福州市の旅


灰色の部分が福建省です。

2004年2月7日
 
 7:00アパート発。タクシーの溜まり場でいつもの青タクに声をかける。すると、「今は規制が厳しくて空港まではいけないよ」と言ってきた。これは困った。周囲を見渡しても、今日は青タクしかいない。やむなく、隣の青タクでもう一度試してみる。「空港までいくら?」。「30RMB」。なんだ、行けるではないか。ただし、「中までは入れないよ」と付け加えてきた。「いいよ、それで」と答えて乗り込む。空はまだ薄暗い。

 7:21、深セン空港着。深セン空港にはA棟とB棟があり、まずはA棟へ入る。ロビーに入って電光掲示板をみると、福州行きはB棟でチェックインとなっていた。荷物を抱えてB棟へ移動する。B棟のロビーを見回すと、チェックインカウンターの位置が記憶にあるものと違うのに気づいた。そう言えば、新しくなったB棟に入るのは初めてだった。

 まだ時間が早いので、ケンタッキーで朝食をとる。海鮮粥とポテト棒で7.5RMB。ケンタッキーの朝食メニューを食べるのは初めてだ。味はどうか?・・・美味しい。私の近くのアパートにもケンタッキーがあるが、朝食メニューをやっていただろうか。今度のぞいてみることにしよう。

  7:50、チェックインを済ませて通関。土曜日の朝だというのにもう行列だ。SARS対策の体温チェック装置もフル稼働中、感知器が忙しげに首を振っている。今まで見たことがあるチェック装置と違って、各人の体温が数字で公開される仕組みとなっていた。係員による不正を防止するための対策であろう。

 通関を終えて、待合室に入る。待ち時間を利用して、福州の状況を再チェック。「地球の歩き方」によると、福州は非常に暖かいと書いてある。着込み過ぎたかもしれないとちょっと後悔した。だが、搭乗ゲートをくぐって飛行機までのバスに乗った頃にはすでに雨もどしゃぶり模様。福州でもこの調子なら、暖かくしておいてちょうどいいくらいだろう。

 搭乗して席についてみると、非常ドアのすぐ後ろで前に座席がない。つまりテーブルがない席ということになる。足が伸ばせるので楽だが、ランチを食べるときに非常に不便だ。200席はあると思われるこの飛行機の中で、たった2つしかない妙な席を割り当てられるとは、旅の前兆として吉か凶か。幸い、乗客が少なく隣の席に人がいない。これならば食事は隣の席のテーブルを利用して済ませ、それ以外は自分の席にいればいい。(吉だな、これは)と自分を励ます。

  9:25、離陸。雨はますます激しくなり、水の粒が次々と翼の上を走り抜ける。揺れが激しいので、、ゆっくり眠っていられそうもない。だが、雲を抜け上空に入った途端に雨も揺れもぴたりと止まり、ひと安心。

 10:30、福州着。外をみると、雨が氷の粒となって翼の上を飛び跳ねている。雪が降る中街を散策するのは楽しいかもしれないけれど、旅の最初から風邪をひいてしまったら大変だ。SARSだと判断されて飛行機に乗れなくなって大弱りだろう。

 10:45、20RMBでチケットを購入して、リムジンバスに乗車。市内までは1時間ほどの距離だ。さあ、とうとう福州だと気持ちを張り詰め始めたが、肝心のバスがなかなか出発しようとしない。席がいっぱいになるまで待っているようだ。とうとう、私の後ろに座っていた客が「こんなところで待っていても時間の無駄だ。さっさと出発しろ!」と文句を言い始めた。散々騒いだ後、席を立って、ガイドのところまでつかつかと歩いて行く。お金の返却でも迫るのかと思ったら、「トイレに行ってくるから、出発しないで待っててくれ」などと言っている。なんだ、トイレに行きたくて出発を急いていたのか。人騒がせな奴だ。 

  11:05、バス発。バスの前方に据え付けられているテレビで面白い映画がやっている。しばらく見入っているうちに、とうとう眠ってしまった。途中で大きな橋を渡ったことだけが頭に残っている。

 12:05、福州市内着。「地球の歩き方 広州・桂林と華南」2000-2001年版によると、バスは「閩江飯店」というホテルに着くことになっていた。宿泊料金は350-560RMBということだから、私が泊まるクラスのホテルとしては若干高い。しかし、ホテル選びに時間を費やしていると、街を回る時間が減ってしまう。部屋がよかったら思い切って泊まってしまおう。そう決めてバスを降りた。外は小雨模様だ。

 バス・ステーションを出てホテルの入り口に目をやると、玄関の真上に「阿波羅大酒店」というプレートが取り付けられているのが目に入った。(あれっ、「閩江飯店」じゃないぞ?)。まだ寝ぼけているのだろうか。こめかみに手を当てグイグイと押してみる。そして再びプレートに目をやった。「阿波羅大酒店」。同じだ。うーん。オーナーが変わりでもして、ホテル名を改めたのだろうか。

 不安を覚えつつ中に入ってみると、広いロビーに豪華な内装。これは明らかに正統派四ツ星級のホテルだ。私の予算を大幅に超えてしまうかもしれない。フロントでは、数人の客がチェックインを始めている。私と同じバスの乗客だろうか。後ろに並んで待っていると、ブレザーを着た体格のよい男が話し掛けてきた。「お宿泊ですか?」「・・・うん、一泊いくら?」「300RMBです」。予想していたよりは安いが、私の許容範囲をわずかに超えている。やはり他のホテルも当たってみようと出口に向けて2,3歩足を進めた。

 (でも、外は雨だったよな)。  寒空の中、ホテル探しでうろうろして風邪をひいてしまっては大変だ。さて、どうしたものか。私が躊躇しているのをみてとって、さきほどの男が再び声をかけてきた。「お一人ですか、シングルの部屋なら280RMBですが」。ぎりぎり許容範囲に入ってきた。「部屋を見せてもらっていいかな」と返事をした。

 連れて行ってもらった部屋はかなり綺麗で、設備も整っていた。ユニットバスも真っ白で、これなら気持ちよくお湯につかれるというもの。「ここのホテルは星はいくつなの?」と尋ねてみる。「今はありません。現在申請しているところです」。「オーナーが変わったのかな?ホテル名がガイドブックに書いてあるのと違うけれど・・・」。「いえ、ここは昨年オープンしたばかりです」。「・・・・」。(うーん)。

注:私は、この時点では「閩江飯店」が改名して「阿波羅大酒店」となっているのだと思い込んでいた。リムジンバスの終点が「閩江飯店」から「阿波羅大酒店」に変更されていたのを知るのは、この日の夕方のことになる。

  ゆっくりと疲れを癒せそうな部屋だったので、少し高いがここに宿泊することに決めた。保証金500RMBを支払ってチェックイン(12:20)。おフロで汗を流した後、着替えをしながらホテルの説明書を広げてページをめくる。なんと日本語の説明書きが添えられている。さすが沿海側のホテルだ。インターネットの回線も装備されているのでノートブックを持ち歩いて旅する人には便利なことだろう。私もそんな優雅な旅をしてみたいが、今の財政状態でノートブックをなくしたりしたら大ショックだ。将来の夢ということにしよう。 
 

【阿波羅大酒店】

 1:00、ホテル発。現在位置がはっきりしないまま、とりあえず南に向かって歩き出す。10メートルほど進んだところで右手の方角に屋台を発見。近寄ってみると、大きなザルと小さなどんぶり、ボウル等が台の上にのっている。ザルにはビニールがかけてあり、その中にキャベツと小麦粉をあえたものがどっちゃりと詰まっていた。どんぶりには豚肉、ボウルにはダークグリーンの何か(?)が入っている。この三つを混ぜて油であげて売っているようだ。これは初めてみる食べ物だ。値段を聞くと、1個1RMBとのこと。早速、注文して一つ頂く。・・・・・うん、美味しい。屋台には珍しい海鮮系の味だ。きっと、あのダークグリーンのものは、貝の干物等を水でふやかした食材なのだろう。出発早々、こんな屋台に出会えるとは運がいい。

【屋台発見】

  少し行ったところで、もう一つ別の屋台が目に入る。パンでニラと薄いトンカツを挟んだものをセイロで蒸している。これもうまそうだ。1個1RMBというので、一つ購入。おおー、これも美味い・・・かと思ったが、冷たくなっていてあまり美味しくない。セイロから出ていた蒸気は見せかけだけの偽ものだったのだ。がっかり・・・。

【五一中路】

 さらに下って行くと、バイタクがぞろりと集っているのが見えてきた。そばに寄って上を見上げてみると「福州バス・ステーション」とある。うーん、こんなにホテルから近いはずがない。「地球の歩き方」の地図では、もっと南にあったはずだ。引越しでもしたのだろうか。引越しをして、なおかつ名前も変わるなってことがあるだろうか?
 「地球の歩き方」の地図が間違っているということもある。念のため、売店で福州の地図を購入し、じっくりと眺めてみる。地図によると、下ってきた道は「五一中路」。「地球の歩き方」と同じだ。駄目だ、わからない。リムジンバスの終点が変わったということも考えられるが・・・。

*注)実際には、空港発リムジンバスの終点が「阿波羅大酒店」の敷地内に変わっただけであった。ただ、「閩江飯店」の敷地内にもバス・ステーションがあったから、或いは私が眠っている間に寄っていったのかもしれない。

【福州バス・ステーション】

  これ以上考えていても仕方がないので、バス・ステーションの中に入り、次の目的地である「泉州」行きのバス便を探す。料金表をみると、安いのから高いのまで4,5種類のバスが出ている。一番高いもので70RMBぐらい。料金はともかく、これで「泉州」までの足は心配がなくなった。さあ、福州巡りに専念するとしよう。

 今度は下ってきたばかりの「五一中路」を逆に上っていく。「于山風景区」へ行くためだ。そもそも、「五一中路」を下ってきたのだって「于山風景区」へ行くのが目的だったわけだが、ホテルの位置が予想より南にあったために逆方向に来ることになってしまったのだ。
 「五一中路」はよく整備されていて、中国の道路とは思えないほどだ。横断歩道はなく、道路を横断するには地下道か歩道橋を渡っていくしかない。道路には自動車以外にバイタクや自転車が走っているが深センの特区外のような混乱した様子は全くなく、非常に秩序だっている。
 また、数は少ないけれども、緑の郵便ポストが所々に置かれており、市民の便宜が図られていた。一言に郵便ポストを設置すると言っても、中国では容易なことではないだろう。郵便ポストを街中に設置するにはポストを利用する人たちの大部分が「郵便を規則に従ってポストに入れることができる」という前提が必要だ。皆が好き勝手な大きさの郵便物をどんどんポストに放り込んでいたら、郵便局は処理に困って大混乱間違いなし。また、「ポストにゴミを投げ入れたりしない」というモラルも要求される。従って、住民の大半が地元民であり、教育・モラルが一定の水準に達していなければならないことだろう。(深センにも郵便ポストはあるが、郵便局の前など監視が行き届く場所に限定されて設置されているようだ)。

追加情報(2004年7月):日本で初めてポストが設置されたのは1871年(明治4年)だそうだ。(切手の発行も同じ時期に始まったとのこと)。当時は書状集め箱」や「郵便箱」と呼ばれていたらしい。色は、日本のポストは赤色、中国のは深緑色、ユーゴスラビアでは黄色、米国は青色と様々だ。

  2:00、「古田路」に到着。地下道を抜けたところに「于山風景区」があるはずだ。地下道へ入る直前に、「省科技館」という建物を発見。地球の歩き方には載っていなかったが、日本の科学博物館等に相当するものではなかろうか。面白そうだけれども、今は主な観光地を回るのが先だ。後で時間に余裕があったら来てみるとしよう。

 地下道を越えると、DICOS「徳克士」があった(大陸版ケンタッキー)ので昼食にする。DICOS「徳克士」で食事をするのも久しぶりだ。昨年、「雲南省」の麗江で食べたのが最後ではなかったか。DICOS「徳克士」の特徴は、チキンがジューシーなこと。また、スープが少し高いが美味しい。そして、ケンタッキーやマクドナルドが絶対にないような僻地にも存在しているという出店力。ただし、その分、地域による品質のバラツキは激しい。福州のはどうか。

追加情報(2004年7月):DICOSは大陸系ではなく、米国系であることが判明致しました(経営は台湾の「頂新国際集団」)。洋風ファーストフード店では、マクドナルド、ケンタッキーに次いで第三位の規模だそうです(2003年)。マクドナルド、ケンタッキーが直営店を主体に拡大しているのに大して、DICOSはフランチャイズ店が主流。マクドナルド、ケンタッキーが大都市を中心に展開しているのに対し、DICOSは中小の都市で大活躍という相違があるようです。

 お店に入って、まず驚いたのはメニューが豊富になってライスものが非常に増えていることであった。一瞬、お店を間違えたのではないかと思ったほどだ。チキンだけではケンタッキーに抗しきれず、ライスものに勝負をかけたのだろうか。チキンファンからすると、メニューの多様化に走るのは二番手、三番手のチェーン店がやること。あまり良い印象はない。だが、昨今は狂牛病や鳥ウィルスが流行り一本勝負は危険な時代だ。いずれ、ケンタッキーがDICOS「徳克士」に追従する日がやって来ないとも限らない。

 チキンを注文して味をみる。残念ながら、南方のDICOS「徳克士」と異なりジューシーさが少ない。しかし、お店は大盛況。広い店内がほぼ満席状態であった。少し固いのが福州人の好みなのだろうか。そんな事を考えながら、チキンを平らげた。コーヒーは少し口をつけただけで、残す。まだまだ、力いっぱいだ。明るいうちに歩き回るぞ!と出発。

 「于山風景区」はすぐ隣だ。勢いよく向かったが、入口が見当たらない。ウロウロしているうちに屋台が二つ並んでいるのに気がついた。一つは練り飴屋、もう一つは棒饅頭屋だ。「練り飴」は細かく砕いたピーナッツをキャラメルで包んだもの。それをとぐろ上に巻いて売っていた。買手が現れる度に、値段に応じた長さに切って渡している。私も0.5RMBだけ買って味見をしてみた。甘くて腹持ちの良さそうな食べ物だった。「棒饅頭」はその名の通り、棒型の饅頭。1RMBで2本買ってムシャムシャと食べる。こちらは程よい甘さで日本人向き。福州に来られた方は是非食べてみてください。お土産にもいいかな。

  自力で見つけるのは無理だ。そう判断した私は、やむなく棒饅頭屋のおじいさんに尋ねた。「『于山風景区』はどこから入るの?」。「そこの階段を上ってすぐじゃ」とおじいさんは近くの石段を指差した。その石段は決してみすぼらしいわけではないが、「風景区」と名づけられているほどの場所の入口としては小さ過ぎる階段なので、これまで無視していたのだ。

 この階段が入口・・・。長さ5メートル、幅2メートルほどの階段を上がってゆくと、そこには山に沿った細い車道があった。車道は十数メートルほどまっすぐ伸びたあと、左に向かって曲がっている。(これは、ちょっと違うのじゃないか)と疑いつつも、道なりに歩いていく。すると、意外にも、左に折れてすぐのところに、チケット売り場とおぼしき建物が現れた。「于山風景区」の入口だ。(ありがとう、おじいさん)と心の中でつぶやく。

 チケット売り場は無人で、入場料をとる様子はない。道路の両脇が樹木で覆われ、観光地というよりも森林公園といった趣だ。さらに50メートルほど進んだ道路脇に、「戚公祠」の門が現れる。ここをくぐりぬけ奥に入って行くと、「恥国雪誓」と書かれた真っ赤な字が目に飛びこんできた。(反日関連の建物か)と腰がひける。リックサックを背負って、いかにも観光客という姿をした私としては、入って行きにくい場所だ。民衆(?)の怒りに触れ袋叩きにされる自分の姿が思い浮かぶ。だが、こんなことで怯んでいたら、中国で観光地巡りをするのは不可能だ。思い切って進むしかない。

【于山風景区:戚公祠】

 階段を上がってみると、木造の赤い建物が一軒あるきりだ。建物の横に置かれている石に何やら説明が書いてある。きっと抗日の戦士でも祭ってあるのだろう。(*注)

*注)帰宅後に調べたところ、戚継光(1528-87)という明時代の将軍を祭ってある場所だとわかった。南では倭寇退治、北では蒙古撃退に大きな功績を残したが、中央の役人に嫉妬され最後は不遇の死を遂げたとのことだ。

【于山風景区:榕寿岩】

   「戚公祠」の敷地を通り抜けて階段を下っていくと、「白塔」が建っている。狭い敷地に立てられているので若干窮屈な感じだ。余程年代を経ているらしく、「白塔」といっても「昔は白だったんだろうな」という程度の色合いしかない。塔のすぐそばに陣取っている写真屋のオバサンの呼び込みを振り切り、塔の中に入る(2RMB)。この塔の階段は、外壁に沿ってぐるぐる上っていく形になっている。(そう言えば、恵州西湖の「泗洲塔」の階段は中央を折り返しながら上に向かっていくようになっていた。一口に塔といっても、いろいろあるものだ)。「白塔」の階段の特徴はもう一つある。階段の段差が大きいのだ。一段一段を上るのが一苦労だ。息を切らせながら、なんとか最上階へ辿りつく。
 「白塔」はそれほど高い塔ではない。その上、「于山風景区」全体が街中にあるので、最上階からの眺めはずいぶんと期待外れであった。しかし、火照った頬に絶え間なく流れている風が当たって気持ちがいい。
 そして、下り。上る時は気づかなかったが、階段が相当老朽化している。一段下るたびにミシミシと階段が鳴った。私の体重がもう少し重かったら、支えきれないのではなかろうか。

【白塔の内部】

    「白塔」を出て、 「戚公祠」まで戻る。「戚公祠」の敷地はそれほど広いわけではない。しかし、階段が複雑に組み合わさっているため、実際の面積よりもはるかに広く感じられる。半分迷路のようなものだ。

 「戚公祠」を出て、しばらく歩くと、今度は「大士殿」がある。辛亥革命の総指揮部が設けられた場所らしい。入場は無料。ただ、奥に入ると、明時代だかの壺を見せる展示場があり、そこには3RMB(だったかな?)を支払わないと入れてくれない。

【大士殿】

 「大士殿」を出て道路を登っていくと、あっと言う間に頂上へ到着。頂上付近では、老年の人達が十数人ずつグループを作り、中国の楽器を鳴らして練習をしていた。練習と言っても、ひとりひとり弾いているわけではなく、グループの一つ一つがオーケストラのように合奏している。きっと演奏会が近いのだろう。どのグループも一生懸命だ。音が暖かいのは中国の楽器の特徴であろうか。

【演奏を楽しむ老年の人達】

  「于山風景区」から「古田路」へ出る。今度は「烏山風景区」へ向かうため、西に進んだ。「古田路」の歩道は広くて歩きやすい。市内の観光地が多いので、自転車力車がそこらじゅうを走っており、ベルの音がうるさいぐらいに響き渡っている。

【古田路の歩道】

 3:16、「古田路」と「烏山路」を結ぶローターリーに出た。ロータリーの中心には福州を代表する樹木である「榕樹(ようじゅ)=ガジュマル」が真中に植えられており、威容を誇っている。

【古田路と烏山路を結ぶロータリー】

 このロータリーの位置からは「烏塔」という真っ黒な塔が見える。周囲で整地工事が進められていたため、近くまで近寄れなかったが「于山風景区」の「白塔」と一対な存在として建設されたのではないかと勝手な想像を楽しんだ。

【烏塔】

  「烏山路」へ入ると、急に上り坂になり、同時に道がグネグネとうねり始めた。周囲の建物も古いものがそのまま残り、「古田路」に比べると大分寂しげな様子だ。左手に小さな湖があり、その真中に一軒家が建てられているのが見える。湖の中の一軒家とは珍しい。誰が何のために建てたのだろうか。

【湖の中の一軒家】

 地図によると、「烏山路」のそばに「烏山風景区」があるはずなのだが、一向に入口が現れない。とうとう「烏山路」の端まできてしまった。やむなく「白馬北路」を北上する(3:47)。

【白馬北路】

 3:55、「光禄坊」着。「烏山風景区」探しはあきらめて、街の散策に専念することにした。「光禄坊」は福州を代表する「三坊七巷(*注)」の一つ。「三坊七巷」は一言であらわすと、いわゆる「老街(古い町並み)」の集合体。他の地域の「老街」よりもかなり大規模で、活気に溢れている。

*注)「三坊七巷」=「三坊」は、「衣錦坊」、「文儒坊」、「光禄坊」。「七巷」は、「楊橋巷」、「朗官巷」、「塔巷」、「黄巷」、「安民巷」、「宮巷」、「吉庇巷」。

【光禄坊1】

   まずは、「光禄坊」をまっすぐ進む。この通りを歩き始めてすぐに、私はここが他の都市の下町と全く違うことに気づいた。他の都市の下町というと、急激に発展する中国の波に乗り遅れた場所というわけで、建物だけでなく、お店も人々もぼやけたような感じになっていることが多い。
 ところが、福州の下町は違った。全てのお店が知恵を振り絞って、最高の商売をしようと競い合っているのだ。資金に余裕のあるお店はリフォームをして、お金のないお店は陳列に工夫をして、という具合に各々の店のオーナーが努力と情熱を注ぎ込んだことがビンビンとこちらに伝わってくるほどであった。

【光禄坊2】

  「光禄坊」と「吉庇路」はひと連なりになっている。ここを抜けて、「八一七北路」に入る。「八一七北路」は格段と賑やかな商店街だ。ここでも、各々の店がエネルギッシュに物売りをしている。面白いことに、他の都市では街のイメージアップに大きく貢献している「ケンタッキー」や「マクドナルド」が、この福州の街中ではおまけの飾りのようにしかみえない。まるで、成績は悪いが元気な学生たちの中で、クラスの優等生が精彩を失ってしまっているかのようだ。

【八一七北路】

 この街が他の都市のものと大きく異なる点がもう一つある。例えば、広州の上下九路は綺麗な上に歴史的な味わいがある、私がもっとも好きな通りの一つだ。しかし、その賑やかさは、広東省の富を集中させた結果であり、買い物客の主流は裕福な市民もしくは着飾った外地人に限られる。比べて、福州の商店街では繁栄度では広州に劣らないにも関わらず、ごく中級の市民がショッピングを楽しんでいるという印象を強く受けた。中級社会が着々と育まれているのではないか。

【楊橋東路】

   「八一七北路」から「楊橋東路」へ。「楊橋東路」は交通量の多いオフィス街といった感じだ。不動産屋がやたらに多い。地図によると、ここに「林則徐」という歴史上の人物の住居だった場所があるはずだ。注意して探すが見当たらない。諦めて、まっすぐ歩きつづける。そうすると、再び「白馬北路」まで戻ってきた。すでに4:55だ。4時間近く歩きっぱなしだ。かなり足がへたれてきている。

 地図をみると、「福州西湖」がすぐそばだ。そこで、「白馬北路」と反対側の方向である「湖浜路」を歩いていくことにする。すると、観光客らしき中国人に道を聞かれた。「私は地元の人間じゃないんで」とやんわりと断る。市内に観光地が多いせいか、よく道を聞かれる。今日はこれで2度目だ。
 中国で道を聞かれると、たいがい相手は奇妙な中国製のスーツを着た痩せた男で、なんだかキャッチセールスに捕まったような気分にさせられる。だから、慌てて断り文句を述べることになり、いつも後味の思いをするのだが、福州では、尋ねるほうの身なりが観光客然としているので、こちらも安心。落ち着いて対応して、気持ちよく別れられるのがありがたい。

【福州の西湖1】

 「福州西湖」着。入場料は15RMB。すでに夕方とあって、人は少ない。面積的には「恵州西湖」よりはるかに小さいのではなかろうか。綺麗には綺麗だが、あくまで人工湖なので日本人にとってはどうもピンとこない美しさだ。湖の中には小さな島が幾つかあり、そのうち一つは、遊園地になっている。こじんまりとしているけれども、ジェットコースター、モノレール、その他アトラクションの数は多い。家族連れでくればけっこう楽しめることだろう。 

【福州の西湖2】

 5:30、西湖を出る。もう一歩も動けないほど疲れている。ところが、こういうときに限って、タクシーも人力車も通らない。近くにバス停があるので、バスを利用する人が多いようだ。しかし、地理にうとい私では路線が把握できず、利用が難しい。諦めて、テクテクと歩き始めた。

 「湖東路」をひたすら歩き続ける。オフィス街と商店街が半々といった感じの道だ。不動産屋がやたらに多い。途中、人力車をみつけて交渉を始めるが、地元人の運転手らしく、遠くへ行きたがらない。しまいに15RMBなら行くなどと言い出したので、交渉をあきらめ徒歩を敢行することにした。

 6時過ぎ。当初泊まる予定だった「閩江飯店」の横を通りがかる。遠くからみる限りでは三ツ星クラスのホテルに見える。バス・ステーションもあるようだ。空港からのリムジンでここに到着するものもあるのだろうか。

 最後は「五四路」、「五一北路」、「五一中路」を一気に歩き抜く。この大通りは昆明のものとよく似ているが、規模も力強さも福州の方がはるかに上を行く。所々にある横断歩道を信号に従って渡っていくうちに、やけに急かされることに気づいた。信号が変わるスピードが異常に速いのだ。とろとろしていようものなら、道路の真中で赤に変わりかねない。発展に邁進している街は生活のスピードだけでなく、信号まで早いのか。しかし、疲れきった体には少しばかりこたえる。

 6:30、ホテル近くのステーキハウスで食事をする。サラダ食べ放題という宣伝文句にひかれたのだ。入ってみると、サラダだけでなく、中華の炒め物まで食べ放題。だが、肝心のステーキはかたくてあまりおいしくなかった。

 食事を終え、ホテルに入る。今日は本当によく歩いた。最初からこんなに飛ばしてしまって、後がもつだろうか。お風呂に入って疲れを癒そうとバスタブにお湯を貯め始めるが、お湯が熱くならない。しびれを切らし、フロントに電話をする。「温泉のお湯なので、熱いお湯が流れるまでに時間がかかります。十分ほど流しっぱなしにしておいてください」とのこと。そうか、温泉か。ちょっと喜んで、お湯をがばっと出す。待つこと15分。全然変わらない。もう一度フロントに電話。「冷たい水がパイプに残っているためです。申し訳ありませんが、もう十分ほど流しっぱなしにしておいてください」。本当かよ、と疑問が湧き始める。だが、そう言えば、以前に旅館で働いていたとき、同じようなことをやった記憶がある。とにかくもうしばらく待ってみよう。

 待つことさらに十分。ようやくアツアツのお湯が出てきた。うーん、幸せだ。今のアパートはバスタブがないからお湯につかる楽しみがない。さあ、ゆっくりとつかって疲れを癒すとしよう。明日も頑張って歩くぞ!

2004年2月8日
 

  8:00、ホテルのバイキングで朝食をとる。昨日の強行軍がもたらした疲労はまだ癒えておらず、体が重い。その上、外は大雨だ。最初からあまり無理をして風邪をひいては馬鹿らしい。食後、再びベッドに横になって雨が止むのをじっと待った。

 10:15、雨はまだ止まないが、これ以上は待てない。厚着をして、万全の体制で部屋を出る。

 第一の目的地は「林則徐記念館」。最初につかまえた人力車は「林則徐記念館」がどこにあるかわからないという。次に来たのはバイタク。10RMBで一応話しはついたが、この雨の中を屋根のないバイタクで行くのは辛い。着いた頃にはずぶぬれになってしまうことだろう。そこで、再び待ち状態に入る。10:35、2台目の人力車が来た。5RMBで話がつき出発!

 
10:55、「林則徐記念館」着。「林則徐」は福州出身の清代の政治家である。時の皇帝、道光帝から欽差大臣として特命を受け、広東省にてアヘン撲滅に取り組んだ。結果、イギリスとの間にアヘン戦争を引き起こし、中国はイギリスに莫大な賠償金を払うことになった。林則徐は責任を取らされて、新疆に飛ばされる。その後、許されて今度は太平天国の乱を鎮圧する欽差大臣として派遣されるが、途上にて病死した。今日の中国では清廉潔白な愛国者、英雄として称えられている。
 

【林則徐記念館<1>】

  その林則徐の記念館だけあって、内部はアヘンの害毒をアピールする展示品がたくさん置かれている。林則徐の等身大の像もあって、偉大な英雄を前に畏敬の念を禁じえなかった・・・、と言いたいが、林則徐の偉大さを知ったのは帰宅後、インターネットで調べてからであった。まっ、とにかくアヘンはよくない。ちなみに「林則徐記念館」というのは、広東省東莞市虎門鎮と新疆にもあるらしい。どちらも林則徐と縁の深い場所だ。林則徐の生涯を簡単にでも調べてから行くと、一層感銘を受けることだろうと思う。

【林則徐記念館<2>】

  「林則徐記念館」の前は「澳門路」。この辺りは木造の家が多い。ここから「南后街」へ足を踏み入れる。福州の見所である「三坊七巷」はこの「南后街」を拠点として探すとわかりやすい。ボーッとして歩いていると、見過ごしてしまうので、左右に注意をして、路地があったらすかさず確認しよう。通りの入り口上方に通りの名を記した看板が取り付けられているのだが、風景に溶け込んでいるせいか意外に気づかない。面倒だが、一つを見終わるごとに「南后街」までいちいち戻ったほうが確実に全部を見ることができると思う。

【澳門路】

 

【宮巷<1>】

 まずは、「宮巷」から。「宮巷」には著名人の旧居がいくつか見られる。著名人といっても、福州の著名人ということなのでインターネット上でも情報はなかなか集まらない。下は「沈葆禎」の旧居だ。「沈葆禎」は清朝の大臣で、台湾の首都台北の設置に深い関わりのある人物らしい。

【沈葆禎の旧居】

 この辺り一帯はレンガと木材を組み合わせた家々が多いのが興味深い。統一感というものに無頓着な中国人ならではのことのように思えるが、地震の少ない中国ではこれが意外と機能的なのかもしれない。
 福州で目立つのは、公民館のような政府や共有の建物には敷地を覆うようにして高い鉄の柵が備えられていることだ。深センではあまり見ない造りだ。これは華僑の故郷である福州ならではのものなのか・・・。

【宮巷<2>】

  続いて、「安民巷」、「黄巷」、「衣錦坊」、三坊七巷には入っていないが、「閩山巷」を回った。現代の少し前、近代の頃の中国はこんなだったんだろう。そんな思いを強く感じさせられる。雨に濡れたレンガ作りの家々が一層雰囲気を盛り立ててくれ、街に自分が溶け込んで一枚の絵になってしまったような錯覚に陥った。

【安民巷<1>】

 

【安民巷<2>】

  スピード発展中の中国であり、各地の古い町並みは次々と取り壊されつつある。それでも多くの「老街」がまだ残されているが、その中でも福州の「老街」は特別だと私は思う。生活の音、香りがあり、近所付き合いをしている人々の声が溢れている。

【黄巷<1>】

 

【黄巷<2>】

 

【衣錦坊】

   「閩山巷」となると、もう人ひとり通るのがやっとの幅しかない。細い通路を通り抜け出たら、そのまま清の時代へ出てしまうのではないかと思わず歩みが止まる。そんな気分にさせられる通りだ。

【閩山巷】

 

【丈儒坊】

 「塔巷」は庶民の食事街。周囲のお店で働く人たちがワイワイやりながら楽しく食事をしているのをみると、こちらまで笑顔が溢れてくる。

【塔巷】

 「朗官巷」は「三坊七巷」の中では、一番元気がない。すぐ隣が大通りになっているので、そちらにエネルギーが全て吸い取られてしまったかのようであった。

【朗官巷】

 最後に「南后街」へ戻る。「三坊七巷」には含まれていないが、この「南后街」もけっこう楽しめる。衣類と靴の販売が主流の商店街だ。先にも述べた通り、1Fがレンガ作り、2Fが木造となっている。一旦眺め始めると、目が離せなくなる魅力ある建物群だ。こんな商店街はずっと残っていて欲しいものだ。

【南后街】

 「南后街」から「西禅寺」へ向うことにする。「澳門路」を抜けて「道上路」に差し掛かったところで、ついでに昨日みつからなかった「烏山風景区」を探してみるがやはり見つからない。あきらめてそのまま真っ直ぐ進み、「白馬北路」を越える。ここで体力が尽きた。「西禅寺」は思ったよりも遠い。

  もはや歩くのは無理だと判断し、乗り物がやってくるのを待つ。ところが、待てども待てども何もやって来ない。やむなく再び歩き出したところで、ようやく自転車力車が走ってきた。嬉々として値段交渉を持ちかけると、「10RMB」だという。(高い・・・でも、ここでこいつを逃したら歩いて行かなけりゃならん。背に腹はかえられん)。交渉をやめ、座席に乗り込んだ。

 座席に乗り込んでほっとしたところで、再び料金について考えた。10RMBは高い。どれだけ遠くまで行ったら自転車力車で10RMBなんて値段がつくのだ。「10RMBだなんて、タクシーより高いんじゃないか?」と文句を言ってみた。すると、「もともと人力車はタクシーよりも高いもんだよ」と言い返された。「人力車は人が漕いでいるんだぞ!」。「外の空気も味わえるし!」。など等、延々と人力車が高い理由を述べ立てる。黙っているといつまでも続けられそうなので、「わかった。わかった」と大声で言ってやると、ようやく黙ってくれた。
 同じ距離を行ったって、タクシーより、バイタクの方が安いのだ。だから、人力車がタクシーよりも高いなんて絶対に納得がいかない。でも、福州の街には、他の街にない味わいがあり、観光客としてなら確かに人力車の方が価値が高い。でもなぁ~。

【西禅寺】

 12:50、西禅寺着。広々としていながら静謐な空気、いい感じのお寺だ。おおっ、塔がある。登れると面白そうだが、これだけ高いと相当な体力を消耗しそうだ(1RMB)。塔までの道のりでウサギが放し飼いになっているのを発見した。追いかけてみるが、瞬く間に逃げられてしまう。いや、いや、俺はこんなところで体力を消耗していてはいけないんだ・・・。

 さあ、登るぞ!階段は整備されていて上りやすい。だが、一つ一つの段差がかなりあるので、大変だ。各フロアの面積が大いので、登っていて不安はない。1Fの高さが約5Mほど、全部で15Fまであるらしい。エレベータでもついていれば快適なんだが・・・、とぼやいてみる。11Fを超えた辺りから階段の段差が一層広がった。もはや、息がゼイゼイと止まらない。 

【報恩塔】

 15F!ようやく最上階に到着。この塔はほとんど全ての建物よりも高い。福州全景を眺めるには最適だ。福州に来た方は是非、この「報恩塔」に登ってみてください。お勧めです。

【福州市、報恩塔から】

  「報恩塔」を降りると、すぐ隣にある「五佰羅漢堂」に挑戦。お堂というよりお城みたいな立派な造りだ。入場料の3RMBを支払って中に入る。

【羅漢堂】

 「羅漢」を中国語の辞書で引いてみると、「仏教で悟りを得た聖人」のことを指すのだという。要はお坊さんのことだろうと単純な理解を試みる。「五佰羅漢」というだけあって、お堂の中はお坊さんの像で一杯。どれ一つ同じものはなさそうだ。全部実在の人物なのだろうか。或いは、想像の産物か。もうちょっと色使いが綺麗だといいのになぁ。

【五佰羅漢、羅漢堂の内部】

 全部で6Fまであり、5Fまでは等身大のお坊さん像で一杯。最上階の6Fには黄金色の巨大な仏さんがでんと腰を据えている。これが仏陀なのかな。

 「西禅寺」を出てタクシーをつかまえ、「開元寺」へ向う(14:00)。タクシーの初乗りは7RMBで、「開元寺」までは合計11RMB。人力車よりもかなり安い。でも、乗っていて楽しいのは人力車だ。

【開元寺<1>】

 「開元寺」は再建中ということで、入場は無料。説明を読むと、福州では最古のお寺で、その歴史は1500年だという。取り壊したばかりの建物の跡地には、恐らく有名な和尚さんであろう人物の像が置かれていた。ぽつんと置かれていて、寂しげな様子であるかというとそんな事はない。なんだか威風堂々としている。石でなかったら、思わずひれ伏していたかもしれない。

【開元寺<2>】

追加情報(2004年7月):開元寺は、開元二十六年(738年)に、玄宗皇帝が各州に一つずつ大きな寺を作るように指示したことから生まれた。当時は十数寺あった開元寺であったが現存するのは片手に満たないという。当HPでご紹介したのは、現時点(2004年7月)までで潮洲、福州、泉州の三つ。残りはどこにあるのだろう?観光向けに復活したのもありそうだから、意外にたくさん存在するかもしれない。

「開元寺」を出て、「鼓東路」へ。ここは日本人が多く来るのだろうか、日本式焼肉と書かれたお店が2店もある。

【鼓東路】

 「鼓東路」を出て、「八一北路」へ入る。そして、デパートにてちょっとお買い物。商品が豊富で、活気がある。何よりも店員が楽しげに仕事をしているのがいい。深センのような出稼ぎ生活に疲れたような様子がない。お客も地元の人らしき、裕福そうなひとが多い。なんだか、福州の街中にだけ中流社会が実現されたような様子だ。

 デパートを出る。雨はまだ止んでいない。ふと前を見ると、両手一杯に折り畳み傘をぶら下げた行商人が辺りをキョロキョロ眺めながら歩いている。お店に傘を運ぶ途中なのかなと思っていたら、違った。正面から歩いてきた、傘なしの女性の前でササッっと傘を下ろし、セールスを始めたではないか。女性は渡りに船とばかり、素早く購入を決めた(もちろん、値段交渉は欠かさない)。面白いので、しばらく眺めていると、行商人は再び次の獲物を見つけ、首尾よく傘を売り上げた。なるほど、傘を忘れて雨に降られた歩行者を見つけては傘を売りつけているのだ。効率的というか貪欲というか、やるなー、華僑商人って感じであった。

 14:40、塔巷へ再び戻ってきた。ここで食事をとることにする。屋台もどきのお店がたくさんある中、大判卵焼きを専門にしている店があったので、中に入って注文。ついでに、スープも頂くことにした。値段は大判卵焼き2.5RMBに、牛モツスープが3RMB。オーナー風のオバサンが次々と卵焼きを作り上げ、出稼ぎにきたと思われる下働きのオバサンに渡し、それが席についたお客のもとに届けられる。

  すでに3時近くになっているにも関わらず、お客が次々とやってくる。その煽りを受けて私の卵焼きがやってきたのは15分後であった。目の前に広げられた大判の卵焼きを前に気合が入る私。テーブルに置かれた特製ソースを卵の上に箸で伸ばす。そして、一部を箸で切り裂き、大きな口でパクッ!うん、うまい。特別なスパイスが入っている風はないが、毎日食べても飽きのこない味だろう。牛モツのスープもいける。

 遅い昼食なので、食事が進むのが速い。瞬く間に平らげてお勘定。大判焼き2.5RMBに、牛モツスープが3RMBだ。6RMBを用意して、下働きのオバサンがお金を受け取りにくるのを待つ。
 お客の一人にスープを渡したあと、オバサンがこちらに向ってきた。ところが、このオバサン、私からお金を受け取る一瞬、こっそり、オーナーの方を振り返った。そして、オーナーが卵を焼き上げるのに夢中でこちらを見ていないことを確認した後、ささっと代金を受け取って引き下がった。

  (何だろう、今のは?)と戸惑いを隠せないまま、私はお釣りの0.5RMB(5角)が返ってくるのをまった。ところが、このオバサン壁際に立ったまま動こうとしない。ただ、視線だけはこちらに向けている。
 ここでようやくオバサンの行為が明らかになる。つまり、私の支払い金額をオーナーが見ているかどうかを確認していたのだ。そして、もし私がお釣りを要求すれば素直に応じ、そうでなければ彼女の懐に5角が入るというわけだ。実際には、この場でそこまで考えたわけではない。オバサンが5角をごまかすつもりだという意思を感じ取っただけである。
 普段なら、瞬間的に「5角!」と呼びかけるところであったが、このときはオーナーの様子を確認する用意周到さを織り交ぜた、5角への執念に圧倒されたのだろう。なぜか、言葉が出てこなかった。

 店を出てしばらく、オバサンの行為を反芻し続けた。あれは本当に悪意だったのか、あるいは偶然に過ぎなかったのか。食事が終わるまで信じつづけていた福州の豊かさ-富だけではない、心の豊かさ-とオバサンの貪欲な行為が私の頭の中でガツン、ガツンとぶつかりあって、不愉快な音を立てつづけている。こんな気持ちになるぐらいだったら、でっかい声で「5角よこせ」と言っておいたほうがよかった。
 だが、私は言うつもりがなかったのだ。店を出る私の背中にオバサンの声がかかるのではないかと期待していたから。そうすれば、私が頭の中に作り上げていた理想の福州と現実がうまく一致するではないか。
 そんな勝手な私の想像を、「5角」が打ち砕いた。参りました、オバサン。

【塔巷のお食事どころ】

 不愉快な出来事ではあったが、起きてしまったことはもとに戻せない。まだ、旅の途中だ。一つのことに心を奪われてしまっていては次に起こるかもしれない未知の出来事に正しく対処できない。とにかく今は忘れることだ。この事は夜中にでも、或いは旅の後にでもゆっくりと考えればよい。そう決心して、街を流れる人の群れに意識を集中する。

  「八一七北路」をさらに下って、「津泰路」へと曲がる。いい加減に疲れてきたので何台かの人力車と交渉をするが、値段が折り合わず、断られた。福州の人力車は本当によく断る。それだけおいしい客が多いということなんだろうけど。
 こうした貪欲な人力車が多い反面、料金にあまりこだわらず数をこなそうとする人力車も少なくない。そして、料金にこだわらない運転手ほど、道にも詳しくて職業意識が非常に高い傾向があるようだ。前者は兼業、後者は専業の人力車ではないかというのが私の推測である。

 「五一北路」に入ったところで、ようやく話のわかる人力車をつかまえた。5RMBで「福建省科技館」まで連れて行ってもらう。日本でいう、子供科学館のようなところなので、どうかなと思ったが、中国の子供がどんなものをみて喜ぶのかを知りたかったので入ってみることにした(20RMB)。 

【福建省科技館<1>】

 子供騙しのものしかおていないかと思ったら、意外にも楽しめた。舞台の上に立つと目の前にあるテレビに自分自身が映りこみ、アナウンサー気分を味わえる装置。同じく、画面に映りこんだ自分を思うがままに動かし、ゲームを楽しむバーチャル・バレー。その他、大人も楽しめるアトラクションがたくさんある。
 でも、一番面白かったのは、下の写真にある「錯覚部屋」。ドア、床、窓等が三半規管を狂わせるように配置されているため、中に入ったとたんに体がよろけてしまう。わずか6畳程度の小部屋だが、なんとも楽しい。もう一回、もう一回と何度も出たり入ったりしているうちにとうとう気持ちが悪くなってしまった。皆さん、限度をわきまえましょう! 

【福建省科技館<2>】

 「福建省科技館」を出ると、あとはホテルまで一直線。途中、「新華書店」があったのでちょっと寄ってみる。文化水準の高さをうかがわせる書籍の量だ。

 4:50、ホテル着。汗を流して、ひと休憩。

 7:20、再び出発。明日の泉州行きバスを確認するためだ。バス・ステーションに着いて行き先掲示板をみてみると、泉州行きのバスは4,5種類ほどある。料金も30-70RMBまで様々だ。高級そうなのが、「高ニ」と「高三」だ。値段差は15RMBほど。売り場のスタッフに違いを聞いてみると、「あんまり違わないよ」とのこと。あんまり違わないんじゃなくて、違いを知らないだけだろーが!と言い返してやりたいが、これは体力の無駄遣い。とにかく高い方に乗ることにしよう。椅子の座り心地とかが微妙に違うはずだ。

 夕食はホテルのそばにあるDICOS「徳克士」で済ませる。昨日の昼も別のDICOS「徳克士」で食事をしたが、福州のDICOS「徳克士」は総じて出来が悪いようだ。良いチキンの生産地がないのかもしれない。

 食事を終えると、再びホテルへ帰着。歩き通しの福州旅行であった。最初からこんなに飛ばして、明日の泉州旅行は大丈夫であろうか。ちょっと心配だ。そう言えば、福州の列車の駅に行かなかったなぁ。ちょっと心残りだ。

2004年2月9日
 6:35、チェックアウト。まっすぐにバス・ステーションへ向かう。

 6:40、バス・ステーション着。このバス・ステーションは決して新しくないけれども、停車しているバスは最新の立派なものが多い。待合室には携帯電話の充電装置や自動靴磨き(ともに有料)まで置かれているから驚きだ。

 7:00、出発(70RMB)。本日のバスは泉州までという短い距離でありながら、70RMBという高額な料金をとるだけあって、かなり立派だ。VOLVOとかかれているのも嘘ではなさそうだ。トイレとテレビを完備し、お菓子セットと暖かいお茶まで出てきた。中国のバスで安心して食べられるものが出てきたのは初めてだ。

 乗客は座席数の3分の2を埋めている。数種類あるバスの中で一番高い料金のものに乗るだけあって、皆豊かそうだ。地元のビジネスマンがほとんどなのだろうな。

 さあ、福州ともこれでお別れだ。

この旅は「泉州探検記」に続きます。ご関心のある方は是非ご覧になってみてください。