう言えば看板もアラブ語?らしきものが記されてあったっけ・・・。(場所:環市中路→広州駅)

 「広州駅」に着くと、氓流の群れと戦いながらチケットを買う。中国でのチケット買いは戦さ模様になりがちだが、今日はたいしたことがない。10分ほどでチケットを入手。昨晩と同じく駅前のマックで食事を済ませ、駅に入る。午後12:30の列車に乗り、1:19常平駅着。新しい列車らしく、行きの列車よりかなりきれい。
 常平駅へ着くとすぐにバスステーションへ向かう。待つこと20分。私住む街へのバスが来る。中型バス3元・・・。3元?この間は4元だったのに。あれは正月価格かな、と好意的にとらえる。
 アパートに無事到着。今回は観光地へは全然行かなかったが、次回はいくつか回るつもり。

それでは、また。

2002年1月22日

- 旅の安心は宿の確保から -
 2度目の広州探検。前回は列車を利用したが、今回はバスのみで行くことにした。まずは、近くのバス停から常平のバスステーションまで。今回はなぜか3RMBである。荷物が多いせいかな?と好意的に考える(またかよ)。

 バスステーションに着くと、早速、広州駅行きのバスに乗り込んだ。いわゆる大型豪華バスだ(日本でいう観光バスのこと)。35RMB。クッションもきいていていい感じ。(実をいうと、私の住んでいる街からも広州駅までの直通バスがある。値段も同じ35RMB。でも、中型バスで乗り心地もあまり良くない。それで今回は常平バスステーションを利用してみた)。その上、きちんと時間通り(10:20)出発してくれた。大満足。中国で「時間どおり」に事柄が進むというのは道端で1000円拾うぐらい難しいのだ。約2時間で広州駅近くの「省バスステーション」に着く。スムーズな出足だ。

 とても快適だったので、帰りもこれを利用しようと切符売り場を探す。切符売り場はあったが、常平行きの切符が売っていない。そんな馬鹿な?と思いつつ外に出ると、もう一箇所切符売り場があった。常平行きの切符もそこで売っていた。これで帰りの足は確保した。

 お腹が空いてきたから駅前のマックでも食べるかとも考えたが、やはり先に宿を確保する。駅前の「流花バス駅」から271線のバスに乗り約10分。目的のゲストハウスそばで降りる。そのまま、チェックイン。先週、下見の時にいたフロントマンが私を覚えていてくれた。ちょっとうれしい。宿代は一泊70RMB。保証金と二日分のホテル代の合計300RMBを支払う。部屋は前回確認しておいた通り、小さい(3畳半ぐらい?)が清潔にしてある。シングルベッド、テレビ、トイレ、電気式シャワー。歯ブラシやシャンプーもきちんと置いてある。いやー、今日は順調だなぁー。

【ゲストハウス、一泊70RMBの部屋】

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- 綺麗なトイレも観光地 -

 荷物を置いて出発。ホテル前の歩道橋を渡って正面のバス停でバスを待つ。15分ほどでバスが来た。終点の広州駅で降りる。ここからは、前回同様、徒歩だ。行く先は決まっていないので、足の向くまま環市西路へ向かう。しばらく行くと、右手で無料の屋外散髪が行われているのが見えきた。中国の都市ではこの無料散髪をよく見かける。多くは美容師学校の学生の練習も兼ねているようだ。(環市西路)
  さらに歩くと、同じく右手に続々とホテルが現れてくる。それもツインで100RMBのものがほとんどだ。値段だけみると、私の泊まっているゲストハウスとほぼ同じだが、この辺りは駅に近すぎて治安が悪い。お勧めできる選択ではない。
 そのまま道路に沿って歩いていくと、廃線になったらしき路線がある。広州の発展に合わせてリストラされた路線なのかな?真上を高速道路が走っているほどで、交通量が多い。道路の左右にもちらほら小売店がある程度だ。

目立ったものがないので退屈してきたところに公衆トイレが現れる。中国のトイレは汚い、ドアがないということで有名だが、都市にある公衆トイレは結構清潔だ。

【公衆トイレ】

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しばらくすると、左手に建築関係の内装、外装の卸売り市場が見えてきた。シャンデリアやドアや庭に置く石材等の装飾品が売られている。100店以上はあるのではなかろうか?地図をみると「装飾材料市場」と書かれてあった。納得。
(南岸路)

【装飾材料市場】

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追記(2003年2月):広州マーケットを長い間独占してきた「装飾材料市場」の地位も、昨年あたりから、香港や上海の大型チェーン店の進出によって徐々に揺らぎはじめてきた。今後の変化に注目したい。

- 旅先のコイ -

 3分ほど歩くと、「荔湾湖公園」の門が見えてきた。観光地の一つだ。3RMBのチケットを買って中に入る。湖jにそってゆっくり歩いていくと、たくさんの家族連れが魚に餌をやっているのが見える。最初は金魚かと思ったが、よく見ると錦鯉だ。それもウジャウジャいる。これだけの数となると、ちょっと気味が悪い? (黄沙大道)

【荔湾湖公園の錦鯉】

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 鳩が飼われている広場やゴーカート等の遊戯器もあって、親子連れが楽しめるようになっている。そういえば、門のところに一月有効のチケットは15RMBとあったっけ。地元の人も子供を連れて気軽に来れるようになっているのだろう。

 ちょっと腰を下ろして一休みしてから公園を出る。

 そのままぐんぐん進んでいくと、左手に「誼園 玩具精品批発中心」という大きな建物とともに商店街が見えてきた。一歩中に入ってみると、なんと全部文具店である。この辺一体は広州市の文具卸売り市場らしい。これは地図にも記載されていないから大発見である。

【誼園 玩具精品批発中心】

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 ついでにこの近くにある地下鉄の駅「黄沙」の位地を確認する。途中で、地図を見ながらウロウロしている中国人二人組みを見かける。彼女たちも文具市場を探しているのだろうか?結構有名なのかな、この文具市場。

- 広州最大の商業センター -

 そのまま道を下ってゆくと、ちらほらと小売店が現れてきた。看板が統一されていて地元商店街の雰囲気だ。天津の商店街と感じが似ているな、などと思いながら歩いてゆくと、突然、大商店街にぶち当たった。人、人、人。どうやらここが広州市の商業センター街のようだ。(第十甫路)

【第十甫路周辺】

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 ここからはおよそ10Kmに及ぶ商店街が続く。さすが南方の雄、「広州」である。深センの綺麗なだけの商店街と違って、歴史の中で自然に作り上げられた味わい深い商店街だ。外資が入っている「GIORDANO」等の店だけではなく、地元系の小売店の品々もきちんと積み上げられている。マック、ケンタ、ピザハット、味千ラーメン等の定番店はもちろんのこと、香港旺角風の串焼き屋も人気がある。建物と建物の間にある20cm程度の隙間ではおばさんが公衆電話屋を開いている。歩いても、歩いても、終わりがない。広州市民の購買力の高さを思い知らされる。(第十甫路、宝華路、下九路、上九路)

【ミルクデザートの専門店】

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 大分時間も遅くなったので帰途につく。頑張って駅まで歩くが特別なものはなし。途中、ワトソンと小さなパソコンセンターがあったくらいのものだ。(人民中路→人民北路)

 駅に着くとすっかり乗り慣れた271線のバスで一路ゲストハウスへ。ゲストハウスに帰ると、着替えを済ませて今日のまとめをする。その後はテレビを楽しむことにする。「背叛」というドラマがやっている。なかなか面白い。東莞に戻ったら、VCDを探してみよう。

追記(2003年2月):広州駅⇔広州東駅をたったの1RMBで結んでいた格安路線も最近とうとう2RMBに値上がりしてしまった。けれども、広州駅の大通りを歩道橋で渡った対面にある流花バス・ステーションから出ていてとても便利だ。皆さんも是非利用してみてください。

追記(2003年2月):「背叛」はお勧めのドラマ。ビジネス系ドラマなのだが、主人公がとにかく格好いい。中国では「胆力」があるということが尊敬される条件の一つだが、この主人公が表現する「胆力」はすごい。惚れ惚れするほど。今でもこのドラマのストーリーを思い出すと胸がドキドキする。

2002年1月23日
- 葉剣英 -
 二日目。今日はバスと地下鉄を利用して直接街中へ出ることにする。駅周辺は大体歩き尽くしたからだ。まずは腹ごしらえ。ゲストハウス近くの中華ファーストフード店で軽く食事をとる。清潔感のある店だ。

【中華ファースト店での朝食、写真の料理とお粥で9RMB】

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 食事を終えると早速バスに乗り広州東駅へ向かう。走ること30分ほどで広州東駅に着く。地下鉄の駅は広州東駅の真下にあるのですぐわかる。しかし、広州の地下鉄に乗るのは初めてだ。地下へ降りて周囲を見回してみると、自動切符売り場がある。どうやら硬貨しか使用できないようなので、大勢の人が列をなしている窓口へ並ぶ。自分の番が来たので、5RMB札を出して行き先をいうと2RMB札と1RMB硬貨3枚をくれた。おっー、これで自動販売機を使えということか。確かに広州では硬貨はあまりみない。両替用の窓口ってわけだ。まっすぐ自動販売機へ行って切符を買う。出てきた切符は香港と同様なプラスチック・カードだ。それを入り口の改札機に通して中に入る。プラットホームも香港様式だ。待つこと5分でまっ黄色な電車がくる。

 列車の中もやはり香港風。違うのは列車の現在位置を示す電光表示機がないくらいだ。4駅目の「東山口」で下車する。なぜここで降りたかと言えば、地図上でこの駅の近くにある通りが赤く塗られていたからだ。昨日行った商店街も赤く表示されていたから、恐らくここも商店街なのではなかろうか。

 駅から上がって、「農林下路」へ入ると予想通り、商店街があった。昨日行った所には及ばないが、一つの百貨店を中心に賑やかな商店が建ち並んでいる。百貨店にはマックも入っているようだ。(農林下路)

 特別目立ったものもないので、今度は「中山二路」を下ってゆく。ここも地図上では赤く塗られているが、小売店がポツリポツリとあるぐらいで他には何もない。ということはあの赤色はどういう意味なのだろう?しばらく歩いていると右手に「中山医科大学」が見えてきた。難しい顔をした学生が出入りしている。医者の卵たちだろうか。(中山二路)

 さらに先に進むと、「烈士陵園」の門が現れた。現中国建国の過程で活躍し、失われた中国人民が祭られた場所だ。観光地と行っては失礼かもしれない。3RMBのチケットを買って中に入る。まっすぐ奥へ入ってゆくと、中国建国に協力し失われた朝鮮人を祭る大きな石牌があった。その奥には同じ文章を刻んである。書籍の形をした位置の彫刻が置いてある。(中山三路)

【烈士陵園】

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 そこを出てしばらく行くと、大勢の烈士たち祭ったお墓がある。土を盛っただけの簡単な様式だが立派な石壁で囲まれている。その周辺をぶらぶらしていると、「葉剣英の墓」を示す行き先表示板があった。葉剣英といえば、中国建国の英雄の一人だ。広東地方の実質的な支配者であり、広東地方に関しては彼の存命中は北京中央でさえ口出しできなかったそうだ。

 行き先表示板の通りに進むと、立派な石牌が現れた。葉剣英の上半身が刻まれている。平日ということもあってほとんど人がいないのだが、この葉剣英のお墓の場所だけは絶え間なく人が訪れている。広東省での葉剣英の人気を知ることができる。

*追記(2002.1.31):「烈士陵園」というのは中国の各地にあるのだが、広州のように都市の中心にあるのは珍しいらしい。ここが都市の中心にあるのは、1927年12月11日に葉剣英等の中国共産党員が国民党に反抗する戦いを始めたが失敗に終わってしまい、5700人以上の死者が出てその大部分の命がここで失われたことによるそうだ。(参考図書:「搭地下游広州」広東旅游出版社)

【葉剣英の墓】

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- 広州の豊かさ -

 「烈士陵園」を出ると、正面に「中華広場」と書かれた百貨店がある。同じく「JASCO」の看板も・・・。昨日行った「JASCO」にはがっかりさせられたので、どうしようか迷うが、行ってみることにする。掲示板をみると、この百貨店では「JASCO」は地下ではなく、2Fと3Fに入店しているらしい。さっそく2Fへ上がって見る。ぐるりと回ってみると、意外にも日本のJASCO形式だ。食品売り場でも御寿司や刺身が並んでいる。「生茶」や日本の調味料等もたくさん販売されていた。ほぼ香港のJASCOに準じた品揃えだ。この辺りで暮らすなら、食に関する限り日本と同じ生活ができそうだ。うな丼弁当が15RMBで売られている。中国人もうな丼が好きなのかな?

 JASCOを出てしばらく歩くと、「北京路」に出る。歩行者天国になっていてかなり賑やかだ。昨日行った商店街の賑やかさとほとんど変わらない。「新華書店」等の大きな本屋もある。今人気の「ハリー・ポッター」シリーズの中国語板も販売されていた。東莞市などではカラー版の本はあまり売られていないが、ここでは大半がカラー版だ。購買力の違いがここにも現れている。(中山三路→北京路)

【北京路】

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 「北京路」を抜けて解放中路に出て「珠江(河)」へ向かう。途中、靴市場がある。100軒以上はあると思われる靴屋が並んでいる。どんな靴でも見つかりそうな雰囲気だ。(北京路→恵福東路起義路→解放中路→解放南路)

【靴市場】

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 「珠江(河)」に着く前に「長堤大馬路」を通る。すっかり寂れてしまっているが昔は歓楽街だったのだろう。ホテルやカラオケ屋が建ち並んでいる。(長堤大馬路)

 「珠江(河)」の周りは石造りのベンチが据えられていて、河縁の公園となっている。歩きつかれたのでここで一休みする。河上を観光遊覧船等が走っていてのどかな風景だ。河上のゴミを片付けるゴミ回収専用の船が走っている。中国の都市ではどこもそうだが、街中のゴミ処理にはかなり気を使っているようだ。

【珠江】

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 疲れのとれたところで川にそって歩いて「沙面大街」に入る。地球の歩き方に紹介されている安ホテルがある場所だ。この辺りはたくさんの洋館が立ち並んでいる。昔は外国人居住区だったのだろうか。次はこの辺りに宿をとるのも面白いかな?(沙面大街)

*追記(2002.1.31):沙面はイギリスとフランスの租界だったことがあるらしい。中国に返還されたのは1945年とのことだ。(参考図書:「搭地下游広州」広東旅游出版社)

 ここまで来ると、昨日来た「第十甫路」のすぐそばだ。昨日の賑やかな雰囲気をもう一度味わおうとそちらへ向かう。ぶらぶらしながら、昨日取り損ねた写真をいくつか取る。それから、夕食を済ませて地下鉄に乗り、広州東駅で降りる。あとはバスでゲストハウスへ一直線だ。

2002年1月24日
- トラブル処理は旅の勲章 -
 最終日は疲れきっており、どこへ行く元気もない。まっすぐ帰ることに決め、フロントでチェックアウトに入る。ここでトラブル発生。初日私が支払った二日分の宿泊料のうち、二日目の分がホテルのコンピュータに入力されていなかったらしいのだ。しばらく、言い合いになるが、初日に受け取った領収書を見せて支払済みであることを説明するとフロントマンも納得してくれた。無事、チェックアウト。

 その後は271線バスで駅まで出て、「省バスステーション」で豪華大型バスに乗り、常平バスステーションまで一気に向かう。そこでバスを乗り換え、アパート近くのバス停で降りる。

 次回は広州探検は一休みして、珠海市へ出掛ける予定だ。

2004年版(第?回目)
2004年5月1日
 広州へ初めて旅行に出てからほぼ2年半が経とうとしている。昨年(2003年)は旅行の通過地点としてしか行かなかったので、本当に久しぶりだ。今回は友人Zとの二人旅、二泊三日の小旅行だったので数多くはまわれなかったが、今まで行かなかったお寺系を中心に見てきた。それと動物園も。皆さんの旅の参考にして頂ければありがたく思います。

  5月1日、友人Zとアパートを出る(10:00)。10時15分、近所のホテル前で広州行きバスのチケットを購入した(一人45RMB)。15分ほどしてやってきた中型バスに乗って、出発。このまま広州まで行ければいいのだが、そうはいかない。最近できた近くの大型バス・ステーションで乗り換えなければならないのだ。乗り換えること、そのものは面倒なことではない。中型バスから大型バスへ移動するだけなので、かえって好都合というものだ。今まで何度も利用しているから問題なしだ。

 ところが、今回は勝手が違った。大型バス・ステーションのところで広州行きバスを待っている客が長蛇の列を成していたのだ。200人はいるのではなかろうか。これでは、3時間以上は待たなければ駄目だろう。炎天下の中で3時間は厳しすぎる。一人ならともかく、友人Zのほうがもたない。これはタクシーで行くしかあるまい。しかし、購入したチケットは払い戻し可能だろうか。無理だろうなぁ。

 とにかくトライだ。友人Zに頼んで、チケットの払い戻しができるか尋ねてもらうことにする。5分ほどして戻ってきたが、あきらかに落胆した様子。聞いてみると、やはり駄目。しかし、まだ諦めるのは早い。購入したチケット売り場まで戻ればチャンスはある。そこでバイタクに乗って、出発地点まで戻ることにした(8RMB)。

 最初のチケット売り場で、チケットを出し、「キャンセルしたい。あんなに列が長くては乗れないよ」と申し出る。すると、あっさりとチケットを引き取り、90RMB(一人分45RMB)が戻ってきた。おおっー、まさか戻ってくるとは思わなかった。中国らしくないぞ。すごい進歩だと大感激。中国も人治を脱しつつあるのだろうか、と想像を逞しくする。

  さあ、出直しだ。バスが駄目なら、タクシーで行くしかない。何人かの運転手と交渉した結果、ようやく350RMBをゲット。高いような気もするが、メーデーではこれぐらいが限界かと妥協し、決着。(*注)

*注)あとから考えてみると、かなり高いところで妥協してしまったことに気づいた。深センまでのバス代が25RMB、タクシーなら130RMB。広州までのバス代が45RMBであることを考えると、タクシー代は250RMBでもおかしくない。メーデー料金を頭に入れても300RMBが妥当な線ではなかったか。

 11:00、ようやく出発。高速道路に乗ってスイスイと思いきや、大渋滞に巻き込まれ全く進まず。玉突き事故が数箇所で発生していたためだ。スムーズに行けば一時間半でつく距離だが、広州東駅に着いたのは、結局2時間40分後の1:40であった。

 広州東駅に着いて、まずやらなければならないことは、ATMでのお金の引き落としだ。(住んでいる町のATMでは、メーデーのお休みとあって出稼ぎ労働者が長い列を作っており、引き落としができなかったのだ)。駅の2Fに上がって、招商銀行のATMでトライ、しかし、私のキャッシュカードは見事に拒絶されてしまった。通信不良とでる。次に同じ階にある広東発展銀行で再びトライ!・・・が、またもや拒絶。どうやら、香港のキャッシュカードが使えないようになっているらしい。うーん、長期休暇で国内の引き落としが多いから、香港の銀行のカードを使えないようにしてあるのだろうか。仕方がない。電話代の引き落とし専用としてある深センの銀行のカードを使って再トライだ。・・・・成功。良かった、良かった。お金がなくては早々に引き上げねばならないところであった。

 続いて地下鉄に入る。広州の地下鉄のチケットはまだ試行錯誤の段階で、変化が激しい。現在のところでは、コイン型のICチップ方式と羊城カードと呼ばれるICカードが使えるようだ。前者が単発の利用客用。後者は充填式となっていて、繰り返し使用可能なタイプだ。「羊城カード」の方は、バスでも利用できる(というか、もともとはバス専用だった)。

 自動販売機でコイン型ICチップを購入しようとするが、使い方を忘れてしまっていて、戸惑う。すると、後ろの客が親切に使い方を教えてくれる。なんだか上京したばかりの田舎者になったようで恥ずかしかった。

 改札を通って、無事乗車。広州の地下鉄の作りは、香港とほとんど同じなので、非常に安心感がある。乗客の服装を見る限りでは比較的裕福そうな客が多い。ということは、同じ場所まで行くとしたらバスの方が安いのだろうか。

  西口門駅にて下車。「地球の歩き方」で紹介されていた「珠海特区大酒店」というホテルに泊まることにする。紹介では最新式の設備が自慢と書いてあったが、どこが最新式なのかわからない。カラオケ設備だろうか。かなり古いホテルだ。一応、三ツ星のプレートをぶらさげているが、明らかに二ツ星以下の設備だ。スタンダードのツインは部屋が空いていないというので、豪華ツインに288RMBで宿泊することにした(3割引)。広州の真中という便利な立地条件を考えると非常にリーズナブルな料金だ。ただ、冷蔵庫に何も入っていないのは少し寂しい。2Fにある中華レストランは大人気で、いつみても客がいっぱいであった。また、地下鉄の出口案内板にホテルの名前が載っていたぐらいであるから、かなりの老舗であることは間違いあるまい。

 ホテルを出て、近くの百貨店内にある四川料理店で食事。すでに3時20分、かなりのローペースだが、友人Zが一緒なので仕方がない。その上、料理が出てくるのが遅くて、ここでかなりの時間を消費した。友人Zは私に輪をかけたようなせっかちな性格で、「出てくるのが遅すぎる。ここはサービスが悪い」とちょっとおかんむりだ(*注)。

*注)まだ事実かどうかの確認がとれていないが、広州は土地柄、料理はゆっくり出すのが当たり前だという話だ。

  食事を終えて、ホテルに戻りしばらく休息をとる。そして、6:50に出発。
 地下鉄に乗って、「長寿路駅」で降りる。ここから広州でもっとも活気がある(と私が考えている)広大な商店街「上下九路」へ出ることができる。その活気はもはや「上下九路」だけにとどまらず、四方の通りへ拡張中である。一体どこまで伸びていくのか空恐ろしいぐらいだ。

 私が広州へ来るたびにここへ来るのは、発展する広州の息吹を感じるためで、友人Zにもそれを味わってもらいたかった。しかし、それは高望み過ぎたようだ。友人Zは明らかに「ショッピングに来た」と勘違いしている。ショッピングをするな、とは言わない。でも、それがメインじゃないんだよ、ということを理解して頂ければありがたい。無理だろうけど・・・。

 久しぶりの広州をたっぷりと堪能し、本日の活動は終了。明日はホテル周辺のお寺参りから開始だ。頑張るぞ!
 
2004年5月2日
 8:00、ホテルを出て、西門口のマクドナルドで朝食をとる。朝食メニューのホットケーキを食べようと楽しみにしていたのだが、ここのマクドナルドでは朝食メニューがなくてがっかり。代わりに新商品の海老ナゲットが発売されていたので、さっそく注文した。なかなか美味しい。ケンタッキーのエビフライに対抗して販売したのだろう。ケンタッキーのエビフライは美味しいけれども、日本人にとっては油がきつい。マクドナルドの海老ナゲットは海老の香りがほどよく漂っていて油分も少ないので、日本人には受けがよいことだろう。日本からの出張してきているSさんによると、日本では海老メニューはないとのこと。 

 9:15、光孝寺着(入場料4RMB)。周辺で工事があったため、迂回を繰り返しながらようやくたどり着いた。友人Zは現代的な外見とは違って、意外に信心深い。いくつもある仏像の一つ一つに跪いて、線香を捧げつつ熱心にお祈りを繰り返している。連休のお休みとあって、参拝客も多い。跪くというレベルを通り越して、頭を地面に擦りつけてお祈りをしている人もいて圧倒された。

【光孝寺<1>】

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   「光孝寺」は、俗説に「未有広州、先有光孝(広州がまだ存在しなかった頃、光孝寺はすでに存在していた)」と言われるほど歴史のあるお寺である。事実は一体どうだったのであろうか。インターネットで調べてみた。調査によると、広州は以前、交州と呼ばれる広大な地域の一部だったらしい。そこには士燮という人物が強力な半独立政権を打ち立てていた。彼の死後、三国志の孫権が交州の一部を広州として成立させたとのことである。光孝寺がその名を戴いたのは南宋の頃であるというから、「未有広州、先有光孝」というのは事実と反することになるが、光孝寺の土地自体は広州が存在する前から著名人に度々利用され、様々な建築物が存在していたようであるから、あながち嘘とも言い切れない。

 この地(「光孝寺」一帯)と関わりの深い人物としては三国志の虞翻、インドからやってきて禅を中国に伝えた達磨大師、失明しながらも唐から日本に渡って仏教を広めた鑑真和尚、が有名である。

【光孝寺<2>】

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  「光孝寺」を出て、再び大通り「中山六路」まで戻る。地図上ではすぐ横にあるため、大通りまで戻らなくても行けそうだったが、万一行き過ぎたらやっかいだ。そこで、少し遠回りになるが、一旦大通りまで戻ることにした。「中山六路」を進んでいき、ホテルのある通りを越えて「六榕路」のところで曲がり、奥へ歩いていく。しばらく行くと、左手に線香をたくさん並べたお店が現れ、すぐに「六榕寺」に到着。入場料は1RMBと安い。「光孝寺」同様に参拝客で一杯だ。再び熱心に祈りを捧げる友人Z。そう言えば、私の祖母も毎日熱心にお祈りしてたっけ。
 
 「六榕寺」には「六榕塔」という石作りの塔がある(入場料10RMB)。この塔は塔の外壁に沿って通路が作られており、そこをグルリと回ることにより塔の外を360度見渡せる。これはそう珍しいことではない。問題なのは、階段の入り口がこの通路に沿って設置されているために毎度塔の外に出なければ、上の階にあがっていけないことだ。晴れの日はよいが、雨の日は床がタイルでできているからツルツルと滑って危険この上ない(一応柵はあります)。
 友人Zからの「まだー?」とせっつく声をなだめすかしながら、なんとか最上階へ。広州は高い建物が多いから、絶景の眺めとはいかないけれども、比較的強い風が吹いていて気持ちがいい。下で、大勢のひとがお堂に向って地面に額をこすりつけているのがみえる。数十人が一斉に地面にひれ伏す様子は圧巻だ。なんだか、こちらまで畏れ入ってしまった。

【六榕寺】

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 さて、この「六榕寺」の由来であるが、北宋時代の有名な詩人・政治家「東坡」が政変にあって南方に追いやられている不遇の時代に、この寺を訪れ、庭にあった六本の「榕樹(ようじゅ)=ガジュマル」を見て、「六榕」の二字を残したことから来ているらしい。「六本の榕樹(ようじゅ)」だから、「六榕」。単純過ぎるぐらい、単純だ。だが、その単純な命名ですら、お寺のお宝になってしまうということが「東坡」の偉大さを示しているのかもしれない。もっとも、その「六本の榕樹(ようじゅ)」は今は残っていないとのこと。

 「六榕寺」の次は「光塔」へ向う。「光塔」がなんだかわからないが、「塔」と名づけられた場所ならば登ってみたい。ところが、地図上では確かにあるはずの「光塔」がどうしても見つからない。聞けばわかるのかもしれないけれども、あまり好きではないのだ。人に道を聞くのは。悪い奴に目をつけられたら、やっかいだから。結局、諦めて「伍仙観」へ行くことにしたが、後で調べたところによると、イスラム教のお寺「懐聖寺」の敷地にある塔で、お寺そのものが見学に値する場所だったらしい。ムムッ、残念。

 そして、「伍仙観」だ。ここは是非来て見たかった場所だ。歴史的価値はよくわからないが、5匹の羊にまたがった5人の仙人の像をみてみたかったのだ。広州が「羊城」とも呼ばれるのは、この羊にまたがった5人の仙人が空から舞い降りてきて住民に稲穂を渡し、永遠の豊穣祝福を約束したからだという。そんな物語を新聞で読んでからからすでに2年ぐらいが過ぎている。胸がわくわくするのも当然だろう。
 

【伍仙観<1>】

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 だが、実際に来てみた「伍仙観」は、真新しく、羊城の歴史が始まった地のようにはとてもみえなかったし、5匹の羊と5人の仙人も最近改めて彫られたばかりの石像のようであった。まぁ、現実とはそんなものである(入場料5RMB)。

【伍仙観<2>】

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  続いて、隣の駅にある「陳氏書院(陳家祠)」へ向かう。歩いても十分行ける距離だが、友人Zがゴネるので、地下鉄に乗って行った。「陳氏書院(陳家祠)」は駅のすぐ近く。人の向かう方向に歩いていくとあっと言う間に到着。書院というだけあって、落ち着いた雰囲気だ。建物全体に、精巧な彫刻がほどこされており、小さいながら豪奢な雰囲気に溢れている。

 中に入ると、入り口のすぐそばに「陳氏書院(陳家祠)」の由来が載っている大きな説明書きがある。驚いたのは、そのすぐ横に日本語版も同じ大きさで掲げてあったことだ。歴史のありそうな、こんな立派な建物に巨大な日本語の説明板を置いたりしたら中国の庶民の反発を買うのじゃなかろうかと思っていると、後方から「なんで、こんなところに日本語があるんだ!」と中国人観光客の不満そうな声が響いた。この説明書は早晩取り外されるんじゃないだろうかと勝手な推測をしてみる。

 「陳氏書院(陳家祠)」は広東省にいる陳氏全ての寄付によって建設されたもので、発起人は陳伯陶という東莞市の人だそうだ。建設の目的は、広東省各地の陳氏一族が科挙の試験を受けるときの住居兼学習場所を提供することにあったそうだ。
 

【陳氏書院<1>】

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 当日はメーデーの翌日ということもあって、すごい人出であった。展示即売会が開かれていたこともあって静謐とは程遠い雰囲気となっていたが、人の少ない日に来れば落ち着いた空気を楽しめるのではなかろうか。

【陳氏書院<2>】

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【陳氏書院<3>】

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  お昼は昨日四川料理を食べたお店のあるビルまで行き、別の階でバイキングを楽しむことにした。ところが着いてみると、バイキングの時間はすでに終了。仕方なく、点心をいくつか注文し、お腹を満たすことにした。だが、この点心がでてくるのが遅い。昨日の四川料理に輪をかけた遅さだ。周囲の客に出てくる料理も同じくらい遅いようだが、彼らは全く気にしていない様子だ。これが広東省気質という奴なのだろうか。広東省出身の労働者は動作が遅いと言われるけれども、彼らはせかせか動くことを恥じと思っているのかもしれない。

【動物園<1>】

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 長い食事のおかげで、動物園に向かったのは4時に近づこうとする頃となった。本意ではないが、タクシーを飛ばして直行する。以前に昆明の動物へ行ったとき、夕方遅くに到着したため、ほとんどの動物がしまわれていたという苦い経験があったからだ。
 16:00、動物園着。心配をよそに、動物園はまだまだ活気に溢れ、大勢の観客に囲まれて動物も元気いっぱいであった。昆明に行ったのは1月のまだ寒い頃であったから、そのための早仕舞いだったのかもしれない。

 この動物園で一番面白かったのは、河馬。住処となっている人口の洞穴の方から二匹の河馬が優雅に泳いできて、観客の前まで来る。そして、ガバーと大きな口を空けて餌をねだる。誰も餌をくれないと知ると、口を閉じてもとの住居へ再びゆっくりと泳ぎだす。河馬っていうと、ムーミンのイメージがあるので陸が主体の生き物かと思っていたけど、川で生きる動物だったんですね。河の馬って書くから、当たり前か・・・。調べてみると、河馬はあの図体に関わらず草植動物。草だけでもあんなに大きくなれるんですねぇ。格好いいのは、草食動物でありながら、成獣になるとワニやライオンですら勝負を挑もうとはしないというところ。そして、走るスピードはなんと時速40キロ以上。長くは走れないらしいが、あの巨体(3トン前後)が時速40キロで突っ込んでくるなんて、ライオンも逃げるわけだ。

【動物園<2>】

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【動物園<3>】

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 最後は水族館。動物園内にあるものだが、入場料は動物園自体の20RMBよりもはるかに高くて、100RMB。海の生き物を育てるのは陸の生き物よりもコストがかかるというわけだ。

 水族館の内容自体は普通で、アモイの水族館と大差なかった。ペンギンが泳いでいた点でアモイの方が上かな。でも、設備は広州の方がよかったような気もする・・・。

  だが、イルカのショーは広州の方が断然上であった。芸をさせているスタッフが全て男性なのは味気ない(アモイは女性スタッフ)が、芸の内容は大変面白かった。特にイルカ2頭に両足を乗せての水上スキーは見ごたえがあった。水族館まできたら、ショーも見ていくことをお勧めします。(日本のものと比較しては駄目です)。

【水族館(動物園内)】

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 動物園を出ると、タクシーに乗って今度は「北京路」へ。Zが以前の同僚と待ち合わせをしていると言ったからだ。待ち合わせの時間まではまだ早いというので、タイ料理屋で食事。なかなかの味であったが、Zは食が進まない。彼女には合わないようだ。

 食事が終わると、Zは同僚に電話をかけた。すぐそばに住んでいるのかと思ったら、同僚の住居はかなり遠い場所らしい。時間の都合がつかないとかで結局、タクシーでZをそこまで送っていくことになった。私はそのまま、ホテルへ戻って休憩。

 本日はこれで終了。

2004年5月3日
 省バスステーションまでタクシーを飛ばす。そして、バスに乗ってアパートのある街まで一直線。

 今回は、広州という近場、なおかつ二人旅ということで、観光地巡りが主体となってしまった。そして、街巡りというと、ショッピング。反省の多い旅であった。二人旅で、どうやって旅らしい旅をするか、今後の課題である。