厦門市の旅


灰色の部分が福建省です。

2004年2月11日
この旅は「泉州探検記」の続きです。

  9:45、梧村バス・ステーション着。まずは自分の位置確認だ。構内の売店で地図を買う。ベンチが見当たらないので、外へ出て立ったままで地図とにらめっこ。だが、現在地がどこだかわからない。お腹も空いてきたので、喫茶店かどこかで食事をしながらゆっくり探すことにしよう。そう考え、バス・ステーションの敷地から外へ出た。十数メートル歩いたところで、「アモイ駅」が現れた。ずいぶん立派な駅舎だ。すぐ横にマクドナルドがある。よし、マックで位置確認をするとしよう。

 まだ朝も早いせいか、店内もそんなに混んでいない。しかし、客の服装からアモイ市民の豊かさがうかがえる。普段、深セン特別区外で出稼ぎ労働者たちを映すことに慣れた眼には、アモイ市民の姿がずいぶんと垢抜けて見えた。この辺りの生活水準は日本とあまり変わらないのではないか。
 手早く食事を終えて、地図を広げる。アモイ駅を発見した後なので、現在位置の把握は容易かった。次はホテルをどこにするかだ。ここに来るまで、アモイは小さいという言葉を散々耳にしたが、アモイ駅の周辺を見た限りでは大都市の様相だ。とても歩いてホテル巡りをするような場所ではない。(バイタクがないことが余計に広さを感じさせるのかもしれない)。そこで、今回は地図で紹介されているホテルに電話でアタックしてみることにした。

 まずは「地球の歩き方」に紹介されている「新橋酒店」に電話をかける。街中にあり、便利だろうという大雑把な判断だ。ところが、何度電話をかけても誰も出ない。諦めて、今度は「鳳凰酒店」に電話をする。すぐに受け付けが電話をとったが、「まだ営業が始まっていない」とのことである。リフォームでもしているのだろうか。「地球の歩き方」に載っているくらいだから、建設中ということもないだろうに・・・。謎ではあったが、今は宿泊先を決めるのが先だ。続いて、「緑晶酒店」に電話をかける。今度はすんなりと話が進んで「一泊273RMB」という回答を得ることができた。

 タクシーに乗車して、「緑晶酒店」へ。運転手が女性だったので、ひと安心。私が外国人だと知ると、熱心に話し掛けてくる。私も簡単に情報収集をさせてもらう。運転手によると、アモイは非常に治安が良いそうだ。また、環境衛生に力を入れており、中国全土でもトップにランク付けされているとのことであった。

 10:10、「緑晶酒店」着。部屋の下見を済ませたのち、料金交渉を試みる。しかし、電話で聞いた273RMBから一歩も譲ってくれない。確かに部屋は広いが、設備やホテルの位置を考慮する限りでは若干高すぎる。「地球の歩き方」で紹介されていることから、強気の姿勢で営業しているのかもしれない。納得が行かなかったが、他に心当たりのあるホテルもない。とりあえず一泊することにした。

   簡単に荷物の整理をして、すぐに出発。アモイは交通規則が厳しく、バイタクも自転車力車もない。バス網がしっかりしているようなので、時間の許す限りバスを利用してみようと心を決めた。まずは、2号線のバスに乗って「胡里山炮台」へ向かう。料金は1RMB、綺麗な大型公共バスだ。これまでまわってきた福州と泉州も沿海側の都市だけあって豊かであったが、アモイはその中でも飛びぬけている。乗車している客たちの服装も、物腰も、日本とほとんど変わらない。一般の中国人が見せる、生きることにギラギラとした欲望があまり表面に出ていないのだ。ここだったら、日本にいるのと同様にリラックスして暮らせるのではないかと錯覚させるほどで、何か異国にまぎれ混んだように感じた。
  

【緑洲酒店】

  終点に着くと、そこが「胡里山」。「胡里山」の前には美しい海岸線が広がっている。泉州「崇武古城」の海岸線と異なって、こちらは人が多く賑やかだ。それもそのはず、海岸から道路を一つ隔てた対面に住宅地が建てられているのだ。毎日、波の立てる音を聞いて過ごせるとはなんて贅沢な暮らしだろう。

【胡里山前の海岸】

  昨日も泉州で海を眺めたばかりだというのに、足が勝手に砂浜へ向かう。ただ、ただ波の音が聞きたい。自分がこんなに海を懐かしがっていたなんて知らなかった。もう一度、海の見える場所で働いて、波の音を聞きながら眠ってみたい。そんな奇跡が起るだろうか。一日中、そこでぼんやりとしていたい気分であったが、現実は厳しい。ぼやぼやしていては日が暮れてしまう。海から目を引き離して、道路へ戻る。

  バス・ステーションの前を通り抜けると「胡里山炮台」へ続く階段が現れる。階段の中ほどに、チケット売り場があるので、ここでチケットを購入するといい(25RMB)。私は、知らずにここを通り過ぎ、一番上まで上がって改札を抜けるところで追い返されてしまった。やむなく、階段を下ってチケット売り場まで往復することに。(中途半端なところにチケット売り場を作るなよ)。

【胡里山炮台<1>】

   「胡里山炮台」の見所は、清の時代に抗日のためにドイツから輸入したという巨大な大砲だ。本当かどうかわからないが、現存する大砲の中では世界最大だという話だ。そして、さらに重要なのは海の上に浮かぶ島々。これらの島々は台湾が領有しているものらしい。現在の中国と台湾の関係を考えると、気の引き締まるような気分が味わえたはずだが、これを知ったのは旅行から戻ってきてから。私としては島々の前に浮かんでいる数隻の船のほうがはるかに気になった。なんだか、大砲でそれらを狙っているようで面白かったからだ。見逃してはならないのは、巨大な大砲の据えられている建物の上からの景色。広々とした水平線が見渡せ、地球は丸いとはっきりわかるのが感動的だ。建物の後ろに階段があるので、是非上ってみて欲しい。

【胡里山炮台<2>】

 再びバスに乗って、今度は「南普它寺」へ(1RMB)向かった。「南普它寺」は唐時代に建設されたもので、  「千年古刹」とも呼ばれている。今は池となってしまっているが、建設当時は海に面していたらしい。一年中、参拝客が絶えないということで、当日も非常に賑やかであった。精進料理も食べられるので、関心のある方は挑戦してみてください。

【南普它寺】

 「南普它寺」から「緑洲酒店」はすぐ近く。歩いて3分もかからない。ホテルの前を抜けて、「華僑博物館」へ行く。アモイ大学がそばにあるため、この辺りは学生がたくさんいる。学生たちはおっとりした感じで日本の大学生にそっくりだ。もっとも、日本の大学生は今就職難ということだから、こんなにのんびりとした表情はしていないかもしれない。

  「緑洲酒店」から「華僑博物館」への道の両脇にはマンションが多い。住宅街の雰囲気も日本にそっくりだ。あるいは、日本にそっくりというよりも台湾にそっくりなのかもしれないが、私は台湾に行ったことがないので、真偽はわからない。

 13:23、「華僑博物館」着。この博物館は、ゴムの生産で世界的に有名になり「ゴム王」とも呼ばれた「陳嘉庚」によって建設されている。(アモイ大学も「陳嘉庚」によって創設された)。海外に渡った華僑について非常に詳しい資料があるらしいが、本日は工事中で残念ながら入場できなかった。
 

【華僑博物館】

  これでホテル周辺の観光地は見終わった。再びバスに乗って、「思明南路」、「思明北路」を抜けてゆく。「思明南路」、「思明北路」とそれを縦に横切っている「中山路」はアモイのショッピングセンター街になっていて、人の流れが絶えない。福州と同じく、一軒一軒のお店が個性に溢れている。だが、豊かさの結果としての個性であって、福州でみられるようなエネルギッシュな、ほとばしるような個性とは違う。ちょっとおとなしすぎるような印象を受けた。

  「東渡バス停」で、なんとなく下車。次のバス停までのんびりと歩く。人気がほとんどない。それでも、安全すぎるぐらい安全。深センでは、両脇をにらみつけるようにしながら歩かねばならないというのに、ここはまるで別世界だ。

 再びバスに乗ってしばらく進む。と、大きな橋が見えてきた。アモイ島と大陸を結ぶ「海滄大橋」である。これは隠れた名所かもしれないと、喜び勇んでバスを降りた(「濠頭祐利バス停」)。すると、橋のふもとに入場口らしきものがある。(橋をみるだけで金とるのかよ)とぶつぶつ言いながら、5RMBを支払って中に入った。
 入場料をとるだけあって、道路がきちんと舗装されており、自動車でも上まで上がれるようになっている。上がった先は小さな公園になっているので、恋人同士で海の夜景を楽しむにはいいかもしれない。そこからさらに上がるには階段を上らなければならない。たいした高さではないが、工事が途中で終わっていて、「ここから先に行くなら自己責任」という看板が置いてあった。それを無視して、先に進むと、橋を見渡すことができる場所に行き着く。山の高さが十分でないため橋全体を見下ろすことができないのが残念だ。(足元が崩れやすくなっているので、雨の日は公園まででやめておくのが無難でしょう)。

【海滄大橋】

 「濠頭祐利バス停」から再度、バスに乗る。「東渡路」を抜けて「長岸路」、そして「湖里大道」に入り、「華栄バス停」で下車。ここは工業地区らしく、工場がたくさん並んでいる。地元の労働者が多いのだろう、深センの工業地区のように出稼ぎ労働者が職を求めてウロウロしているということが全くない。或いは、出稼ぎ労働者等を工場周辺で直接募集するのを禁止しているのかもしれない。

【湖里大道】

 「湖里大道」から「華栄路」へ入る。このまま、街中まで歩き抜いてやるとの意気込みで進んでいったが、行けども行けどもつかない。諦めてタクシーに乗車した。行き先はエア・チケット売り場。アモイは治安がしっかりしているし、なんと言っても、これだけ美しい都市だ。ぼったくりの運転手などいないだろう。そう思って、少し気を緩めてシートに座っていたら、運転手がバックミラーでこちらをちらちらと見ながら、あっちの道から行くか、こっちの道から行くかと質問を飛ばしてきた。(これは怪しい)。やむなく、地図を取り出して応戦。幸い、アモイの地図はわかりやすくできている。運転手による混乱を誘う質問を無視して、道路名だけを告げて確実に目的地へと引っ張った。

  だが、最後の最後、右折すれば残りは一直線というところで、タクシーは左折を始めた。「右だろう!」と詰め寄ると、「右にはエア・チケット売り場はない。左のほうにあるんだ」と言い張る。我慢も、もはやここまで。「ここで降りる」と宣言すると、運転手は道路の真中で車を止め、ついでにメータも止めて「わかった。ここで降りてくれ」と言ってきた。(ここでって、ここは道路の真中だ)。「ふざけるな。どこでもいいから、脇へ寄せろ!」。「俺は左へ行くんだからな」。「わかった、わかった。左に曲がったところで、寄せればいいだろう」。運転手は何か言いたそうだったが、しぶしぶ従った。12.5RMBを払って、外に出る。

 果たして、エア・チケット売り場は存在するのか。ここでエア・チケット売り場が見つからなければ、私は地元の運転手のアドバイスを無視した愚かな観光客となってしまう。発行されてまだ間もないと思われる、真新しい地図に書いてあるのだから間違いないはずだか、はたしてどうか。不安を抱えながらも道を突き進んでいく。すると、ビルの谷間に「厦航チケット販売センター」の看板が見えてきた。あった!ふー、よかった。やっぱり、彼は悪徳運転手だったのだ。あんな目立つ場所に看板があるのだ。知らなかったでは済まされない。念のため、運転手が私を連れて行こうとした方角を地図で確認してみる。すると、はるか遠くの方にエア・チケット売り場があるのがわかった。こんな遠くまで私を連れて行こうとしていたのか。許せーん。

  「厦航チケット販売センター」は「金雁賓館」という五ツ星クラスのホテルの中に設置されている。豪華なロビーにいささか圧倒されながらも、チケット売り場のカウンターの前に立つ。「深センまではいくらですか?」と尋ねると、愛想のいい笑顔で、「いつのご出発ですか」と返事が返ってきた。「5月14日です」。「380RMBになりますね・・・」。とやりとりが続き、申し込み書の記入を済ませる。料金を支払い、チケットを手に入れた。これで残りの時間は、旅に集中できるというものだ。

 ホテルを出て、次なる目的地へ向かうために地図を広げる。タクシーの件は腹が立つが、いつまでもとらわれていては、次にやってくるかもしれないトラブルに対応できない。頭を切り替えねばと自分に言い聞かせる。トラブルと言えば、チケットの日付を確認していなかったな。立派なチケット販売センターだったし、間違いはないだろうが、念のため確認をしておくことにしよう。一度はしまったチケットを取り出し、名前と日付を確認・・・・・・・?あれっ、あれっ、日付が違っているじゃないか、明日(12日)出発になっているぞ。危ない、危ない。相変わらずとんでもない国だ。ダッシュでチケット売り場まで戻る。カウンターで日付の誤りを指摘し、訂正を要請。スタッフが取り出した私の申し込み書を覗き込むとはっきりと14日と書いてある。チケットを渡すと、シールを貼って訂正処理をしてくれた。手馴れたものだ。間違いは日常茶飯事なのだろう。
 中国に来て以来、発券ミスを食らった数はすでに片手でおさまらないが、よもやここで起こるとは思わなかった。油断大敵だ。改めて気を引き締めてロビーを後にする。

 「金雁賓館」に面している「湖浜南路」から「白鷺州路」へ入る。この通りはオフィス・ビルと高級マンションが立ち並んでいる。通りのそこかしこに植えられている樹木も自然な形に整えられていて、これも日本を思い出させる。東莞や深センで角刈り樹木を見慣れた眼にはとても新鮮だ。

 「白鷺州路」から「渓岸路」へと抜ける。この通りはなぜか花屋さんだらけ。通りの両脇が花でいっぱいだ。他には目新しいものはない。そこで、「厦禾路」へ出て適当にバスに乗って終点まで行ってみた。すると、ちょうど今朝到着したアモイ駅で停車。これ以上、歩き回っても何も見つかりそうもない。一旦、ホテルに帰ることに決め、タクシーに乗車した。

【渓岸路】

 17:00、ホテル着。シャワーで汗を流し、着替えをして再度出発(17:20)。バスで行くことに決めたが、小銭がない。そこで、ホテルのそばにあるお店でソーセージを買うことにした。熱した鉄のロールの上でグルグルとソーセージが回っている。このソーセージは一本1-3RMBでどこででもよく売られている。何の肉が使われているのかがはっきりしないので、以前は全く食べなかった。それこそ、病死した豚の肉でも使われていかねないからだ。しかし、不思議なもの。昨年、ふとしたはずみに一度口にしてみると、急に気にならなくなった。油をたっぷり含んでいるので腹持ちもいい。今日も、アモイ駅横のマクドナルドで食事をして以来何も食べていない。小銭も入るしお腹も満ちる。一石二鳥だというわけでソーセージの購入に踏み切ったわけだ。

  ところが、小銭作りのためのソーセージ買いという不届きを神様は許してくださらなかった。2RMBを払って、串刺しとなっているソーセージを手にとり、3分の1ほどのところをガブリと食いちぎったところで、私は慌てて口の中のものを吐き出した。食いちぎった断片の部分に異常なものを発見したからである。あれが何だったのかは今でもわからない。とにかく、当分はソーセージを口にできないのは間違いない。お店のスタッフにクレームをつけると、責任者らしき人が出てきてもう一本新しいのをくれたが、もう食べる気にならない。そのままごみ箱に捨て、吐き気を抑えながらバス停に向かった。
 

【中山路の路地裏】

  バスがなかなか来ないのでしびれを切らして、タクシーで中山路へ向った(8RMB)。中山路はアモイで一番の商店街ということであったが、あまりにも大人しすぎて味も素っ気もない。海しか見所がないのかな、この街は。と思い始めたところで、面白そうな路地裏を発見。狭い道の中で夜店がたくさん開かれている。珠海の「蓮花路」の超ダイジェスト版といった感じだ。双方とも海の街だから、どこかしら似通っても不思議はないのだろう。

 中山路から奥に入ったところにある「定安路」は夜店通り。綺麗な表通りとは違って、いかにも中国らしい露店が道路の両脇に勢ぞろいしている。それでも、ちょっと大人し目かなぁ。

 「泰山路」で「刀削面八宝砂鍋」というのを4RMBで食べて、今日の旅は終わり。さあ、帰ろうかというところで、小さな事件に出くわす。カギをかけたお店に入ろうとしたお客がガラス製のドアに激突。グシャっとガラスが割れた。慌てた客が走り去ろうと20メートルほど歩いたところを店員がつかまえる。しかし、血だらけの客をみて店員がひるみ、結局無罪放免となった。デパート1Fのテナントで建物の内側と外側にドアがついており、夜になって外側のドアだけチェーン製のカギをかけてあったため、注意して見ないと通れないということがわからない。ぶつかったのが自分でなくてよかった。

【定安路】

 今日はどうもさえない一日だったが、まぁ、こういうこともある。明日はアモイ最大の名所。コロンス島巡りだ。頑張るぞー。

2004年2月12日
 9:00、チェックアウト。ホテルの変更を決定した。273RMBという値段とホテルの位置を考慮してのことだ。このホテルは「胡里山炮台」、「南普它寺」、「華僑博物館」という三つの大きな観光地をすぐそばに抱えているので大変便利だけれども、観光が終わってしまうとそのメリットが消えてしまう。部屋がなんとなく殺風景で、面積は他のホテルに比べて広いのだが、机が妙な位置にあったりして使い勝手が悪い構造になっているのも気にいらなった。

 タクシーで昨日目をつけておいた「鷺江賓館」へ向う(8RMB)。実は、昨晩、中山路まで足を伸ばしたときにロビーを覗いておいた。ロビーをみた限りでは四ツ星級のホテル。だが、立地条件は抜群で、コロンス島がすぐ前だ。旅も残り二日だし、少し贅沢をしても許されることだろう。

 ロビーに入り、料金を確認する。正規料金はシングルで410RMBだ。値切っても360RMBがいいところかなぁ。ところが、料金を尋ねると回答はなんと「275RMB」。昨日の「緑洲酒店」とほぼ同じだ。ちょっとぎょっとしつつ、セオリー通り、部屋の確認をさせてもらう。
 見せてもらった部屋はロビー同様非常に豪華にできていたが、シャワー設備だけでバスがなかった。料金はいいが、バスがないのは戴けない。少し料金がアップしても構わないから、バス付きの部屋にしてもらおう。そう決めてフロントで要求を出すと、バス付きがいいなら同じ料金で別の部屋があるという。念には念を入れて、再び部屋の確認。OK。内装が豪華でバス付き、それで275RMBなら言うことなし。チェック・イン手続きを済ませて部屋に入る。服務員に尋ねたところによると、現在、上の階でリフォームを行っていて特別に安くなっているのだそうだ。思い切って、ホテルを変えてよかった。リフォームの工事でうるさくないかが少し心配だが・・・。

【鷺江賓館】

  10:30、ホテル発。ホテルの前の通りを渡ると、たくさんの船着場が客を待っている。○○島行き、△△島行き、◇◇巡りと片手では収まらない。コロンス島行きの船が出る船着場を探し始めるが、どうしても見つからない。「地球の歩き方」によると、行きはお金を払わず、帰りに1RMB払えばよいだけだという。私のもっているのは「2000-2001年版」だから、それから少し値上がりしてはいるにしてもせいぜい2,3RMBだろう。
 是非とも、その船に乗ろうと懸命に歩き回る。が、結局見つからず、コロンス島遊覧という、コロンス島をグルリと回ったあとに到着する遊覧船で行くことになった。たったの10RMB(帰りは無料)でコロンス島を外から参観できるのだから、決して損をしたわけではないのだが、ちょっと敗北感。

 11:45、コロンス島着。島民らしきオバサンやらオジサンがゾロゾロと集まってくる。どうやらガイドをやってくれるらしい。全部を回って10RMBだという。そう言えば、アモイ島側の船着場でも、ガイドが売り込みをかけてきた。あちらは若くて可愛い女の子たち。ガイド料は20RMBであった。どちらを選ぶかは皆様のお好み次第だ。私は中国人ガイドの、ひらすらまくし立てる声の調子が大嫌いなのでガイドはつけずにコロンス島巡りに突入。

  まずは、腹ごしらえから。船着場近くの中華ファーストフードに入る。このファーストフード店は名前は違うが、「藍&海」のチェーン店と全く同じ方式だ。カウンターのところで、好きな料理を選んで小皿によそってもらい、テーブルまで持っていって食べる。芋がゆは食べ放題で2RMB。街中にある小汚い飯屋の3RMBめしとさして変わらない方式だけれども、清潔感と品揃えが違う。私は腹いっぱいになるまで食べて合計20RMBとなった。

 食事が終わると、標識に従って島を右回りに歩き始めた。しばらく歩くと、右手に「孔雀園」と書かれた門が現れた。ところが、ここは残念ながら「整理中」とかで入園禁止状態。放し飼いとなっている孔雀が竹作りの柵の上で休んでいるのを間近に見ることができたので、それでよしとする。 

【孔雀】

  まっすぐ歩いてゆくと、入場門が現れた。料金表を読むと3箇所(「皓月園」、「菽庄花園」、「日光岩」だったと思う)の三点セットで80RMBだという。バラで買うと数十元高くなる。ちょっと迷った後、三点セットのチケットを購入。

 入場して、まずは鄭成功(注)が戦いの勝利(だったけ?)を誓ったという○○亭(名前は忘れました)へと上る。風が強い。昔はこんな立派な橋はなかっただろうから船で来てこの岩に登ったのだろうか。英雄は大変である。

注:鄭成功とは、父をアジアの海で活躍した鄭芝竜としてもち、母を日本人とする日中のハーフである。滅びゆく明朝のために戦い、大健闘をするが、最後は病に倒れた。日本では近松門左衛門の手による浄瑠璃「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」の主人公ともなっている中国の英雄である。

【誓いの場所】

  連日の強行軍が祟ったのだろう。今日は体が重い。少し頭痛もする。SARSチェックで、飛行機に乗れなくなったらどうしよう。鄭成功が誓いを立てたその場所で私が考えたのは、こんなことである。ごめんなさい、鄭成功さん。

 そして、鄭成功の像のところまで登る。少し手前に説明を載せた石牌があって、鄭成功の像(!)のすごさが書かれている。「高さ15.7M、重さ1400トン、マグネチュード○○までの耐震性、落雷対策設備完備」。うーん、すごい。ところで落雷対策設備とは何だろう?雷が落ちてくると、鄭成功像の手が振り上げられ、雷を叩き落しでもするのだろうか。だとしたら、すごい!
  もちろん、そんなわけはない。よくみると、鄭成功像の頭から避雷針が突き出ている。かなり単純な解決方法だ。英雄の像が雷で破壊されてしまっては格好がつかないというのもわかるが、もう少し別の方法を考えたほうが良かったのではなかろうか。「頭上から避雷針」はあまり見栄えのいいものではないですぞ。

【鄭成功の像】

 

【菽庄花園<1>】

 そして、「菽庄花園」。ここは戦乱を避けて島に移り住んだ人が建てた庭園だという。山の風景、海の風景を自然を生かして作り出した趣味のいいお庭といった感じ。でも、こういう箱庭みたいな庭園はどちらかというと日本に多い。だから、特別に感銘を受けるということはない。でも、風景側にある岩の迷路はちょっと面白いので登ってみるといいですよ。

【菽庄花園<2>】

 そして、「日光岩」に向う。「日光岩」というと、なんだか聞き覚えのある名前だが、それは日本の「日光」だ。全然関係がない。すごい名前だが、島から岩が突き出ているだけではないかという気がしないでもない。まぁ、そんなことばかり言っていては、白けるというもの。ピアノの音をBGMに懸命に登っていく。(コロンス等は著名なピアニストを多く輩出しているということで、島の要所要所にピアノの音楽を流してある)。

【日光岩】

 「日光岩」は思ったより遠く、風邪で体調を崩した身には少し厳しかった。それでも、一番上まで上り詰め、コロンス島の全景を楽しむ。コロンス島の家々は中国とはかなり違っていて、マカオを思わせるような異国風味が混じっていた。といって、マカオのようなヨーロッパ風でもないような気もする。どこの国の影響を受けた建築物なのだろうか。少し興味をそそられる。

【日光岩から見たコロンス島】

 「日光岩」から「百鳥園」へはゴンドラでの移動。わずか100メートルほどの距離らしいが、窓のない、小型ゴンドラのため乗っていて相当怖い。風がまとに顔に当たるのが一層恐怖を煽る。最近では日本でもゴンドラの事故が絶えないぐらいだ。まして中国では定期検査なんぞ、お飾り程度のものだろう。神様、ご加護を!

【百鳥園へ向うゴンドラ】

  ゴンドラを降りると、すぐに「百鳥園」だ。いかにも観光スポットという、このネーミングに大して期待はしていなかったが、入ってみると、想像以上に楽しい。大半の鳥は檻や柵の中に入れられて仕切られていたけれども、孔雀や一部の小鳥は放し飼いだ。孔雀が手を伸ばせば届くところをトコトコと歩いていくのだから、つまらないわけがない。船着場の近くにあった孔雀園が閉鎖になっていたのは、こちらの「百鳥園」を強化するためだったのかもしれない。

【百鳥園<1>】

 

【百鳥園<2>】

 

 鳥たちのさえずりに囲まれながら、小道を降りていくとちょうど、小鳥の曲芸会が始まった。動物やイルカの曲芸と違って、小鳥の曲芸をみるのは初めてだ(たぶん)。綱渡りをしたり、小さな缶の上にのって、足で缶を回しながら巧みに移動したりと愉快なショーが続く。最後は客が片手でかかげた紙幣を翼を羽ばたかせて取りに行くという芸まで見せてくれた。予想を越えた満足を与えてくれた「百鳥園」であった。

【百鳥園<3>】

  「百鳥園」のある山を下って、島の反対側へ。すると、ちょうど有名な「鼓浪石」のあるところへ出た。この岩に波が打ちつけるとき出す響きが太鼓のように鳴り響くことから「鼓浪石」と呼ばれ、それがこの島「コロンス(鼓浪)島」の由来となっているのだそうだ。

 さあ、もう見るべきものはほとんど見終わった。少し頭痛もするし、帰ろうじゃないかと考えていると、すぐ脇に船着場がある。ラッキー!立て看板に書いてある発着時間に目を走らせる。だが、次の便がやってくるまでにまだ1時間近くあることがわかった。ここで1時間もボーッとしているのは面白くない。やはり歩いて、反対側の船着場まで戻ろう。

【鼓浪石】

 

【コロンス島のお宮】

 ぐにゃぐにゃした道を適当に進みながら、なんとか島の反対側に出た。綺麗な公園が海岸線に沿って広がっている。潮風と美しい風景が心を弾ませると言いたいが、体はすでに疲労の極みに達している。ただ、ただ船着場に向うのみ。しかし、美しい島だ。こんなところで暮らせたら、幸せかもしれないなぁ。もっとも、私ではすぐに飽きてしまうか。

【コロンス島の散歩道】

 4:00、ようやく船着場に着こうとするころ、この辺りに水族館があることを思い出した。しばらくウロウロし、なんとか到着。入場料金表をみると、70RMBもする。「えー、70RMBもするのー!」と大声でうめくと、チケット売り場の女性スタッフに「大げさに言わないの。大勢で来ているわけじゃあるまいし」とあしらわれた。内容はもっともかもしれない。でも、俺はお客だぞ、対抗するなよ。
 しかし、70RMBとは高いよなぁ。まぁ、深センのテーマパークでは入場料が100RMBを超えるのが普通になってはいるが。

【海底世界<1>】

 さて、水族館の内容であるが、高い入場料だけあって内容は充実していた。ペンギンもいたし・・・。(この後『2004年5月』行くことになる、広州の動物園付属の水族館よりも出来がいい)。イルカのショー、オットセイのショーもなかなかのものであった。うーん、ペンギンは可愛いよなぁ。でも、噛み付きが好きそうだな。

【海底世界<2>】

 

【海底世界<3>】

 

【海底世界<4>】

 5:16、船着き場から出発。コロンス島、さようなら。来るときに買ったチケットをみせると、上船料は無料。チケットがあれば2Fにも登れる。

 5:30、ホテル着。部屋に戻った途端に電話が鳴り響いた。(なんだろう?)と思って受話器をとると、フロントからであった。「今日、貴方はフロントで宿泊の保証金として、いくらお支払いになりましたか?」という質問である。(妙なことを聞くもんだな?)と考えながらも記憶を探るが、思い出せない。「覚えてないよ」と言うと、「800RMBだったはずです」と答えが返ってきた。「ああ、そうだったね」と同意する。「でも、それがどうしたの?」と疑問を示すと、「そのときお渡しした領収書をご覧になってくださいますか」と言うので、財布を取り出した。領収書を探しながら、「領収書に何か問題でもあるの?」と尋ねると、「はい、金額をご覧になってください。1000RMBとなっているはずです」と言う。
 領収書を広げてみると、はたして、本当に「1000RMB」と書いてあった。「わかった。それで、どうしろと?」と問うと、「今からスタッフが800RMBと書いた領収書をお持ちいたしますので・・・」と回答があった。「了解」と言って、受話器を置く。なるほど、800RMBしか支払わなかったことを私に認めさせるために、あんなに遠まわしな説明の仕方をしたのだ。確かに中国だったら、領収書を盾に1000RMBをもらうまで頑張る奴もたくさんいるだろうからなー。でも、今回は私も失点だ。領収書をもらっていて中身を確認していないとは!少なく書かれていたらどうするつもりだったのだ、と自分を叱り付ける。安い料金で良いホテルに泊まれたから浮かれていたのだろうか。

 しばらくして、スタッフが代わりの領収書をもってきたので、快く交換に応じて一件落着。

 本日をもって、アモイ探索はほぼ終了。明日は、適当に市内を回ってみることにしよう。そう言えば、まだお土産を買っていない。

2004年2月13日
 
 朝起きてみると、全身に力が入らない。体力も気力も使い果たしたとはこのことだ。福州⇒泉州⇒アモイと続いた一週間の旅も今日で終わり。明日は帰宅だ。今日は、のんびりと過ごすとしよう。そう決めて、午前中は近所のデパートで買い物をすることにした。

  私自身は記念品や特産品等にほとんど興味がないので、買い物と言っても、ほとんどがお土産だ。ただ、日本人に喜ばれて、なおかつ廉価な商品というのはあまりない。結局、地元のタバコ程度に落ち着いてしまうことが多い。

 会社の人たちへのお土産はタバコに決めて、日本にいる母、妹、弟に対するお土産の選択に入る。まず、確実に送れるとわかっているアクセサリーを数点購入。それから、アモイの名物である干物も数点買ってみる。東莞や深センの私の住む街では、食料品を送ろうとするとなぜか断られる。アモイではどうであろうか。店員に聞いてみると、「問題ない」との答えが返ってきた。しつこく尋ねたが、やはり同じ答えだ。そこで、試しに郵便局に持っていってみようと考えて、先に数点を購入してみたわけだ。

 店員の言っていたことは果たして本当であった。あっさりと郵便手続きが済み、拍子抜けがしてしまった。そこで、再びデパートへ向かい、別の干物を購入。そして、郵便局に戻り、一気に発送した。日本へのお土産は商品の代金と郵送料が同じぐらいになってしまうので小心者の私にはショックだが、まぁ、たまのことだ。たくさん送っておこう。

 午前中は買い物をしただけあったが、なぜかヘトヘトになってしまい、午後まで寝込む羽目になってしまう。熱もないし、頭痛もしないのに体に力が入らない。何よりもどこかへ行こうという気にならないから不思議だ。それでも、数時間後には起き上がり、ホテル周辺の探索に入った。

 すると、船着場の対面にある小さな路で海鮮市場が開かれているのを発見。ものすごい活気だ。お店の人たちは魚の新鮮さを示すために、魚を敷物の上に放り出し、パタパタと跳ねさせている。一昨日行った、「中山路」に今ひとつ元気がみられなかったのは、結局、このアモイという街が商業によって発展してきたのではなく、海の幸によって豊かになってきたことを示しているのかもしれない。「開禾路」周辺が市場通りとなっていますので、お時間のある方は是非よってみてください。 

【海鮮市場街<1>】

 

【海鮮市場街<2>】

 最終日は、海鮮市場巡りをした以外はダラダラと過ごし、夕食は近くの「ピザハット」でピザをテイクアウト。ホテルで食事を済ませることになった。今日は本当に手抜きだったなぁ。でも、クタクタで動けなかったんですよ。

2004年2月14日
 ホテル発。アモイ空港まではタクシーで。乗車してすぐに、運転手が「急ぐか?」と妙に親切なことを聞いてくる。「いや、急がないよ。飛行機の出発までかなり時間があるからね」と答えると、がっかりした様子を見せた。

 そこで、「急ぐのと、急がないのとどう違うんだ?」と質問をしてやると、「高速道路を走るかどうかの違いだ。高速道路で行くと早いぞ。海岸線を走っているから景色もいい」と嬉しそうに言った。
 「いや、いいよ。海は昨日見たし、あんまり早く着いても飛行場で暇だしさ」と言うと、再びがっくりきた様子だ。「料金も高くなるんだろう?」と尋ねると、「そうだ。でも、数十元だけだよ」と恨めしそうにこちらを振り向く。「数十元も違うのか、駄目、駄目」と手を振って断ると、ようやく諦めたらしく、話題を変えてきた。「仕事できたのか?」。「いや、旅行だよ」。「へぇー。いいなぁ」。という具合にアモイの観光地の話題で盛り上がっているうちに空港へ到着。楽しいひと時を過ごすことができた。

 そして、飛行機に搭乗。深セン空港着。タクシーで一直線に我が街へ。

 皆様長らくお付き合い頂きましてありがとうございました。